第2話
【20XX年6月15日 午後6時 日本 某所】
キッチンに立つツキカゲの手の中には黄斑の出た見事な鮎があった。
『香魚』ともいわれる鮎はその二つ名の通り、身に染み付いた水や苔の匂いで産地が分かるほどに、香り立つ。とれたての天然物は内臓すらも芳しい。
ちなみに『鮎』という字は中国では『
ツキカゲはその鮎の口に串を打とうした瞬間、不意に手を止めた。石鹸で綺麗に手を洗い、その湿りをペーパータオルで丁寧に拭きとり、スマートフォンとともにリビングへと向かう。
リビングのソファに腰を沈めると、ツキカゲはスマートフォンから電話をかけた。
「ミソラさん! 今、スコットランドにいるそうで」
ツキカゲが電話をかけた先は
日本人の云う『イギリス』とは正式名称を、
|グレートブリテン及び北アイルランド連合王国《United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland》という。
その略称をUnited Kingdom。多くはさらに略してUKと呼ぶ。
UKはロンドンのあるイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国の集合体だ。
その4つをさらに乱暴に2つに分ける。
アイルランド島にある北アイルランドと、グレートブリテン島にあるその他3国……ではない。イングランドと、その他3国だ。
イングランドとケルト系と言い換えてもよい。
ケルト系からすればイングランドは侵入者であり、侵略者でもあった。そのわだかまりは現在までも続く。殊にスコットランド人には迂闊に"Are you English? "などとは訊かないほうが身のためだ。"Are you British? "に留めておくべきだろう。それでも"I'm Scottish!"と言い返されるかもしれないが……。
話を戻そう。
ミソラというのはツキカゲの一つ上の
「ワタクシがミソラさんの居場所を見失うことなど生涯有り得ません。どこにいらっしゃってもいつも見守っておりますから」
『偏愛』と言っても差し支えないだろう。ツキカゲのミソラに向ける眼差しは従姉妹に向けるそれを明らかに凌駕していた。
幼少の
「はい、ミソラさんのためなら喜んで!」
とはいえ、ミソラのほうも一方的にツキカゲとの縁を切る決断には至らないようだ。生来の見目麗しさも手伝ってか、男を上手く使う術は自然と身につけたようで、今もツキカゲを利用しようとしている。
ツキカゲはスマートフォンを耳から離し、その画面を注視し始めた。直ぐに、着信を表す音が鳴る。ツキカゲはすかさず画面をタップし、送られてきた画像を見た。
スマホの画面には俯瞰から撮影された幼い少女と思しき赤髪の生首があった。規則正しく列ぶ長椅子の中の一脚の上に置かれたその顔は行儀よく真っ直ぐ天井に向けられていた。両眼は半開きだが眼の色は確認できる。
ちなみに、になるが、創作界ではお馴染みの赤毛に青い瞳の持ち主--銀河英雄伝説のキルヒアイスのような--はこの世界では希少種だ。赤毛の瞳は茶色か、この少女のような榛色か、緑色が多い。
まあ、瞳の色の話はこれくらいでいいだろう。今、起こっている問題の焦点は『色』のことでは断じてない。
「ミソラさん。ワタクシの聞き間違いでなければ、先ほど『写真』とおっしゃいましたか?」
ツキカゲは『異変』と同時にすぐさまミソラに電話を掛け直していた。画面を見ながらミソラと会話をしている。
「……ほう。『動画』ではないのですね」
不敵にも微笑んだツキカゲの見つめる先には同じくこちらを見つめる瞳があった。
大きく見開かれたその双眸の色を改めて伝える必要は無いだろう。だが、敢えて云おう。榛色であると。生首の少女の両眼が大きく見開かれ、ゆっくりとではあるが、確実に、ツキカゲの視線と己の視線を交差させたことを。そして、とうとう彼女はその顔さえもこちらに向けたことを。
「リンク」
赤髪の少女の小さな桜色の唇は確かにそう言った。しっかりと、音にして。
その瞬間、少女の姿はスマートフォンの中から消え失せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます