3227話

「まぁ、こんなものだろ」


 燃やしつくされた黒い円球を見て、レイはそう呟く。

 レイにとって、既に穢れというのは強敵ではない。

 一ヶ所に纏めて魔法を使えば、それだけで倒せる相手だ。

 触れることによって黒い塵となって吸収されてしまうという厄介さはあるものの、穢れの習性である攻撃した相手を敵と見なすというのを利用すれば、セトが穢れを引き付けている時に邪魔をされず一方的に魔法を使うことが出来る。

 どこに転移してくるのか分からないということも厄介ではあるが、その辺はニールセンがいれば長からの情報でなんとでも対処することが出来た。

 そういう意味では、こうして見つけてしまえばレイにとって穢れに対処するのは難しい話ではない。


「穢れの研究をするのなら、ミスリルの結界だったっけ? それを動かせるようにすればいいのにね」


 黒い円球が全滅したのを見たニールセンが、何気なく呟く。

 しかし、その言葉はレイにとって驚きだった。


「そうか、そうだよな。炎獄だと敵を捕獲することは出来るけど、炎獄はその場に固定されている。けど、マジックアイテムのミスリルの結界なら、もしかしたら……」


 絶対にミスリルの結界が動かせるようになるとは限らない。

 しかし、それは動かせないということでもない……かもしれないのだ。

 レイがその辺について考えても、実際にどうなるのかは分からないが、それでも実際にやってみなければ分からないし、あるいはミスリルの結界を作った錬金術師にその辺について聞いてもいい。


「その辺はレイの好きにしたらいいんじゃない? それで駄目ならどうにもならないでしょうし、どうにか出来るのなら穢れの管理が楽になるでしょうし」

「そうだな。少しくらい出発するのが遅れるようになっても、そうした方がいいかもしれないな」


 現在、野営地の周辺には十近くの炎獄が存在している。

 それらの中には全て穢れが入っているのだが、それらの炎獄は当然ながら規則的に設置されている訳ではなく、穢れの出現した場所に作られていた。

 上手い具合に穢れを誘導することが出来れば、ある程度纏めて炎獄を設置出来るのだが……今まではそのようなことを考えず、少しでも早く炎獄に捕獲するという流れだった。

 しかし、ミスリルの結界が動かせるようになれば規則的に捕らえた穢れを観察することが出来る。

 また、炎獄の場合と違って、どこにどの炎獄があるのか迷うといったようなことにもならないだろう。


「え? 遅れるの? それはちょっと……一応ミスリルの結界はもうあるんだから。それで捕獲をすればいいんだし、レイは別に残る必要はないんじゃない?」


 ニールセンにしてみれば、穢れの一件は早く片付けたい。

 岩の幻影で隠されている洞窟が、穢れの関係者にとって重要な場所なのは間違いないだろう。

 だが、重要な場所だからといって本拠地であるとは限らないのだ。

 だからこそ、今は少しでも早くレイと一緒に行動し、それを確認したかった。

 だというのに、レイはまだここに残ると言う。

 ……ニールセンは自分の口の軽さに失敗をしたと落ち込む。

 自分が余計なことを言わなければ、もっと早く穢れの件を解決出来たのではないかと思い。


「その辺はダスカー様とかに相談をしてからだな。もしダスカー様が問題ないと判断すれば、ミスリルの結界の改良については任せてもいいし。……それ以前に、ミスリルの結界が改良出来るかどうかも分からないしな」


 もしミスリルの結界を作った錬金術師の男に改良の話を頼み、それが無理だと言われれば、レイも諦めるしかない。

 話を聞いていたニールセンは、出来ればその通りになって欲しいと思う。

 口には出せなかったが。

 もしそれを口に出したりしたら、レイから一体どのような視線を向けられるのか……考えるまでもなく明らかだったからだ。

 いや、それだけなら問題はない。

 だがその件がもし長の耳にでも入ったりしたら、どうなるか。

 間違いなくお仕置きをされてしまうだろう。

 それはニールセンにとっても、絶対にごめんだった。


「じゃあ、さっさと戻るか。フラットが赤ん坊の件で報告書を書くと言ってたから、それに便乗してダスカー様にミスリルの結界の改良についても知らせておこう」


 いざとなれば、エレーナが持っている対のオーブを使ってダスカーに連絡をとることも出来る。

 しかしその場合、ダスカーに会いに行くのは恐らくマリーナとなるだろう。

 本来ならギルムの領主のダスカーとはそう簡単に面会は出来ない。

 それは貴族派の代表としてギルムにいるエレーナも同様だ。

 だがそんな中で、マリーナだけは違う。

 それこそダスカーが子供の頃から知っていることもあり、古い馴染みということで自由にダスカーに会うことが出来るのだ。

 出来るのだが……そのマリーナは、ダスカーの小さい頃の話、いわゆる黒歴史と呼ぶべきものを知っている。

 ダスカーにしてみれば、そのような話は出来るだけ人に聞かれたくないし、自分でも思い出したくない。

 そんなダスカーにマリーナを会いに行かせるというのは、レイから見ても少し悪いと思えてしまう。

 そんな訳で、レイは先程助けた物資を運ぶ馬車に手紙……というか、要望書を書いて送るつもりになっていた。


「そうね。馬車ももう野営地に向かったし……多分大丈夫でしょうけど、無事に到着したかどうか、確認する意味でも移動した方がいいかもしれないわね」


 ニールセンは既にミスリルの結界の改良についての話を止めることは出来ないと判断したのか、レイに向かってそう言うのだった。






「おお、レイ殿。今回は助かりました!」


 野営地に戻ってきてたレイを見つけると、一人の男がそう口にしながら近づいてくる。

 それが誰なのかは、レイも知っていた。

 馬車と接触した時は移動中で御者としか話さなかったが、その時は荷台の中にいた人物だ。

 いわば、物資を運ぶ馬車の責任者とでも呼ぶべき存在。

 物資を運ぶだけなら、御者と護衛がいればいい。

 だが、この馬車が向かうのはトレントの森にある野営地だ。

 異世界の湖、異世界のリザードマン、妖精、そして今は穢れ。

 それらの件もあり、やはりただの御者に全てを任せる訳にはいかないというのがダスカーの、あるいはギルムの上層部の判断なのだろう。

 そんな訳で、相応の人物が物資輸送の責任者という形でここにはいた。

 ダスカーの部下でもそれなりに優秀な人物として知られており、本来ならこのようなことをするような人物ではないのだが。


「そっちも無事なようで何よりだった。それで、赤ん坊の件はフラットから聞いたか?」

「ええ、聞きました。……それにしても、辺境とはいえ不思議なことが起きますね」


 ギルムにいる自分であっても、不思議だと思うことだと。

 そう告げる男。


「そうなのか? いやまぁ、そういう話は俺も聞いたことがないけど」

「はい。私はそういう話を聞いたことはありませんね。……とはいえ、その赤ん坊が幸運だったのは間違いないでしょうね」


 普通に考えれば、モンスターか鳥、もしくはそれ以外の何かなのかは分からないが、親元から連れ去られた赤ん坊は決して幸運ではないだろう。

 しかし、何をされても抵抗出来ない赤ん坊が、曲がりなりにも怪我をせずに保護されたのだ。

 これは幸運……もしくは不幸中の幸いといったのは無理もないだろう。

 もし落下した時にリザードマンが受け止めていなければ、それだけで死んでいたのは間違いない。


「そうだな。幸運だったのは間違いないな。……その件でフラットがダスカー様に報告書を上げるという話だったけど、もう貰ったか?」

「いえ、まだですね。もう少し時間が掛かるということでしたので」

「そうか。なら、丁度いい。実は俺もダスカー様にマジックアイテムの改良……えっと、その件は知ってるよな?」

「はい、知っています。その件で何か改良を?」

「そうだ。その件について手紙をダスカー様に渡したいから、頼まれてくれないか?」

「構いませんよ。レイ殿からの要望には可能な限り対応するようにと言われてますから」

「助かる。じゃあ、俺はちょっと手紙を書いてくるから待っててくれ。……セト、お前は少しゆっくりとしていてくれ」

「グルゥ」


 レイの言葉にセトは分かったと喉を鳴らして、そのまま離れていく。

 ……そのセトの毛の中にはニールセンがいたのだが、今は顔を出さない方がいいと判断したのだろう。

 そのままセトと共に姿を消していく。


「じゃあ、俺はちょっとフラットに会ってくるから、少し待っていてくれ」

「分かりました。頑張って下さいね」


 レイは男とそう言葉を交わし、その場から離れていく。

 向かうのは、男に口にしたようにフラットのいる場所。

 正確には、フラットのテント。

 そのテントに近付き、テントの中に向かってレイは声を掛ける。


「フラット、ちょっといいか?」

「何か用事が? 入ってくれ」


 テントの中からそう言われたレイが中に入ると、そこでは既に赤ん坊の件の報告書は書き上がったのか、ゆっくりとした様子を見せるフラットの姿があった。


「ミスリルの結界の件で、改良点がある。それをダスカー様に知らせたいんだけど」

「改良点? 特に何も問題はないように思えるが」


 フラットから見て、ミスリルの結界は炎獄と同程度……いや、捕獲した穢れが餓死するのが炎獄よりも早い以上、炎獄の上位互換という認識だった。

 勿論信頼度という点では、今まで何度も穢れを閉じ込めてきた炎獄の方が上だが。

 それもミスリルの結界を使い続けていけば、やがて信頼出来るようになるだろう。

 そのようなミスリルの結界に改良点があるとは思えない。


「そうだな。今のところ結界の頑強さとかそういうので、問題はない。けど……俺の炎獄は魔法として完成してるから無理だが、ミスリルの結界なら結界を展開したまま動かすようにとか出来るかもしれないと思わないか?」

「それは……いや、だが……そのようなことが本当に出来るのか?」

「あくまでも可能性だ。出来ればより使いやすくなるという」


 出来なくても仕方がないが、出来るのならやって欲しい。

 レイとしてはそんな感じで口にしていた。

 フラットも、レイの様子からそこまで本気でやらなければならないと思っている訳ではないのだと理解する。

 今のこの状況を考えれば、レイとしてはそれなりにどうにかしたいと思っているのだ。


「分かった。その辺については俺の方でダスカー様に連絡しよう。それとも、レイが直接書くか?」

「フラットが書いてくれるのなら、そっちの方がいいな。……ここで穢れの研究がより効率的に出来るようになれば、この先に大きな意味を持つだろうし」


 本来なら、レイは自分でダスカーに手紙なり陳情書なりを書かなければいけないと思っていた。

 しかし、フラットが自分の代わりにそれをやってくれるというのなら、レイがわざわざ自分でそのようなことをやる必要はない。


「穢れの件については、少しでも早く対処したいからな。それを考えると、少し頑張って書くとしよう」


 やる気に満ちた様子のフラット。

 そんなフラットにレイは頼むと軽く声を掛けると、フラットのテントから離れる。


(どこに行くかな。……ミスリルの結界がどうなったか、ちょっと見てくるか)


 今日……というか、先程展開したばかりのミスリルの結界だったが、何かあったら大変だろうと、レイは自分の行く先を決める。

 もっとも、ミスリルの結界のある方から悲鳴や怒声が聞こえてくることはないので、問題は何も起きていないのだろうが。


「ん?」


 ミスリルの結界を見に行く途中、野営地の中央付近にある炎……レイが魔法で生み出した、暖房用の炎の近くに多数のリザードマン達がいることに気が付く。


(そう言えば、さっき俺を呼んだ空から落ちてきた赤ん坊を受け止めたリザードマンの側に他のリザードマンがいなかったみたいだが……これが理由か?)


 一体何をしてるのか気になるレイだったが、今はそれよりもミスリルの結界の方を確認しておく必要がある。

 リザードマン達を遠目に見ながらも、野営地から出ていく。

 新たなミスリルの結界の実験を行っているのは、野営地の外となるのだから、そのようなことになるのは当然だろう。

 それはつまり、ミスリルの結界を見ている研究者達も野営地の外にいるということになり、護衛をする者も気を抜けない。


(そういう意味だと、赤ん坊の件で俺に絡んで来た護衛は……いやまぁ、俺が気にすることじゃないか。あの連中を雇ってる研究者が問題ないと思えばそのままになるんだろうし、問題があると判断すれば首になる筈だ。……あの連中は面倒臭いし、出来ればさっさと首になってくれるといいんだけどな)


 そんな風に思いつつ、レイはミスリルの結界のある場所に向かうのだった。

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