第8話 魔性の声音で王は眠る

 湯浴みを済ませたら、化粧水と乳液で肌を整え、髪を梳いて、香水でさりげなく香りを纏う。

 部屋を暖め、香を焚き、過ごしやすく整える。

 たとえ本来の務めが果たせなくても、王にとって安らげる場にする努力だけは怠れない。


 ガチャ───バタン!


 ノックもせずに扉を開け、わざとかと思わせる程の勢いで扉を閉めたのは、言わずもがなアランだった。


 来るのは分かっていたが、それでもいきなり来られるのは心臓に悪い。

 ベッドで黙々と本を読んでいたリーファは、びくりと体を震わせてしまった。

 リーファは慌ててベッドから降り、近づいてきたアランに首を垂れる。


 顔を上げ瞳に怯えを宿すリーファを見下ろし、彼が更に口の端を吊り上げる。

 リーファの顎に手をかけ、アランは舌なめずりをしてみせた。


「さあ、今日はどういう声を上げたい?

 昨日は結局気絶させてしまったし、今夜はたっぷり楽しませてもらいたいものだ。

 ああ、どうせなら猿轡を噛ませて声を上げさせないのも捨てがたい。

 ”セイレーンの声”は、声ならぬ声すらも美しいものだからなぁ?」


 リーファの背筋に、ぞわ、と寒気が駆け上がる。


 一週間過ごして来て、リーファの言葉をアランがちゃんと聞いてくれているのは分かっていた。

 聞き入れるかどうかは気分次第らしいが、少なくともリーファの懇願で選択肢は増えてはいるようなのだ。

 だから声が出せなくなると、懇願がアランに届かない。

 選択肢を増やす機会が無くなる。

 それこそアランが飽きるまで責め立てられる事になるだろう。


(でも、これはチャンス…!)


 今アランは、リーファに問いかけている。『どういう声を上げたいか?』と。

 だから今なら、要望を提示する事が出来る。

 意見が通らないかもしれないが、試してみる価値はある。


「…お」

「お?」


 聞き返すアランに、リーファは持っていた本を差し出した。


「御伽噺、聞かせます!」

「は、子供か。馬鹿馬鹿しい」


 アランは呆れ混じりに踵を返し、小道具を収納している戸棚を開けて物色し始めた。

 戸棚から出てくるものは、拘束具、猿轡、ロープ、鎖、アイマスク、様々な形の銀製の杭と、用途を聞くのもはばかられる物ばかりだ。


 リーファはアランの側に駆け寄り跪いた。本を抱き締め、何とか食い下がる。


「一話!一話だけでいいんです!

 御伽噺を話し終えるまで、ベッドで聞いていて下さい!

 それが、終わったら………その。陛下の、お好きなようにして頂いて、構いませんから…」


 アランは物色の手を止め、頭を下げるリーファを見下ろした。

 しばらくリーファを見ていたかと思ったら、


「!?」


 アランの手がリーファの頭を鷲掴みにし、力任せに頭が持ち上げられた。

 アランの視線が、真っ直ぐリーファを射貫く。


(怖い…!)


 嘘を見抜くというアランの”目”が、リーファを探っているのだろうか。

 目を逸らしたい衝動に駆られながらも、リーファはアランを見据えた。


 そして何を思ったのか。アランはリーファの頭を手放し、放りだした小道具をそのままにベッドに移動して行った。

 ベッドの中央に寝そべるが、動く気満々らしくブーツも履きっぱなしだ。


「…よし、話を聞き終わったら拷問部屋だ。せいぜい覚悟しておけ」

「!」


 アランの言葉に、リーファの肌が粟立った。

 拷問部屋には大型の器具が揃っている。

 この部屋で使うと部屋を汚してしまうものもあちらにはあるから、より一層酷い目に遭わされるかもしれない。

 しかし、猶予は得られたのだ。


(この機会は逃せない…!)


 リーファは小さく頷き、アランの側に寄り添って本を開いた。


「結構面白いんですよ。本を閉じて開けるとまた別のお話になってるんです。

 こういう本が家に一冊あると便利ですよね」

「時間稼ぎはさせんぞ。さっさと読め」

「う、はい…」


 真意を見透かされて、リーファはしょぼんとしながらもアランに御伽噺を聞かせ始めた。


 ◇◇◇


 どんな御伽噺も、話は簡潔にまとめられているものだ。

 絵で情景を示し、擬声語で物語を演出し、臨場感を持たせる。

 時には主人公の名前を、聞かせる者と同じ名にしてみせる事もある。

 子供に聞かせる為に興味を削がせない工夫、というものが、この短い文章に盛り込まれているのだ。


「めでたしめでたし…と」


 十分もかかったかどうか。朗読を終え、リーファはそっと本を閉じた。

 そして、何の反応もないベッドを恐る恐る見下ろす。


 アランは、居心地よさそうに寝息を立てていた。

 全身の力は抜け、ベッドにずっしりと沈んでいる。

 試しにほっぺたをつついたり、思い切ってつねってみたりもしたが、まるで反応しない。相当深い眠りに入っているらしい。


 リーファは、診療所で夜勤していた頃の事を思い出した。

 子供達を寝かすつもりで御伽噺の本を読んでいたのに、子供達の目が冴えてしまって難儀した苦い思い出だ。

 今思えば、これも才が原因だったのだろう。リーファ以外にも、この才で困った人がいたのかもしれない。


「…凄い効果。こんな本もあるのね………爺様に感謝しないと」


 表紙の内側にはこう書いてある。

 ”セイレーンの声専用 子守唄の絵本”、と。

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