058 人さらい

 宿に戻った俺たちは事情を話す。


 「で、サチさんが1人で出歩くのは危ないと思うんだ。だから、俺たちがついていくことにしたんだよ」


 そんな悪いですと遠慮するサチさんをチュウジが説得にかかる。

 「そうでなくとも、世の中にはシカタのような変質者がうろついているもの。気をつけるにこしたことはない」

 このおかっぱ中2病は自分のことを棚に投げっぱなしジャーマンしやがって何言ってくれてんだ。夜中に歩いててお前呪いの日本人形に会ったら、男女問わず悲鳴をあげるぞ。

 

 「そうだよっ! サッちゃん、美人なんだから気をつけないと」

 

 「そう」という指示語は「気をつけるにこしたことはない」を指し示しているのか、それともその前の俺の名を含む文章まで含んでいるのか。後者だとしたら、泣いてしまう。


 結局、必死(?)の説得の甲斐あって、サゴさんを除く4人で街を歩くことになった。

 「私は荷物番してますから。あとは若い人たちだけで」

 そう言ったサゴさんの手にはワインの香りする皮袋が、テーブルの上にはつまみとおぼしき干し肉が置かれていた。

 1人で飲んでいるつもりらしい。


 ◆◆◆


 俺とチュウジも外で飲んでいた。

 温泉に行ったミカとサチさんを待つ間、俺たちは市場で飲み物を買い求めて時間をつぶしている。


 チュウジが持つ木のコップに注がれているのは、黒くて甘い飲料、俺が飲んで・・・いるのは牛の煮込み・・・・・で、どちらも酒ではない。俺の「飲み物」はそもそも飲料ですらないが、「カレーライスは飲み物」って名言があるくらいだから、牛の煮込みも飲み物扱いでいいだろう。

 黒くて甘いのはビールをビールにしないものらしい。


 「糖が発酵する前に飲むと、これほど甘いものなのだな」

 チュウジがしかめつらをしながら、うんちくを垂れているが、飲んでいるときは嬉しそうな顔をしている。

 相当甘いらしい。

 こちらの世界では甘いものは街でしか手に入らないから、体が甘いものを欲することがある。


 俺は俺で体が脂の甘さを欲しているらしく、脂の皮膜が汁の表面にはる煮込みをすすっている。

 薄いトマトベースのスープで骨付き牛肉をゆっくりと煮込んでいる大鍋にはハエがたかりまくっていた。群がるのがハエだけならともかく、人もたくさん群がっていたので、俺もその群に加わり、この煮込みを買い求めた。

 調味料的なものは塩と少量の唐辛子くらいしか入っていなさそうだが、牛骨の出汁と脂の甘味と塩味と辛さが俺の体に着実にスタミナを、俺の脳みそに「美味いからおかわりしろ」信号を送り込んでくる。

 相変わらず売り場の鍋にはハエたかりまくり。俺のまわりにもハエがぶんぶん飛んでいる。


 「ハエ、どうにかならないものなの?」

 不用意にこんな失礼な発言をしてしまった俺に煮込み売りのおばちゃんは怒るのではなく、むしろ不思議そうな顔で言う。

 「あんたは、ハエもそっぽむくような不味い飯が好きなんかね?」

 世の中いろいろな考え方があるものだ。


 「お前は昼間っから脂まみれの煮込みを飲み物のように飲み干して。相変わらず生活習慣病予備軍だな」

 チュウジが黒ビールもどきジュースをすすりながら言う。言われていることはすべて事実だが、なんかむかつく。

 「うるせー、チュウジ。お前だってさっきから黒蜜みたいなのすすり続けて、カブトムシか? クワガタか? クヌギの木に群がってんのか? ていうか一口俺によこせ」

 強引に黒ビールもどきジュースを奪って飲む。

 うわ、甘い。でも美味いわ、これ。あいつがカブトムシ化するのもわからなくもない。思わず舌なめずりしてしまう。


 「か、返すのだ!」

 チュウジが真っ青な顔をして叫ぶ。声が裏返っている。


 「今は明白なシカタ氏誘いでござったな、ミカ丸」

 「サチ蔵もそう思うでござるか? して、今後の展開は?」

 「間接キスで高まった2人の気持ちはもう抑えきれない。2人はどちらからともなく、手をとりあって、無言で宿まで走り……」

 「扉を開けた瞬間、服を脱ぎ捨てながらお互いの唇を求め合うのでござるな?」

 

 なぜか、妙な語尾をつけながら、会話する女子2名が歩いてくる。

 横にはチュウジと同じ顔色をしたタケイ隊アニキーズダイゴジェ○イ・コスプレさんがいる。

 「いや、さっき出口のところでミカちゃんたちに会ってさ。なんか、ますます賑やかになったよな、君ら……」 


 ◆◆◆


 お互いの宿が近かったこともあり、帰りは5人で途中まで帰ることになった。

 その帰り道のことだった。


 やや人通りの少ない道を歩いていた女性が後ろから来た男2人組に袋を被せられたかと思うと、路地裏に連れ込まれたのだ。


 「おいっ! 今の見たか?」

 茶色い外套オビ○ンコスプレをひるがえしながら、ダイゴさんが振り向く。

 「人さらいであるな」

 チュウジが答えて、奥へ向かおうとするのを俺は止める。

 「お前はここでサチさん、ミカさんと一緒にいろ。ダイゴさん、行きましょう」

 同じような人さらいが近くにいたとき、足止めを確実にできるのは中2病スキルをもつチュウジであって、俺じゃない。

 チュウジが反論しようとするのを手で制すと、路地裏に駆け込む。


 不気味なほど人気のない路地裏で、頭に袋を被せられた女性が足をじたばたさせながら、引きずられている。

 待てと言ったって待つわけないだろうし、話すと深い事情がとかいうわけもないだろう。

 どんな事情があったとしても、頭に袋被せて引きずっている時点で信用ゼロだ。


 ダイゴさんが左手を突き出すと、見えない力に押されて片方の男がバランスを崩す。

 その横で片刃の短剣を抜いた俺がもう片方に接敵する。

 〈せめて、長剣くらいは下げてきても良かったのかもしれない〉

 後悔が一瞬頭をよぎったが深く反省する時間は当然ない。


 男は半身で右足を大きく出しながら細身の剣を突き出す。

 俺は左拳をあげながら、半身で迫る。

 受け流せる!

 短剣が相手の突きを横にそらす。

 そのまま、手首を返して、相手の頸動脈を……。

 やばい、切れない。切れるわけないだろ?

 だって、相手は人間だ……。

 〈人を斬る覚悟〉

 赤い癖っ毛をぼりぼりかくトマさんの顔と言葉が脳裏をよぎる。


 敵は一瞬の躊躇ちゅうちょも見逃してくれなかった。

 男が右半身から左半身に体を入れ替えながら放った反対の手の短剣が俺の顔に突き出される。

 慌てて避けるもギザギザの刃が俺の顔の側面をえぐる。

 鉄の味が口の中に溢れ出る。


 飛び退く俺に対する追撃はこなかった。

 正確に言えば、追撃しようとした相手の細身の剣は相手の手からスッポ抜けた。

 視界の端には左手をかざすダイゴさんの姿が見える。

 たぶん、彼が援護してくれたのだろう。

 

 男は細身の剣をそのままにして逃げ出した。

 もう1人の男はすでに逃げ出しているようで、そこには袋を被せられた女性だけが残った。


 ダイゴさんがすぐに彼女の頭から袋をとる。

 俺は彼女を安心させようと笑顔をつくって声をかける。

 

 「もーらいじょーぶれすよ」

 「ひっ!」

 相手の目に恐怖の色が浮かぶ。

 

 「君、今、ひどい顔だからね。その顔で小学校のそばとか歩いていたら、怪談認定まちがいなしだぜ。とりあえず、これで押さえておきな」

 ダイゴさんがくれた布で顔をおさえていると、助け出した女性が近づいてきた。

 彼女は座り込む俺の横に座ると、聞いたことのある独特の節をつけた詠唱をしながら、俺の頬に手を当てた。

 さらわれそうになっていた女性は癒し手ヒーラーだった。

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