俺の妹
連喜
第1話 俺の妹
俺には弟妹が何人もいる。
でも、俺は対外的には一人っ子として育てられた。
言っている意味がわからないかもしれない。
俺は長男で跡取りだから、両親は出生届を出したけど、後の妹弟たちはそういう手続きをしていない。つまり、世の中に存在しない人ということになっているんだ。
俺が生まれたのは東京。昭和40年代生まれで、そろそろ50になる。
今も昔も無戸籍の人はいると思うけど、うちの場合はちょっと特殊だ。
俺の両親は借金があった。どちらも頭がおかしくて、パチンコ、競艇なんかのギャンブルの依存症だった。俺が生まれた頃はまだまともだったみたいで、ちゃんと病院で出産して出生届も出してくれた。借家だけど家もあった。
でも、そのうち借金で首が回らなくなって、借金取りが父ちゃんの職場に行ったり、家に怒鳴り込んでくるようになって、2人は夜逃げしたそうだ。
俺たちはすごい田舎に引っ越した。かなりの長距離を距離を逃げた。
日本地図を見て、ここにしようっていうくらい適当に決めたのが、四国の山奥だった。それで役所に行って相談して、仕事と住むところを紹介してもらった。住民票はどうしたか知らないけど、取り敢えず、俺は学校に通わせてもらえた。すごい田舎で、本当に何もない。病院があるかどうかわからないような所だ。
でも、家から30分以上かかる所に学校があった。
父親は近所に農業の手伝いに行って、ぎりぎり生計を立てていた。前はパチンコ依存症だったのに、まっとうに働けていたことは不思議だったけど、パチンコがなければ父親もやりようがなかったんだろう。昭和の頃は、今みたいにネットのない時代だったから、娯楽なんて何もなかったのが良かったんだろう。金がないから、うちにはテレビさえなかった。
母親はいつも家にいて畑をやっていた。余ればどこかに持って行って米と交換。家で食べるような野菜は、庭に植えていた。江戸時代のような暮らしぶりだった。
家はトタンの壁と屋根でできた小屋みたいなもので、基礎だけはコンクリだったけど、外側は素人の手作りだった。下水もちゃんと工事していなくて、外に垂れ流していた。トイレもなくて、おまるにして外に捨てに行っていた。
電気は通っていたけど、電化製品がほとんどなくて、水道は井戸水。ガスもない。薪で風呂を焚くから、風呂は数日に1回だけ。洗濯機もなくて、洗濯板で手洗いしていた。炊飯器だけはあったけど、他に何があったか思い出せないくらいだ。
母には副業があった。人類最古の職業と言われるもの・・・売春だった。俺は子どもだったけど気が付いていた。父親がいない時、知らないおじさんが来て、母親と布団に入っていたこと。そして、しばらくすると、その人は何事もなかったかのように帰っていく。母親はその度に現金をもらっていた。それを嬉しそうにタンスにしまっていたのを知っていた。
俺が小学校低学年の頃、いつの間にか、母のお腹が大きくなっていった。
「弟か妹が生まれるんだ」
俺は喜んだ。兄弟がいなくて、いつも一人だったからだ。
しかし、両親から「誰にも言うなよ」と口止めされた。
「何で?」
「よその家にくれてやるんだ」父親がそう言った。
「何で?」
「うちじゃ育てられないからな」
「いやだよ!」
俺は叫んだ。
「売るんだ。文句言うな」
「え、子どもを売るの?どうして?」
「高く売れるんだ。ガタガタ言うとお前もうっちまうぞ」
俺は売られるのが怖くて、それからは両親に逆らわなくなった。
母は自宅で出産した。産婆さんが来てくれた。だから、うちにはしばらく妹がいた。初めての兄妹でとても嬉しくて、よく世話を手伝っていた。オムツを替えたり、おんぶしたり、遊んだり、風呂に入って体を洗ってやったりもした。俺が学校から帰って来るのをいつも外で待っていたもんだ。4歳くらいになると、だんだん言うことがわかって来る。キャッキャとよく笑うかわいい子だった。
公子の裸はまさに玉のようだった。白くてつやつやしていて、滑らかだった。風呂は五右衛門風呂が外にあった。外に出して石鹸で隅々まできれいに洗ってやる。それで、あっちも俺の体に興味を持って触って来る。楽しい時間。俺はお父さんのような役割だった。
妹はほとんど喋れなかった。幼稚園とかに行っていなくて、周囲に同年代の子どもがいない。話しかけるのは俺くらいで、母親は子どもの世話を全然していなかった。死なない程度に最低限のことをやるだけという感じ。だから、妹は俺に一番なついていた。
俺たちは二人兄弟だったわけじゃなくて、妹が生まれた翌年には、弟も生まれた。大体毎年子どもが産まれていた。あまり毎年だから、慣れてしまって感動がなくなっていた。そういうこともあって、俺はすぐ下の妹、公子だけを可愛がっていた。
でも、他の子のお守りも俺の仕事になっていた。
でも、俺は学校ではずっと一人っ子のふりをしていた。村でお祭りなんかがあっても、下の姉弟たちは連れていかない。ずっと隠して育てていた。我が家はずっとよそ者扱いで、うちには誰も来なかったから、誰も気が付かなかったのかもしれない。
公子は呼び名で本当の名前はないんだ。だから、公子が6歳になった年になっても、親は小学校に行かせなかった。俺は薄々わかっていたから、親に何も聞かなかった。公子はおかっぱで目のパッチリした美少女だった。俺たち家族には全然似ていなかった。多分、客の誰かの子どもだろう。
公子は学校に行く俺を羨ましがっていたけど、親にその気がないから無理だった。俺は、親に隠れて公子に字を教えたり、本を読んでやるようになった。うちには教科書以外の本がなくて、俺も勉強は全然だった。学校でも馬鹿だと言われていたくらいだけど、字が読めない人なんていないだろうと思ったからだ。
「公子も学校行きたいなぁ。今度連れてって」
公子は何度もせがんだ。
「ダメだ。父さんに叱られる」
でも、ある日、公子は俺について学校に来てしまった。俺は言い訳した。
「親戚の子を預かってるんです」
「学校に連れてきちゃダメでしょ」
女の先生はそう言って、学校が終わるまで、保健室で預かることになった。
公子は極度の人見知りで、何も喋らなかったみたいだ。その状態で学校に通ったらいじめに遭うだろう。俺は公子がもう一般社会でやっていけないことを悟った。
担任はうちの親に苦情の電話をかけたらしい。
でも、うちには電話がなくて、隣の家にかけて来たから、うちの親は激怒した。公子を殴って、木に縛り付けて朝まで放っておいたら。
俺は可哀想だから、夜中にこっそり縄をほどいてやった。朝まで放って置いたら風邪を引いてしまうからだ。
「何で私のことを隠してるの?」
「知らないよ・・・」
「私、ずっと隠れてくらすの?」
「違うよ。お兄ちゃんがそのうち連れて逃げてやるから、我慢しろよ」
俺は中学を出たら、公子を連れて逃げようと思うようになった。
でも、自分がいるのは〇〇県の山奥。町までどうやって出ていいかもわからなかった。それに、お年玉なんかももらったことがなくて、自分のお金と言うのを一切持っていなかった。そもそもお金をあまり見たことがなかった。役所の近くにはスーパーみたいなのがあったけど、ほとんど行ったことがなかった。うちはそれだけ貧乏だったんだ。
◇◇◇
ある時、学校から帰ると公子がいなくなっていた。いつも外で待っているのに、その日に限っていなかった。家中を探してもやっぱり見当たらない。
「公子は?」
「ああ。さっき迎えに来た」
「誰が?」
「女の子が欲しいって人にあげた」
「え?ひどいよ!さよならも言ってないなんて」
「お前が反対すると思ったから言えなかった」
父親が面倒くさそうに言った。
それから、父親は働かなくなった。いつも家でゴロゴロしている。タバコを吸って、酒を飲んで、廃人のようだった。暴力を振るわなかっただけましかもしれない。
でも、家にいるだけで怖かった。パチンコ依存症に逆戻りしてしまうんじゃないか。有り金を全部使ってしまって、夜逃げするんじゃないかと。母は相変わらず売春で家計を支えていたし、毎年出産していた。
家には公子を入れて、6人も子どもがいたのだけど、一番最初に公子がいなくなって、次にその下の男の子がいなくなった。毎日世話をしてたのに、あまり印象がない。ただ、面倒くさいだけだった。みんな俺になついていたけど、俺が好きだったのは公子だけ。ある日、次男がいなくなったから俺は尋ねた。
「久雄は?」俺は尋ねた。
「さっき、迎えに来た」
「そう。どこに行ったの?」
俺は一人減ってほっとしていた。
「跡取りのいない農家にやった」
もしかして、俺より豊かに暮らすようになるんじゃないか。俺は嫉妬すら感じた。
「ちゃんと学校とか行かせてやるの?」
「知らない」
それから、また両親は少し潤っていた。
毎年、家畜のように子どもを売っていたから、それで暮らしていたんだと思う。
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