15:もう一度逢いたくて

『…待っている間、少しネットで調べさせてもらった。赤兎、この場で皆に話しても構わないか?』

『うん』


 あの後ガーネットの後を追って「ろぐあうと」していたヤマトのマスターが戻り、赤兎に尋ねる。赤兎の了承を得たヤマトは、ホールの真ん中で車座になって座り込んだ「私」とガーネットに目を向け、説明を始めた。


『2年前、栃木県で走行中のバスが道路脇に転落し、修学旅行に来ていた中学生35人のうち、1人が重傷、12人が軽傷を負っている。その後、重傷の中学生も回復し退院したと書いてあったが…それが赤兎、君の事だな?』

『うん』


 ヤマトの質問に、赤兎が床にしゃがみ込んで俯いたまま、静かに答える。


『私、あの時の記憶がほとんどないんだけど、事故が起きてバスの中が洗濯機の様に回転して、私が座っていた席の窓が割れて木が飛び込んで来た後、気を失ったんだ。で、次に気が付いた時には病院のベッドに寝ていて。体中が包帯でグルグル巻きになってて、手足が動かなくて』


「私」達が静かに見守る中、赤兎彼女は一人、過去の自分と向き合うように一点を見つめながら独語する。


『…お父さんやお母さんは、大丈夫だよ、すぐに動くようになるよって言ってくれたけど、1ヶ月経っても動かなくて。ある日、お医者さんに言われたんだ。”朝比奈あさひなさん、あなたは頸椎の神経を損傷しています。今後、左手足が動く見込みはないでしょう”って』

『『『…』』』


 淡々と話す赤兎彼女の姿に、「私」マスター達は身動き一つせず、押し黙ったまま耳を傾ける。赤兎彼女は口を噤み、やがて自分にけじめをつけるかのように大きく息を吐くと、独り言を再開した。


『…私、凄い荒れたよ。まだ15歳になったばかりなのに、人生が終わったと思った。お父さんやお母さん、お医者さんにも当たり散らしたし、頭を下げに来たバス会社の社長さんと運転手さんには枕を投げつけた。私の人生を返せ!って。私は何も悪い事していないのに、ただ学校行事でバスに乗っていただけなのに、何でこんな目に遭わないとならないんだって』


 赤兎彼女は顔を上げ、ホームの片隅に据えられた誰もいないソファを眺めながら、呟く。


『――― そうやって私は、頼子よりこ先生にも当たったんだ…』




 赤兎彼女は再び前を向き、膝を抱えて蹲った。誰も居ない正面を向き、この場に居ない誰かの事を想いながら言葉を重ねる。


『…頼子先生は、私のクラスの担任だった。先生が教師になって2年目で初めて受け持ったクラスで、私達と年齢が近くて話が合うから、女子はみんな先生に懐いてた。先生も初めての担任だったから張り切っていて、クラス全体が纏まっていて、上手くいってたと思う…あの事故が起きるまでは。

 告知を受けた後、私は頼子先生に当たり散らした。あんた達があんな場所を修学旅行先に選ばなければ、あんたがあの時適切な処置をしていれば、私は人生を棒に振る事なんてなかったのに!あんた達は、教師失格だ!って。…繰り返し喚き散らす私に、先生は何度も泣いて謝ってくれた。朝比奈さん、ごめんなさい。助けられなくて、ごめんなさいって。

 それが1ヶ月以上続いた後、――― 頼子先生は、病院にも学校にも、来なくなったんだ』


 赤兎の独語を引き継ぐように、ヤマトが口を開く。


『赤兎の先生に対する批判を嗅ぎつけた週刊誌が事態を面白おかしく書き立て、それがネットに広まったんだ。先生はネットの誹謗中傷に晒され、数々の脅迫を受けた。下手にかばって飛び火するのを恐れた学校側からも見放され、孤立無援となった先生は学校を退職し、その後は行方不明だそうだ』

『…胸クソ悪ぃ…』


 ヤマトの説明を聞いた「私」マスターが唇を歪め、侮蔑の言葉を吐く。


「ばす」とか「ねっと」とか、「りある」の世界の単語が全然わからない私だったが、それでもマスター達の話を聞いて、胸が苦しくなった。赤兎のマスターと先生のマスター、その立場は違えど、どちらも望まぬ運命を押し付けられて抗う事もできずにそれまでの人生を否定され、「りある」の世界に居られなくなった。


 私達の住む「げーむ」の世界は、「りある」の世界と隔絶した、謂わば「常世の春」のはずだ。


 ――― なのに、「りある」の世界から逃げてきた二人が、「常世の春」でまた巡り合うだなんて。




『…結局、私は卒業式にも出られず、そのまま中学生活を終えた。卒業後しばらくして退院し、中学校を訪れたけど、その時にはすでに頼子先生は退職した後で、先生の消息を掴む事はできなかった。高校受験もできず、皆に置いてきぼりにされたと感じた私は中学時代の友達とも連絡を取らなくなり、家に閉じ籠るようになったんだ…。

 …一人で家に閉じ籠って時間を持て余すようになると、私は事故の事を色々と考えるようになった。1年かけて、このどうしようもない運命をようやく受け入れるようになると、今度はあの時の自分の言動を思い出すようになった。…正直、バス会社の人達に対する気持ちの整理は、まだできていない。けれど、それ以外の人達、お医者さんと看護師さん、お父さんとお母さん、…そして頼子先生。傷つき行き場のない憤りを抱えた私を見放さず支えてくれた人達に、自分がどれだけ酷い事を言ったのか、それを思い出して、私は恥ずかしく感じたんだ…。

 私は、お父さんとお母さんに謝った。あの時、酷い事を言ってごめんなさいって。そんな私を見放さず、高校にも行けない娘を見守ってくれてありがとうって。…お父さんとお母さん、泣いて喜んでた。お父さんのぐしゃぐしゃの泣き顔なんて、私、初めて見たよ。それから、私はお父さん達に連れられて、あの時のお医者さんと看護師さんにも挨拶しに行った。お医者さん達は、笑って赦してくれた。中学校にも改めて挨拶に行ったし、中学校の友達とも連絡を取った。みんな喜んでくれて、今も時々SNSで連絡を取っている。

 ――― だけど、頼子先生にだけ、謝れていないんだ…』


 独語を終えた赤兎が顔を上げ、ガーネットへと目を向ける。赤兎の縋るような視線を受けたガーネットは両手を広げ、頭を振った。


『…駄目。SNS送っても、既読にならない。多分、スマホの電源切ってる』

『でも、もうガーネットさんだけが頼りなんです!』


 赤兎は身を乗り出し、ガーネットの両肩を掴んで揺さぶり、悲愴な声で訴える。


『もう他には誰も、頼子先生の居場所を知らないんです!ガーネットさんのSNSが、頼子先生との最後の繋がりなんです!お願いします!一度で好いから、頼子先生と話させて下さい!私、私…あの時の事を謝って、御礼を言いたいんです!』

『当然じゃないの、赤兎。お姉さんに任せなさいって!』


 赤兎の切実な願いを前に、ガーネットのマスターは慎ましやかな自分の胸を叩き、にこやかにウィンクする。


『大丈夫。先生の事はこのゲームでしか知らないけど、あの人、誠実だもん。今は突然の事に混乱しているだけで、落ち着いたら赤兎とちゃんと向き合ってくれるわ。赤兎、今は少しだけ、先生に時間をあげて?焦らずに、先生が戻って来るのを待ちましょう』

『…うん…、ガーネットさん、先生の事、よろしくお願いします』

『好い子ね、赤兎。あなたの事は、お姉さんが守ってあげる!』


 力なく、しょぼくれたように頭を下げる赤兎にガーネットが両腕を回し、その慎ましやかな胸で赤兎の頭を抱え込んだ。赤兎も大人しくガーネットに頭を預け、二人はそのまま動きを止める。




 結局、その日「えすえぬえす」は「きどく」にならず、マスター達は後ろ髪を引かれながら、次々と「ろぐあうと」して行った。




 ***


 マスター達が「ろぐあうと」すると、私達はすぐに支度部屋を飛び出し、行きつけの店へと向かった。店にはすでに先生が「せかんど」の姜子牙と共にり、私達の姿を認めると腰を浮かせ、説明を求めてくる。


「皆さん、教えて下さい!私のマスターと赤兎さんのマスターの間には、一体何があったのですかっ!?」

「先生、落ち着いて!今、順を追って説明するから、座って話しましょう」


 焦燥を露わにする先生を宥め、一同が席に着くと、ガーネットが掻い摘んで事情を説明する。ガーネットの説明を聞いていた先生の表情が次第に苦しさを増し、やがて先生はテーブルの上に両肘をついて頭を抱えた。


「嗚呼…何てことだ…。あの人が『りある』で自分の願いを叶える事が出来ず、この世界に縋りついている事は薄々感じていましたが、赤兎さんとの間でそんな出来事があっただなんて…」

「先生…マスターが今どうしているかなんて…わからないよね?」

「ええ、残念ながら私にも、今マスターが何をされているかは、皆目…」


 私の問い掛けに、先生は頭を抱えたまま首を振る。隣に座り、素知らぬ顔で料理を頬張っていた姜子牙が顔を上げ、手にしたフォークを前後に振った。


「兄貴、ちったぁ落ち着けって。マスターなら、きっと大丈夫だって」

「子牙!あなたは何でそんなに落ち着いていられるんですか!?」


 至近距離から詰め寄られ、姜子牙が騒音に顔を顰める。


「アレは、貞淑で包容力のある、好い女だ。どうせなら俺は、ああいう女を抱きたい。この俺の目に適った女なんだから、この程度の事、きっと乗り越えてくれるさ」

「まったく!あなたは、よりにもよってマスターに邪な考えを持つだなんて!」

「兄貴の頭が固すぎんだよ。そんな小煩こうるさいコト言ってると、マスターに嫌われんぞ?」

「子牙!」


 目の前で繰り広げられる兄弟喧嘩を目にして、私達の緊張が解れる。


 何の根拠もないけど、私も子牙さんの意見に賛同したい。


 そう思いながら、私達は先生が「ろぐいん」して来る日を待つ事にした。

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