3103話
「どうやら、無事に乗せられたようだな」
研究者達がいなくなった会議室の中で、ダスカーが呟く。
そんなダスカーの側ではエレーナが頷く。
「ダスカー殿の考えが見事に当たった形だな。おかげで、皆がやる気になっていた」
オイゲンを始めとして半分程の研究者は、穢れに強い興味を持っていた。
だが、残り半分の研究者は、穢れに興味がない訳ではなかったが、それ以上に妖精に興味を持っていた。
結局のところ、研究者としてどちらの方により強く興味を持つのかというのは、個人によって違うのだろう。
中には昔から妖精の出てくるお伽噺が好きだったという者もいるだろう。
あるいは妖精の作るマジックアイテムに強い興味を持つ者もいる。
それ以外にも様々な理由によって、穢れよりも妖精を優先したいと思う者は多かった。
しかし、ダスカーとしては現在最重要なのは穢れの対処だ。
現時点において、穢れを倒すことが出来るのはレイとエレーナの二人しかいない。
レイとパーティを組んでいるヴィヘラは戦闘においては天才と呼ぶに相応しい才能――当然努力もしている――を持っているが、近接戦闘を得意とするヴィヘラと穢れの相性は最悪だ。
そうなると遠距離攻撃を行うマリーナだったが、精霊魔法と穢れの相性もまた悪い。
マリーナ本人はそれを知った上で……いや、そのような相手だからこそ、自分で穢れをどうにかしたいと言っているのだが、マリーナの場合は治療院での仕事があってそれを放り出すのは難しい。
そんな訳で、それ以外の面々にも穢れを倒す方法を見つける必要があったのだが、王都には連絡をしたものの、他の者に穢れについて話をする訳にいかないのは事実。
そう思っていたところ、オイゲンを始めとする研究者達が湖の側で穢れと遭遇してしまった。
だが、その場にいたレイからの提案により、研究者に穢れを見られたのなら研究者達を穢れの一件に巻き込んでしまえばいいということになり、それを聞いたエレーナは領主の館にやって来てダスカーと会い、無事説得することに成功した。
とはいえ、穢れよりも妖精の方に興味を持つ者も多かったのだが、そちらの面々も穢れの研究で成果を挙げれば、妖精郷に連れていくということで説得に成功している。
「俺のというか、レイからの提案だからな。この場合、感謝するのはレイにだろう?」
そう言いながら、大きく伸びをするダスカー。
ゴキゴキゴキ、と骨の鳴る音が周囲に響く。
ダスカーがどれだけ疲れているのか、仕事を続けているのか、そして運動不足なのかというのを示していた。
「うわ……」
そのあまりの音に、アーラの口からそんな声が漏れる。
エレーナもまた、声には出さないが驚きの表情でダスカーを見ていた。
そんな二人の視線に気が付いたのだろう。
ダスカーはその強面で少し困ったように笑う。
「一応、朝に多少は運動してるのだがな。それでも仕事が多くて困る。これでも、俺が処理をする書類は最低限なのだが」
その言葉は大袈裟でも何でもない。
ダスカーが処理をする書類は、全体の一割くらいだろう。
それ以外の書類は、ダスカーに届くまでに文官の部下が可能な限り処理をしている。
ただし、全体の一割ではあっても母数が多ければ最終的にダスカーが処理をしなければならない書類はどうしても多くなってしまう。
それらの書類を全てに目を通し、何か疑問があれば担当者を呼んで話を聞く必要がある。
ダスカーが処理しなければならないということは、それだけ重要な書類なのだから。
……もっとも、そんな書類が山となって積まれているのだから、ありがたみも何もないのだが。
「今回の件を持ってきた私が言うのも何ですが、ダスカー殿はもう少し休憩をした方がいいのでは? 今の様子を見ると、かなり無理をしているように見えるのですが」
「そうだな。多少は無理をしているという自覚はある。それでも一応纏まった睡眠時間は取れているし、食事もしっかりしている。執務室で使っている椅子にもマジックアイテムのクッションを使って疲れを軽減している」
だからもう暫くは大丈夫。
そう告げるダスカーに、エレーナは……そしてアーラも心配そうな視線を向ける。
ダスカーは傑物だ。
それは間違いない。
ギルムという特殊な……そして治めるのが非常に難しい街を治め、その上で更にミレアーナ王国の三大派閥の一つ、中立派を率いる。
そのような真似は、そう簡単に出来るものではない。
貴族の中には、自分がダスカーに代わってギルムを治め、中立派を率いたいと思っている者もいる。
しかし、もしそのような者達がダスカーに代わったとしても、恐らく……いや、ほぼ間違いなくダスカーと同じようにギルムを治め、中立派を率いるといった真似は出来ないだろう。
それだけの能力がダスカーにはあり、だからこそエレーナとしてはダスカーに無理をして欲しくない。
とはいえ、ギルムの増築工事に転移してきたリザードマンや生誕の塔、湖、緑人、そして異世界と繋がっている穴や妖精、穢れ。
それらをどうにかする為には、ダスカーの力が必要なのもまた事実。
「かの姫将軍にそこまで心配して貰えるとは、嬉しい限りだ。だが……実際、今はもうすぐ冬ということで増設工事の件はそろそろ終わって春まで休みになるから、その点だけでも大分楽になってきた。そして雪が降って完全に冬になれば、もっと仕事は少なくなってゆっくり出来る」
そう言うダスカーだったが、エレーナから見れば強がりのようにも思えてしまう。
確かに、冬になれば増築工事の件は一段落するだろう。
転移してきた湖の件も、巨大なスライムの一件が解決した。
しかし、穢れの件を始めとして冬になっても全く解決しないことがまだ多数あるのも事実なのだ。
そうである以上、冬になればゆっくり休めるというのは難しいだろう。
もっとも、だからといってここでエレーナがこれ以上何を言っても、あまり意味はない。
エレーナの立場は、あくまでも貴族派の一員で、ギルムにいるのは増築工事において貴族派が妨害をしないようにする為だ。
……実際にはそれは表向きの話で、愛する男と一緒にいたいからというのが真実なのだが。
ともあれ、そういうことになっている以上、エレーナがダスカーに無理を言うといった真似は出来ない。
「では、私はそろそろ……レイにも状況について知らせる必要があるので」
このまま自分がここにいれば、ダスカーに余計に気を遣わせてしまう。
そうなるよりも前に、ここから立ち去った方がいいと判断し、エレーナはダスカーにそう告げる。
ダスカーもそんなエレーナの考えは理解していたが、別に無理に自分がここでエレーナを止めるような必要はないだろうと判断して、その言葉には素直に頷く。
「今回は助かった。……あの研究者達が上手い具合に穢れを研究してくれることを祈っているよ」
それはダスカーの素直な心情だろう。
もし穢れに対する研究が進み、何らかの対抗策が出来れば、それは非常に大きな意味を持つ。
それこそ妖精郷に連れていくといった程度のことはすぐにでも叶えてもいいと思う程に。
そんなダスカーに一礼すると、エレーナはアーラを連れて部屋を出る。
二人を見送ったダスカーは、再び大きく身体を伸ばす。
先程よりは小さいが、再びゴキゴキといった音が部屋の中に響き、ダスカーの強面の顔が不満そうな色を浮かべる。
現在の自分の状況を思えば、ここまで身体を動かせない状態は面白くないのだろう。
それでも先程エレーナに言ったように、朝に訓練をするだけの時間は何とか作っていたのだが。
「ある意味、今の俺がこうして元気なのは緑人達のおかげなのかもしれないな」
この世界に転移してきた緑人達は、現在ダスカーの保護下にある。
そうした緑人達が現在行っているのが、様々な香辛料の生産。
本来ならこのギルムにおいては育つことがない、香辛料となる実や葉、花を生み出す植物。
緑人達はその能力を使ってこのギルムでもそれらの植物を育てているのだ。
それによって出来た香辛料は既にギルムの市場にも出回っており、ダスカーが食べる料理にも使われている。
香辛料の中には薬としての一面を持つ物もあり、料理長がそれらの香辛料を使い、身体に良く、そして当然ながら美味い料理を毎日のように作っている。
ダスカーがここまで忙しいのに元気なのは、その辺も大きな理由があるのだろう。
マジックアイテムを複数使っているのも、元気な理由ではあったが。
「さて、料理長が作る食事を美味く食べる為にも、残ってる仕事を片付けるとするか」
そう言い、ダスカーは執務室に向かうのだった。
「オイゲン様、これからどうしますか?」
ダスカーが仕事に戻った頃、オイゲンは馬車に乗って領主の館から離れていた。
まず向かうのは、現在オイゲンが使っている宿だ。
そこで色々と準備をする必要がある。
今日は元々巨大なスライムの一件を調べに湖に行ったので、特に何かを調べる機器の類は持っていかなかった。
穢れというのが具体的にどのような存在なのか。
その情報については現状分かっていることをダスカーから聞いてはいるものの、それはあくまでも話を聞いただけで、実際にどうなっているのかは分からない。
ダスカーが嘘を吐いているといった訳ではなく、自分でしっかりと確認をする必要があると、そう思っていたのだ。
だからこそ、今回の一件においては穢れについて色々と自分で直接調べる必要がある。
(問題なのは、穢れに触れることが出来ないことだろうな)
そんな風に思いながら、オイゲンは助手に返事をする。
「宿に戻ってある程度の準備を整えたら、トレントの森に向かう。幸い、ダスカー様から許可は貰っているからな」
穢れについて調べて欲しいという依頼を受けた以上、当然だがトレントの森に入る許可は貰っている。
実際には湖の調査をする際にその辺の許可も貰ってはいたのだが、それでも改めてダスカーから許可を貰っているというのは大きい。
後で実はオイゲン達が許可をされているのは湖だけで、トレントの森に入る許可は下りていない。
そんな風に言われて、問題になるようなことがないのはオイゲンにとって悪い話ではなかった。
「分かりました。ですが、そうなると冒険者達が使っている野営地で寝泊まりするようなことになると思いますが、その辺は構いませんか?」
「構わん。今はそういうことするのは少なくなったが、昔は冒険者達と一緒に寝泊まりするといったことは珍しくなかった。偉くなるにつれてそのようなことをする機会は減っていったが、今回の件ではそのような真似をするのもいいだろう」
オイゲンも、それなりの年齢だ。
そうである以上、野営地での寝泊まりというのは身体に決していい訳ではないというのは分かっている。
だが……それでも、穢れについて色々と調べるといったようなことをするとなると、野営地にいなくてはならない。
だからこそ、やる気を出すという意味でも前向きな言葉を口にしていた。
助手の男もそんなオイゲンの考えを理解しているのだろう。
特に何か反論をしたりといったような真似をせず、素直にその言葉に頷く。
「分かりました。では、テントの方は出来るだけ高品質な物を用意した方がいいですね。幸い、ここは冒険者の多いギルムです。そうである以上、野営用の道具を用意するのも難しくはないでしょう」
「任せる」
助手である以上、男はオイゲンが出来るだけ快適な状況で穢れについて調査出来るように準備をする必要があった。
とはいえ、その内心には心配な思いもある。
具体的には、穢れの危険性についてだ。
ダスカーからの話は助手の男も聞いてはいたが、その危険性はちょっと信じられない程だ。
何しろ触れれば黒い塵となって吸収されてしまうという能力は危険すぎる。
もし触れてしまったら、それこそ黒い塵になる前に指や腕、あるいは足……そのような部位を切断する必要があるだろう。
そのようなことはとてもではないが進んでやりたいとは思わないのだが、そうしなければ死んでしまう可能性が高い以上、どうしようもない。
そのような恐怖を覚えても穢れについて調べるオイゲンと共に行動するのは、やはり尊敬するオイゲンを危険に晒したくないという思いがあった。
もしオイゲンが穢れに襲撃されるようなことがあった場合、自分が盾となってでもオイゲンを救う。
そういう思いが助手の頭の中にはあった。
「穢れを調べるにも、触れると駄目というのはやはり痛いな、どうにかして穢れに直接触れることが出来ればいいのだが」
そんな風に呟くオイゲンと、そのオイゲンを守ると決意している助手を乗せて、馬車は移動を続けるのだった。
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