3193話

 小隊長以外の騎士達は、一斉に男に攻撃をする。

 当然だが、その攻撃は黒い円球によって防がれてしまう。

 そして黒い円球は攻撃をした騎士を狙うものの、黒い円球の移動速度は決して速いものではない。

 男が直接コントロールをするとかなりの速さになるのだが、男は今のところそのようなつもりはないらしい。

 これは男が自分の勝利を間違いないと確信している為で、余裕からくるものだ。

 本人にしてみれば余裕だが、それを見ている小隊長にしてみれば傲慢としか思えない。

 そして小隊長は、今は何とか少しでもここから脱出しようと考えている。

 小隊長の部下の騎士達が黒い円球に追われているのを見ながら、悔しさに腹の底からの怒りをなんとか抑えながら、それでもなお今はどうにかしてここを脱出する方法を考えていた。

 何とかどうしようかと考えていた小隊長だったが、ふと異変に気が付く。

 逃げ惑う騎士を満足そうに見ている男の足下で何かが動いたように思えたのだ。

 最初は蛇か何かか? とも思ったのだが、違う。

 男は自分の足下で動いている存在に気が付いてはいない。

 何かあった時の為に、男の周囲にはまだ複数の黒い円球がある。

 もし男が自分の足下で動いている何かに気が付いていれば、すぐにでもそれを黒い円球で黒い塵と変えて吸収するだろう。


(これは……)


 それが何なのかは、小隊長にも分からない。

 だが、今はそれによってこの場から脱出する切っ掛けになるかもしれないのだ。

 だからこそ、足下で動いている何かに期待するしかなかった。


(蔦、か?)


 動いているものの正体を知った小隊長は、騎士達の様子を見守る振りをしながら、周囲の様子を確認する。

 あの蔦がモンスターなのか、もしくは魔法、マジックアイテム、スキルといったものなのか。

 その辺りは小隊長には分からなかったが、それでも男に何かを仕掛けるつもりなのは明らかだった。

 もし魔法のようなものによってのものであれば、それを行っている者がどこかにいるかもしれない。

 そう思ったのだが、小隊長にはその誰かを見つけることが出来ない。

 あまり露骨にその誰かを捜していると、男に自分の行動の不自然さに気が付かれるかもしれない。

 その為、詳細に周囲を調べられなかったのだが……


「うおっ!」


 不意に男が声を上げる。

 蛇のように移動してきた蔦が、不意に男の足に絡みついたのだ。

 男にとって、このようなことは完全に予想外だったのだろう。

 慌てた声を発し、それを聞いた瞬間に小隊長は走り出す。


「死ぬなよ!」


 そう叫びながら。

 小隊長も、その言葉通り部下の騎士達がこの状況で生き延びられる可能性は限りなく低いというのは理解していた。

 しかし、それでも自分の部下達だ。

 何とか生き残っていて欲しいという思いがあるのは当然の話で、だからこそ無駄だろうとは知りつつも、そう叫んでその場を離脱したのだ。


「小隊長こそ、気を付けて下さい!」


 まだそれなりに余裕があった騎士の一人が、この場から走り去った小隊長に向かって叫ぶ。

 他の騎士達も、言葉には出さないがその気持ちは一緒だ。

 だが……してやったりといった気分の高揚は、すぐに消える。

 先程まではゆっくりと自分達を追ってきていた黒い円球の速度が、急に増したのだ。

 誰がそのような真似をしたのか。

 それは考えるまでもなく明らかだろう。


「魔法使いがいたのか! 私を虚仮にした報いを受けさせてやる!」


 足に絡みついてきた蔦を引き千切ると、男が叫ぶ。

 今までは相手をいたぶるのが目的だったので黙っていたものの、自分を虚仮にした相手を決して許すようなことは出来なかった。

 その男の言葉に、騎士達は黒い円球を回避しつつも疑問を抱く。

 この小隊の中に魔法を使える者は存在しない。

 だというのに、何故このようなことを言うのか、と。

 騎士達は小隊長がこの場から脱出したのは見ていたものの、どのような切っ掛けでそのような行動に出たのかは分からない。

 黒い円球から逃げていたので、具体的に何があったのか分からないのだ。

 だからこそ魔法を使ったと口にした男の様子に疑問を抱く。

 だが、この小隊の中に魔法使いがいないというのを、騎士達が口にするつもりはない。

 そのような真似をしたら、敵である男に向けていらない情報を渡すだけなのだから。

 同時にもし本当にここに魔法使いがいるのなら、自分達を援護してくれるかもしれないとすら思う。

 それで具体的にどのようなことになるのかは分からない。

 しかし、騎士達は自分達はここで死ぬのだと思っていた。

 それだけに、もしかしたら小隊長を手助けしてくれたと思しき魔法使いのお陰で生き残れるかもしれない。

 そのような思いを抱きつつ、騎士達は気合いを入れ直すのだった。






 時は戻る。

 妖精郷の中にある木の中で眠っていたニールセンだったが、その木が激しく叩かれたことによって目を覚ます。

 実際に自分がどのくらい眠っていたのかは分からなかったが、それでも少しは眠ることが出来た為か、精神的な疲れはある程度取れていた。


「どうしたの?」


 木の幹からひょっこりと姿を現したニールセンは、自分が眠っていた木を叩いていた妖精に声を掛ける。

 その妖精は、ニールセンが出て来たのを見ると安堵したように口を開く。


「長が呼んでるから、来てちょうだい」

「……降り注ぐ春風が? 何でまた?」

「さぁ? 私は呼んで来るように言われただけだもの。けど、急いでるようだったから早くして」


 そう促されれば、ニールセンも無視をする訳にはいかない。

 この妖精郷は、あくまでも降り注ぐ春風の治める場所で、ニールセンやイエロ、ドッティはその厚意によって滞在を許されているだけなのだから。


「分かったわ。じゃあ行きましょう。……イエロとドッティは?」

「分からないわ。私が呼んで来るように言われたのは、ニールセンだけだもの」

「……本当に何があったのかしら。この状況で私を呼ぶってことは、何かあったんでしょうけど。もしかして、また巨大な鳥のモンスターが戻ってきたとか、そういうことじゃないわよね?」


 そんな疑問を抱きつつ、ニールセンは案内の妖精に連れられて、妖精郷の奥に向かう。

 ニールセンの妖精郷の長、数多の見えない腕がいるようなのと同じような場所。

 そこには降り注ぐ春風がいつものように笑みを浮かべてニールセンを待っていた。


「ニールセン、待っていました」

「どうしたんですか? もしかして、巨大な鳥のモンスターが戻ってきたとか、そういうことでしょうか?」


 出来れば違っていて欲しいと思いながら尋ねるニールセン。

 巨大な鳥のモンスターは間違いなく高ランクモンスターである以上、出来ればそのような存在と戦いたいとは思わなかった。

 だからこそ、恐る恐ると聞いたのだが……


「いえ、あの巨大な鳥のモンスターの件ではないわ」


 降り注ぐ春風の言葉に安堵するニールセン。

 しかし、ニールセンの面倒なことがなければいいという思いは、巨大な鳥のモンスターの件ではないということで助かったという思いがあったが……降り注ぐ春風が改めて口を開くことで、新たな問題に対面することになる。


「どうやら、あのブレスの影響を調べに来た人達がいるみたいでね」

「……え? もうですか?」


 ニールセンも、あのような巨大な鳥のモンスターが放ったブレス……それこそ森の一部が壊滅状態になったのだから、そのままということになるとは思っていなかった。

 ここが街や村が全くない、誰も人が近寄らないような場所にあるのならともかく、森には猟師を始めとして、それなりに人が来るというのをニールセンは知っている。

 だからこそ、いずれ調査に誰かがやって来るとは思っていたものの、まさかその日のうちに来るというのは完全に予想外だった。


「ええ。どうやら偶然近くにいた騎士達みたいね。人数はそんなに多くないみたいだけど」

「それは……いえ、まぁ、それは分かりましたけど、何でそれで私が呼ばれたんでしょう?」


 ブレスの痕跡を調べに来たというのは、ニールセンにも理解は出来た。

 しかし、それで何故自分が改めて呼ばれるのか。

 そう疑問に思ったのだが……


「どうやら騎士達は、高ランクモンスター同士が森で戦って、その結果としてああいう風になったと認識したみたいね」

「あ、あははは。高ランクモンスターですか。ある意味で間違ってはいないんですけどね」


 ニールセンやドッティはともかく、イエロはドラゴンの子供である以上、高ランクモンスターだ。

 そういう意味では決して間違ってはいない。

 そしてイエロやニールセンと巨大な鳥のモンスターが戦ったのも、間違いではない。

 間違ってはいないのだが、ニールセンは降り注ぐ春風が口にした内容は致命的に認識の違いがあると思えた。


「ええ、分かってるわ。私も見ていたもの。ニールセンが何を言いたいのかは分かる。けど、客観的に見た場合、この判断が決して間違ってると言えないのも事実なのは分かるでしょう?」

「それは……」


 そう言われると、ニールセンもその言葉に反論は出来ない。

 普通に考えた場合、まさか嫌がらせをしていたら苛立った巨大な鳥のモンスターがブレスを放って森を荒らしたといったようなことを予想しろという方が無理だろう。

 もっとも、これが実は嫌がらせがもっと軽いものであれば話は別だったのだろう。

 だが、ニールセンの使った妖精魔法によって翼から生えている羽根に蔦が巻き付き、その上で巨大な鳥のモンスターが暴れた結果として、かなりの羽根が翼から引き抜かれることになった。

 人間にしてみれば、髪の毛を一本ずつ無造作に引き抜かれているかのような……あるいは髪の毛以外の体毛かもしれないが、そのような状況なのだ。

 普通に考えた場合、それで怒るなという方が無理だろう。

 ましてや、巨大な鳥のモンスターはとてもではないが理性的な存在ではない。

 それだけに、苛立ちからブレスを放って妖精魔法を使った相手を吹き飛ばしてしまえと思ってもおかしくはない。


「それで、その……どうしましょう?」

「ちょっと様子を見てきてくれる?」

「……え? 私がですか?」


 降り注ぐ春風から言われた言葉は、ニールセンにとっては意外なものだった。

 勿論、やれと言われればやる。

 だが、それでも自分がわざわざそのような真似をするよりは、この妖精郷の長である降り注ぐ春風が偵察をした方が、相手の様子をしっかりと確認出来るだろう。

 なのに、何故自分が?

 そう疑問に思うニールセンだったが、降り注ぐ春風は笑みを浮かべて口を開く。


「私は長だから、基本的には妖精郷から出ることは出来ないのよ」


 え? 今更?

 降り注ぐ春風の言葉にニールセンがそう思ったのは、当然だろう。

 とはいえ、ニールセンがこの妖精郷に初めてやって来た時や、巨大な鳥のモンスターとの一件が終わった後で降り注ぐ春風は姿を現したが、どちらもかなり特殊な状況なのは間違いなかった。

 であれば、基本的に妖精郷から出ることが出来ないという降り注ぐ春風の言葉にも納得するしかない。


「じゃあ、その……もしかして、私が様子を見てくるとか?」


 多分そうなんだろうな。だけど違っていて欲しいな。

 そんな思いで尋ねるニールセンに、降り注ぐ春風は頷く。


「ええ。勿論この妖精郷から何人か向かわせるけど、今回の件はニールセンも見ておいた方がいいと思うのよ」

「その、何ででしょう? 私がここに来たのは、あくまでも穢れの関係者の拠点を確認する為で、巨大な鳥のモンスターの一件を調べに来た相手は別に……」

「そうかもしれないけど、それでも調査に来た人達は穢れの関係者の拠点に行くかもしれないでしょう? そして小屋を調べれば、おかしいと思う」

「……そうですね」


 降り注ぐ春風の言葉は、ニールセンにも否定は出来ない。

 ただの掘っ立て小屋か何かだと思って中に入ってみれば、中は空間拡張されているのだ。

 そうなると、調べに来た者達もそれがただの掘っ立て小屋だとは思わず、詳しく調査するだろう。


「ニールセン達が調べても特に何も見つからなかったけど、その人達も同じように何も見つからないとは限らない。……違う?」

「違いません」


 自分達が調べて何も見つからなかったから、調査に来た者達も何も見つけることが出来ない。

 そうなるとは、ニールセンも思ってはいなかった。


「でしょう? なら、ニールセンも直接見てきた方がいいと思わない?」


 降り注ぐ春風にそう言われると、ニールセンもその言葉に反論は出来ない。

 もし自分の知らない場所で、穢れに関する何らかの手掛かりが発見されたりした場合、悔やむどころの話ではない。

 面倒だから、疲れているからという理由でそうなったら、妖精郷に戻ってから長に……数多の見えない腕にお仕置きされるのは確実だろう。

 そのことを考えると、降り注ぐ春風の言葉をニールセンが断るといった選択肢は存在しなかった。

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