3170話

 ボブと長の一件が取りあえず収まると、レイは長に改めて尋ねる。


「それで、長。俺とボブを呼んだのは何でだ? ミレリアから聞いた話だと、別に穢れが現れた訳でもないって話だったけど」


 そう言いつつ、レイはミレリアに視線を向ける……が、つい先程までそこにいたミレリアの姿はどこにもない。

 いつの間にか、ミレリアは姿を消していた。

 レイにも気が付かせずに姿を消すというのは、ある意味でかなりの技術が必要になることなのだが……恐らく長に見つかりたくないと思っての行動なのだろうと考えると、そんな凄い技術を無駄に使っているようにしか思えなかった。


「あら? ……まぁ、いいでしょう」


 レイの様子を見て、長もまたいつの間にかミレリアが姿を消していることに気が付く。

 だが、長はそれに対して特に気にした様子もなくレイに向かって声を掛ける。


「レイ殿、お呼びだてして申し訳ありません」

「いや、今日は特にやることもなかったしな。それにゆっくりと寝て疲れも取れたし、そのくらいのことは問題ない」


 ボブと自分で長の態度が露骨に違うことには慣れたので、レイも長の態度に驚いたりといったことはしない。

 これでボブが長の態度に不満を持っていれば、レイも少しは態度を考えるのだが……ボブは長の態度に特に不満を抱いていなかった。

 実際、長がいなければ自分が穢れによってどのような目に遭っていたのかということを考えると、長はボブにとって命の恩人だ。

 これで何か露骨に不利益を被っていれば、ボブも不満を抱いたのかもしれないが、特にそのようなことはない。

 なら、ボブの性格として長のこのような態度は普通に受け入れても問題はなかった。

 これでもしボブが無駄にプライドが高かったりした場合、長もボブを助けるといったことはしなかっただろう。

 もしくは、最初に会った時にレイに喧嘩を売るような真似をして、その時点で見捨てられて妖精郷に連れてこられることはなかったか。

 ともあれ、ボブの性格はそういう意味では自分の命を救ったと言ってもいいだろう。

 本人にその気があるかどうかは、別として。


「実は、妖精郷の近くに何人か人がやって来ています。それをどう対応したらいいのかお聞きしたくて」

「……妖精郷の近くに?」


 長の言葉を聞いたレイが真っ先に思い浮かべたのは、昨夜遭遇したブロカーズ。

 そのブロカーズが妖精郷にやって来たのではないかと。

 そう思ったものの、その思いつきはすぐに却下する。

 幾ら何でも、昨日の今日……いや、日付は変わっていたので今日の今日と呼ぶべきか。

 とにかくそのような状況でブロカーズが妖精郷に来るとは思えなかった。


(あ、でも王都から来た重要人物なのに、イスナだけを連れて野営地に行こうとした人物だぞ? もしかして……そんな風に思ってしまうのは……いや、ないか。そもそも妖精郷がトレントの森にあるってのは知っていても、具体的にどこにあるのかというのは分からない筈だし)


 トレントの森と一口で言っても、その広さはかなりのものだ。

 そんな広さの中で、偶然妖精郷のある場所に到着するといった真似は出来る筈もない。


(となると、誰だ?)


 現状において、妖精郷に来るような相手はレイにも分からない。

 ボブを見てみるが、ボブは戸惑った表情を浮かべているだけだ。

 レイは妖精郷を頻繁に出ているものの、ボブは基本的に妖精郷の中にいる。

 猟師として優秀なので、何人かの妖精と狩りに出るようなことはあるかもしれないが、それもあくまで妖精郷の近くだ。

 他の者と会うようなことはない。


「長、妖精郷の近くにいる奴は、何か妙なことを企んでいたりとか、そういうことはないか?」

「分かりませんね。強力な悪意を抱いているとかなら分かりますが、そうでもなく……少し悪意を抱いているだけでは、判別出来ません」


 長の言葉に、レイは少し困る。

 とはいえ、それでもそこまで強力な悪意を抱いている人物ではないというのがはっきりしたので、そういう意味では悪くないことだったのだが。


「そうなると、直接見に行くしかないか。……ボブはどうする?」

「ここに残ります。足手纏いになると思いますし」


 ボブは腕利きの猟師で、弓の技術は非常に高い。

 だが、それはあくまでも弓の技術であって、もし敵と戦うことになった場合、その相手が接近してくれば対処は難しい。

 だからこそ、レイと一緒に行ってそのような状況になったらレイの足を引っ張るだけだというのを十分に理解しているのだろう。

 レイもそんなボブの考えは理解していたので、すぐに頷く。


「分かった。じゃあ、俺とセトで見てくる」

「グルゥ!」


 レイが一応ということでセトに尋ねるが、それを聞いたセトは一瞬の躊躇もなく喉を鳴らす。

 そんなセトを撫でながら、レイは長に視線を向ける。


「行ってくる」

「お気を付けて」


 その言葉を聞きながら、レイはセトの背に乗る。

 すぐにその場を走り出すセト。

 見る間に流れていく景色は、慣れていない者にしてみれば非常に珍しいだろう。

 だが、セトに乗ることが多いレイにしてみれば、この程度の光景はもう見慣れている。

 少しだけ面白かったのは、走っているセトとレイに声を掛けようとした妖精が何人かいたのだが、セトの速度に実際に声を掛けるような真似は全く出来なかったということだろう。

 声を掛けようとした次の瞬間には、レイを乗せたセトはその場から走り去っているのだから、当然のことだったのかもしれないが。

 そうしてセトが妖精郷の中を走り抜け、やがて霧の空間に突入する。

 セトは霧の空間に入っても足を緩めることも、ましてや止めることもしない。

 妖精郷から出た時の勢いのまま、霧の空間を走り抜ける。

 ……霧の空間に住んでいる狼達にしてみれば、それこそいい迷惑だろう。

 とはいえ、セトの強さを知っている狼達としては、それを不満に思ってセトに攻撃をしたりといった真似は出来ない。

 もしそのような真似をすれば、それこそ返り討ちにあうのは明らかなのだから。

 結局狼達が出来るのは、霧の空間を走り抜けるレイとセトを黙って見送るだけだった。

 霧の空間を突破したセトは、そこで一旦足を止める。

 レイがそうするように頼んだからだ。

 レイにしてみれば、妖精郷の近くに誰かが来ているという情報は長から聞いたものの、具体的にどこにいるのかというのは聞いていない。

 そうである以上、このままセトに乗って突っ込んだ場合、もしかしたら妖精郷の近くにいるという者達に突っ込んで、敵と認識される可能性もあると判断した為だ。

 そのようなことになってしまった場合、妖精郷の近くに来た相手と問答無用で戦闘になるという可能性も否定出来ない。

 妖精郷の周囲にいる者達にしてみれば、モンスターや動物が多数棲息しているトレントの森でいきなり攻撃を受けたのだ。

 反射的に攻撃をするといった真似をしても、おかしくはない。


「とはいえ……いないな」


 セトの背の上から周囲の様子を確認するが、そこには誰の姿も見えない。


(そもそも、トレントの森の周囲には警備の兵士がいる。……まぁ、人数の都合上、決して厳重な警備って訳でもないんだが)


 実際に以前アブエロから侵入した冒険者と、レイは遭遇している。

 実際には穢れに襲われているところを助けたというのが正しいのだが。

 結果として警備兵に引き渡したが、それからどうなったのかはレイにも分からない。

 とにかく、兵士達の隙を突いてトレントの森に入るのは、決して難しいことではない。

 だとすれば、妖精郷の近くに来た者達もその手の者達か。

 そう思って周囲の様子を見て……


「グルゥ」

「向こうか。セト、頼む」


 レイよりも先に、セトが気配を察知して喉を鳴らす。

 そちらに視線を向けたレイの頼みにより、セトは気配のする方に向かって走り出す。

 セトの走る速度で一分も掛からずに目的の人物達の姿は見えてきた。

 見えてきたのだが……


「あれ?」


 アブエロの冒険者といった可能性が一番高いと思っていたレイだったが、見えてきた相手の姿に思わず声を上げる。

 当然だろう。それは明らかに冒険者ではなく、兵士達だったのだから。

 いや、実際には数人の冒険者もいる。

 兵士と冒険者、合わせて十人程の集団。

 その上で、更に兵士の中の何人かにレイは見覚えがあった。

 ……ダスカーの部下の兵士として。

 向こうも急速に近付いてくるレイ達の気配は察していたのだろう。

 何人かは武器を構えていた。

 全員が武器を構えることが出来なかったのは、それだけセトの走ってくる速度が速かった為だろう。

 もっとも、その武器を構えていた者達も姿を現したのがレイとセトであると知ると、安堵した様子で武器を下ろしたが。


「どうしたんだ、こんなところで」


 足を止めたセトの背から降りると、レイは兵士達や冒険者達に向かってそう尋ねる。

 その口調には疑問の色があるが、敵意の類はない。

 相手が顔見知りの者達だったので、何か後ろ暗いところがあってここにやって来た訳ではないと思ったのだろう。

 それを示すように、レイに声を掛けられた中で一人の兵士が前に出て口を開く。


「ダスカー様からの命令で、妖精郷のある場所までの道を確認してこいって言われてきたんだが……本当にレイがいるとは思わなかった」


 その口調には、信じられないといった思いが強く出ている。

 ダスカーから命令されたとはいえ、実際に妖精郷があるとは……そして妖精郷にいると言われていたレイが出てくるとは思っていなかったのだろう。


(これは、どういうことだ? ダスカー様からの命令ってことは、妖精郷についての情報を解禁したのか? この様子を見ると、大々的に公開したというよりは、まずは信用出来る相手にって感じらしいけど)


 そう疑問に思ったレイだったが、数秒考えるとすぐにその理由に思い当たる。


(ブロカーズがギルムに行ったからか)


 昨夜、レイが助けたブロカーズ。

 朝になったらギルムに行くのだろうと予想はしていたが、そんなレイの予想通りになったのだろう。

 そしてブロカーズの件を知ったダスカーは、いつ妖精郷に行くことになってもいいように妖精郷のある場所を確認しようとしてもおかしくはない。

 もっとも、本来なら王都からギルムに到着するまでは結構な時間が掛かる筈だった。

 なのに、何故もうアブエロまでやって来ていたのか……正直なところレイはその辺に強い疑問を感じていたものの、目の前の兵士や冒険者達に聞いても恐らくその辺は知らないだろう。

 ブロカーズに直接聞けば、もしかしたら教えてくれたのかもしれないが……色々とありすぎてそれどころではなかったし、イスナもその辺については話すとは思えなかった。


「ダスカー様からの命令か。それにしても、よくここまで来られたな」


 妖精郷のある場所の大体の位置はレイもダスカーに話している。

 だが、それはあくまでも大体の位置でしかなく、それだけを頼りに本当に妖精郷からそれ程離れていない場所までやって来たのは、レイにとって驚きだった。


「いやまぁ……別にそれは俺達だけでどうにかなった訳じゃないしな。道案内の冒険者がいたからだ」

「……ああ、なるほど」


 兵士達の方に意識を向けていたレイは、改めて冒険者達の方に視線を向けると、納得した表情を浮かべる。

 その冒険者達は、樵の護衛をしていた冒険者達だったのだ。

 そういう意味では、兵士達よりも冒険者達の方がレイとの関係は深い。


「もう樵の護衛はいいのか?」

「ああ、樵の仕事は終わりだ」


 そう言う冒険者の言葉は、レイにも十分に予想出来ていた。

 そもそも、故郷に帰る樵の影響で木の伐採を出来る樵は減っていた。

 そんな中で、伐採した木に魔法的な処理をする錬金術師達がダスカーから穢れを捕らえるマジックアイテムの依頼を引き受けたのだ。

 そうなると、錬金術師達の性格からしてマジックアイテムの方に集中するのは分かりきっていた。

 ましてや、レイは錬金術師達のやる気を出す為に、魔の森のモンスターを餌にしている。

 ダスカーからの命令ということもあり、いつ雪が降り始めてもおかしくはないこのタイミングは、樵の仕事を終えるという意味では最善だったのだろう。


「なるほど。それでここに。……それでもよくここまで来られたな」


 樵の護衛をしていた冒険者達は、当然ながら樵が仕事をしている場所の近辺にいる必要がある。

 そしてトレントの森の外側から木を伐採している以上、トレントの森の中央付近にある妖精郷の近くまでは来たことがなかった。

 だが、こうして兵士達を案内して妖精郷の近くまでやってきたというのは、冒険者達の優秀さを示している。

 元々トレントの森で仕事をするということは、ギルドから優秀な冒険者と認められているからこそなのだが、そのギルドの認識が間違いではなかったことを証明している。


「何とかだけどな。……それで、レイがここにいるということは、やっぱり妖精郷はこの辺りにあるってことでいいんだよな?」

「ああ、案内する。……ただ、中に入るのは許可されないから、妖精郷のすぐ前にまでになる。それでいいか?」


 そうレイが尋ねたのは、話していた冒険者……ではなく、兵士。

 今回の件は兵士が責任者である以上、その辺りの判断は兵士がするのだろうという思いからの行動だったが、それに兵士は素直に頷くのだった。

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