死穢の世界

『ヴェルデさん……私、死喰鬼になりたくないよ……』


 どんなに凄惨な光景を目にしても、いつも気丈に振る舞い皆を励ましてきた彼女は、泣きそうな表情でそう溢す。

 千切られた右足。引き摺り出され、喰われかけの腸。血溜まりの中で横たわる彼女が、駆け付けるのが遅れたヴェルデに訴えたのは、間近に迫る死の痛みや苦しみでも、約束を反故にした相棒への恨み言でもなく、死後への恐怖だった。


 雨の降る崖の道。山の上より落ちてきた化け物の対処に追われたヴェルデは、この一年を共にした相棒とはぐれた。化け物どもを片付けて戻ってみれば、目に飛び込んできたのは数多の死体に埋もれた二十歳はたち前後の女の姿。絶望に目が眩み、膝を地に付けそうになったのを奮い立たせて駆け寄ったものの、身体のいくつかの部位が抉り取られているのを見て、打ちひしがれて。

 そんな中で聴いたか細い彼女の必死の訴えに、顔を上げたのが現在。


「案ずるな、レベッカ。……俺が、お前を守ってやる」


 彼女の手を取ったヴェルデが口にしたのは、ことあるごとに彼女に告げた誓いの言葉。

 生あるうちに守れなかったのなら、せめて死後だけでも。

 それが、約束を果たせなかった報いだと思ったから。


 ヴェルデの決意を汲み取ったのか、レベッカはそばかすの浮いた顔に微笑を浮かべ――そのままこと切れた。

 力を失った手を額に押し当て、ヴェルデは呻く。


 年甲斐もなく、十も年の離れた彼女に恋をしていた。大きな口に、低く丸い鼻。真顔でも三日月形に歪んだ眼。決して整っていると言えないかおだったが、愛嬌のある表情と屈託のない仕草に、いつしか思慕の念を抱くようになった。

 互いを相棒と呼び合う温い関係に浸りつつ、いつかは、とその先を夢想した日々。

 こんな形で終わりを迎えるとは思わなかった――などとは、この苛酷の世では決して言えないが。慈悲の一片も感じさせないこの世界に、慟哭せずにはいられなかった。


 ――この世界は、死穢に満ちている。

 死してなお魂は天に還れず、

 肉体もまた地に還れず。

 行き場をなくした魂は世を彷徨い、

 虚ろとなりし肉体もまた地を這いずる。


 死が循環する世界で、今日もまた一つの悲劇が幕を下ろした。

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