第13話 この感情の正体は

 ヴェルナとの見合いが破談に終わってから一週間が経った。

 妖艶な美女の来城であれだけ湧いていた城内も、今は穏やかなものだ。


 城内にいつもの静けさが戻ってくると、アランの余暇も増えていく。

 そういう時は大体執務室でのんびりする事も多いのだが、今日は3階の廊下を歩いていた。


(次の見合いなど、さすがに気が早すぎるだろうが)


 アランにとってあの出来事を”見合い”と呼ぶのも不愉快な話だが。

 何にせよ、あれはここ最近で一番衝撃的な一件だったから、いつの間にかズタズタになった心を癒す時間は必要だと思うのだ。


 という訳で、次の見合い話を持ってきたヘルムートから逃れるべく、『執務室に来ない側女を罰してくる』と適当な言い訳をしてアランは出てきたのだった。


 別に宣言通り行く事もないのだが、あの喧しい声が聞こえないのもそれはそれで落ち着かない。気付けば、アランは側女の部屋の前に立っていた。


 ノックせずに扉を開けて中を見やると、リーファは部屋の奥にある机に向かっていた。どうやら夢中になって書き物をしているようで、扉の開け閉めで気付く事はない。


 靴音を立てずに部屋を横切り、アランは彼女の真後ろまで近づいた。


「何をしている」

「ひゃっ?!」


 本当にアランの入室に気付かなかったリーファは、飛び跳ねる程驚いていた。


 その拍子に、机に置かれた白い紙にインクを、ぽたぽた、と飛ばしてしまう。

 彼女はアランの方を一度は見たが、すぐに飛び散ったインクを見下ろし顔を真っ青に染めた。


「あぁー…やっちゃった………もう少しだったのに…」

「お前のせいだぞ」

「分かってますよ…」


 悔しそうに頬を膨らませ、リーファは駄目になった紙をくしゃっと丸めてくずかごに向かって投げた。縁に当たって絨毯の上に落ちる。


 アランがそれを拾い上げ、紙を広げた。


「あ…」


 リーファは何か言いたそうにアランを見上げるが、無視して紙の文字を見やる。


 どうやら手紙を書いていたらしい。読みやすいが綺麗とは言いがたい特徴的な筆跡で、宛名にはヴェルナと名前が記されている。


 ヴェルナの正体が判明した後、『リーファとヴェルナが一日中雑談をしていた』とヘルムートが言っていた事を思い出す。

 リーファは城下での暮らしと城での過ごし方を、ヴェルナは故郷ガルバートの話をしていたという。

 男だと分かった途端会話が弾むのもおかしな話だが、距離を置く理由が無くなれば話位はするものなのかもしれない。


 ふん、と鼻で笑い、アランは彼女の行いを責めた。


「私の世話を忘れて男と文通とはな。大した側女だ」

「昨日手紙が届いたので、そのお返事を書いてただけです。

 ちゃんとお返事しないと失礼じゃないですか。

 …それとも、今から執務室行きましょうか?

 チョコチップスコーン、焼きあがったら持って行こうと思ってたんですけど…。

 いらないんでしたらトールさんとテディさんに食べてもらいましょうか」


 どうやら菓子作りの合間に手紙を書きに来ただけのようだ。オーブンの見張りは、恐らく厨房の誰かに頼んで来たのだろう。


 庶民の作ったものなど大したものではないだろうが、城に納められた材料で作られたものならば王が食べるのは当然だ。


「………………………食べないとは言っていない」

「そうですか?なら、もう少し待ってて下さいね」


 まるでそう答えると予め分かっていたかのように、彼女はにこりと笑った。机に散らばった便箋を片付け始めている。


 改めて捨てようとした便箋を見ると、内容は他愛のないものだった。


『この間のケーキは上手に出来た』だとか、『陛下は意地悪だけど怖い人ではない』だとか、『お気持ちはとても嬉しかったです』だとか。

 そして『これに懲りずまた城に遊びに来て下さいね』と、まるで自分が城の主かのように最後を締めようとした所で字が崩れていた。


 興味が失せて、アランはくずかごに投げ入れる。丸めた便箋は、真っ直ぐくずかごの中に収まった。


 机の上には封筒が幾つも置かれていた。

 宛名はシルヴィア、カーリン、エセルバート、ニコラスとなっている。


 そしてもう一通、やや青みがかった便箋がある事に気付く。文字の癖はリーファのものではない。達筆だ。


 視線に気付いて、彼女は封筒をひとまとめにした。


「母方の伯母さんと、近所の友達と、父です。ニコラスさんは、診療所の先生ですね」

「…父親は失踪したと」

「ふらっと出かけるのはいつもの事なんですよ。一応、生きてはいるらしいです。

 …ええっと、去年聞いた話なんで今は知りませんけど。

 家に置いておけば、とりあえず見てくれるでしょうから」

「…悲観はしていないのだな」

「グリムリーパーですからね。戦争があるとよく駆り出されるらしくって。

 私が仕事を覚える前は二ヶ月に一度は帰ってきてましたから、今は町での仕事は任せられるから戻らないんだって、思ってます。

 便りが無いのは元気な証拠って言うじゃないですか」

「そうして元気だった者がどれほどいるのだろうな」

「…意地悪ですね。

 まあ幽霊みたいなものですから、仮に死んでても何の証拠も残らないんですけどね」


 そう言って見せる彼女の表情に、悲嘆も苛立ちも見られない。


(興味がないのか、心配するまでもないのか………情の薄い女だ)


 親に対して薄情な彼女に一度は呆れるが、


(いや…だが、私も似たようなものか)


 と思い直す。


 アランも先王オスヴァルトを、良き親、良き相談相手と思った事はそうなかったから、彼女も似たような境遇だったのかもしれない。


 便箋と封筒を引き出しにしまって、リーファが席を立った。アランの方に向き直って、ぺこりとお辞儀をしてみせる。


「そろそろ厨房の方に行ってみます。

 陛下はどうぞ、執務室でお待ちください」


 リーファにそう言われ、アランはつい執務室のヘルムートの姿を思い浮かべた。

 今戻ると、見合い話を蒸し返される可能性はあるだろうか。


「出来立てが美味いのではないか?」


 アランの言葉に、彼女が不思議そうに首を傾げている。


「…食堂で食べる気ですか?

 出来立ては熱いので、冷ました方がいいと思うんですけど…珍しいですね」

「たまにはそんな日もある」

「…?分かりました。どうぞ、こちらへ」


 怪訝そうにしたリーファだが、早々に詮索を止めたようだ。アランを連れ立って側女の部屋を後にする。


 廊下を歩きながら、アランはさっき見た便箋の事を思い出す。


 美しい筆跡で書かれた青みがかった便箋。ほんの一瞬の内に読み取れた一文。


『寄る辺がなければ、どうぞガルバートへ。大切な女性としてお迎え致します───ヴェルナ』と。


(………………)


 何とはなしに、先を行くリーファの三つ編みを思いっきり引っ張った。


「んぎっ?」


 と、可愛げのない間抜けな悲鳴が上がった。

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