3038話

 結局、トレントの森の地下についてはレイとダスカーもどうすることも出来なかった。

 ダスカーとしては、出来ればアナスタシアとファナには一時的に避難して欲しいと思っているのだが、それを言っても無駄なのはアナスタシアの性格を考えれば明らかだ。

 だからこそ、最終的にダスカーの出した結論はアナスタシアに穢れの件について知らせるだけで、いざとなったら攻撃をして相手……黒いサイコロの注意を引くような真似はせず、すぐに逃げるようにと伝言することにした。

 不安そうな表情を浮かべるダスカーだったが、レイはそこまで心配していない。

 トレントの森の地下空間には、レイにとって祖父のような存在であるグリムもいる。

 グリムがアンデッドである以上、その件をダスカーに話すようなことは出来なかったが、それでもいざという時はグリムがきっと何とかしてくれると思っていた。


(とはいえ、一応グリムにも穢れの件は知らせておいた方がいいんだよな。……こっちからの連絡に反応がなかったのが気になるけど)


 以前、もしかしてグリムなら穢れの件について知っているのかということを聞こうと思い、グリムに連絡をしようとしたレイだったが、その時にグリムの反応はなかった。

 恐らく研究に集中しているのだろうと思ってはいたが、出来るだけ早いうちに連絡をした方がいいのは間違いない。


(まさか、グリムが穢れに触れて消滅させられた……なんてことはまずないと思うけど、心配だしな)


 レイにとっても、グリムは心配すべき相手だ。

 普通ならアンデッドというのは、生きている者を憎む。

 しかし、グリムはその手の感情からは完全ではないにしろ解放されている。

 レイやその仲間に対しては、普通に接してくれる……どころか、可愛がってさえくれるのだ。

 それでも長い時をアンデッドとしてすごしてきたグリムだけに、穢れと遭遇しても何とかなるだろうと、そう楽観的な感情をレイは抱いていた。


「とにかく、地下空間の件はそれでいいとして……まずは、エレーナ殿に生誕の塔に行って貰う必要があるか。いや、その前にギルドに行くんだったな?」

「はい。ただ、俺がギルドに行くと、間違いなく目立ちますので」


 ドラゴンローブを着ているので、一見しただけでレイをレイだと認識するような真似は出来ないだろう。

 だが、一般人と違って冒険者というのは戦う者達だ。

 そうである以上、冒険者の中には身体の動かし方を見ただけで、レイをレイだと認識する者もいるだろう。

 ただでさえ、ギルムに以前からいた冒険者は腕利きの者が多いのだから。

 そんな場所にレイが行けば、セトを連れていなくてもレイをレイだと認識出来る者がいるだろう。

 それだけならまだいい。

 だが、そうしてレイをレイだと認識した者がクリスタルドラゴンの素材を欲しいとレイに言い寄ってくるようなことがあった場合、それは間違いなく面倒なことになってしまう。

 そうレイが説明すると、ダスカーは少し呆れた様子を見せる。

 ダスカーにしてみれば、レイがランクA冒険者になるというのは大歓迎なのだが、だからといって何も未知のドラゴンを倒し、ましてや素材だけならまだしも、一匹丸々持ってくるような真似は褒められたものではないのだろう。

 とはいえ、レイの立場になってみればクリスタルドラゴンの死体をそのまま持ってくるのは当然のことだった。

 これでレイにミスティリングがなければ、泣く泣く……本当に泣く泣く魔石と牙、あるいは眼球といった部位しか持ち帰ることが出来なかっただろう。

 しかし、ドラゴンというのはそれこそ捨てる場所がないと言われるほどに、素材の宝庫なのだ。

 それこそ腸の中にある排泄物の類ですら、ドラゴンの魔力によって非常に高級な肥料として使うことが出来ると知られているくらいだ。

 それこそ薄めずにそのまま肥料として使った場合は、植物が予想以上に繁殖し……場合によっては魔力によってモンスター化してもおかしくはないと、そんな風に思えるくらいには強力な肥料だった。

 だからこそ、レイとしてはそんなドラゴンの素材を一つたりとも無駄にしたくはないと考え、死体をそのまま持ってきたのだ。

 実際、レイが持ってきたクリスタルドラゴンの死体は、未だに未知の部分が多いドラゴンやモンスター、あるいは魔の森について色々と新発見をもたらす。

 そういう意味では感謝されてもいいのだ。

 レイの持ってきたクリスタルドラゴンの死体……いや、それ以外にも複数のモンスターの死体は、間違いなくモンスター学――というのがあればだが――に一石を投じるどころか、二石も三石も投じるような結果をもたらすのだから。

 ダスカーもそれは当然分かっている。

 分かってはいるのだが、それでも今の状況を考えれば、もう少し遠慮して欲しかったというのが正直なところだ。

 レイがギルムで自由に動けないというのは、ダスカーにとっても色々と不味いのだ。

 ましてや、今は穢れというとんでもない件に巻き込まれているのだから尚更に。


「ギルドの方は行く必要がない。こちらからギルドに連絡して、ギルドマスターに事情を説明して貰う」

「いいんですか?」


 ワーカーもダスカー程ではないとはいえ、忙しいのは間違いない。

 そんな状況でワーカーに穢れについて説明させるといったような真似をしてもいいのか。

 そう尋ねるレイに、ダスカーは当然といった様子で頷く。


「今の状況を思えば、ワーカーにも少しは動いて貰う必要がある。それに、エレーナ殿には少しでも早く生誕の塔に行って貰う必要があるのだ」


 そう言われれば、レイもダスカーの言葉に対して否とは言えない。

 現在の自分の状況、そしてギルムの状況が決していいものではないというのは容易に理解出来るのだ。


「分かりました。なら、俺はすぐにマリーナの家に向かいますね」

「待て」


 少しでも早く動いた方がいいと判断したレイだったが、それに待ったを掛けたのはダスカーだ。


「ダスカー様?」

「マリーナの家には見張りがいるだろう。それをどうするつもりだ? それに生誕の塔に向かうにも、エレーナ殿をどうやって連れていく?」

「それは……」


 すぐに思いつくのは、セトの足に掴まっての移動。

 だが、レイの立場ならともかく、ギルムの領主であるダスカーの立場として、それは決して許容出来ることではない

 ただでさえ、エレーナに説明に行って貰うということは、エレーナに……正確には貴族派に借りを作るということになる。

 そんなエレーナをセトの足に掴まって移動させるといった真似は、ダスカーにとって致命的なミスになりかねない。


「セト籠ですかね」


 セト籠なら、足に掴まっての移動ではないし、何よりもセト籠の中に入っているのだから、そこにエレーナがいるとは分からない。

 誰にも知られることなく――マリーナの家にいる面々を除いてだが――エレーナを連れ出すという意味では、決して間違ってはいない方法だった。

 しかし、ダスカーはセト籠を使うというレイの言葉に首を横に振る。


「考えは分かるが、セト籠だと目立ちすぎる」

「それは……まぁ、そうですね」


 セト籠に誰かが乗っていても、具体的にそれが誰なのかというのは外からでは分からない。

 しかし、セト籠そのものが非常に目立つ存在である以上、ダスカーがそれを止めたいという意味はレイにも理解出来た。


「そうなると、どうすれば?」

「まず、こっちで馬車を用意するから、レイには馬車でマリーナの家に行って貰う。そこでエレーナ殿を連れて、馬車でギルムの外に出る。そうして十分に離れたら、後はセトに乗って移動するなりなんなりすればいい。……そう言えば、今更の話だがニールセンはいないのか?」

「う……えっと、その……多分、セトと一緒にマリーナの家にいるんじゃないかと……」


 レイの口から出た言葉に若干の疑問を持つダスカーだったが、取りあえず話の内容からすればニールセンに何らかの危害が加えられた訳ではないと判断したのか、あるいは今はその件に突っ込まない方がいいと判断したのか、取りあえず黙っておく。


「そうか。問題がないのならいい。……一応聞いておくが、何の問題もないんだよな?」

「樵達を助ける時にニールセンの姿を見られないように別行動をして、その結果として合流する機会がなかっただけなので、命の危機という意味では問題はないと思います」


 もしレイの知らない場所で黒いサイコロと遭遇していれば話は別だが、取りあえずそんなことは今は考えなくてもいいだろう。


(いいんだよな? ……実は見つからなかった転移の出入り口の黒いサイコロがニールセンと遭遇してるとか、そういうことはないよな?)


 レイ達は結局転移の出入り口となっている黒いサイコロを見つけることは出来なかった。

 しっかりと探しても見つけることが出来なかった以上、他の黒いサイコロと同じくらいの大きさになって、集中的に狙われないようにしたのだと予想したが、それはあくまでも予想でしかない。

 もしその状況でニールセンがそのような存在と遭遇していた場合、レイにとっては最悪の結末となっていてもおかしくはないのだ。

 とはいえ、それでも今の状況を思えば問題がないだろうと、そう思うのだが。

 ニールセンの性格を考えれば、もしそのような存在と遭遇した場合、それこそ人前に出ないようにとレイに言われたのをすっかり忘れ、そのままレイに助けを求めてくるだろう。

 自分の命とレイとの約束。

 この状況でニールセンがそのどちらを優先するのかは考えるまでもない。


「分かった。では、レイの言葉を信じよう。それなら、レイはエレーナ殿に話をつけてトレントの森まで送ったらまた戻ってきて欲しい。対のオーブを使うのは、ここでの方がいいだろうからな」

「分かりました。……では、伐採した木を置いたらダスカー様が用意した馬車に乗ってマリーナの家に向かいます」


 これからどうするのかの相談を終えると、レイは執務室を出る。

 扉を閉める前に少しダスカーの姿を見ると、そこではレイと話していた時間を取り戻すかのように、必死になって書類に目を通しているダスカーの姿があった。


(あ、そう言えば結局サンドイッチは食べられなかったな)


 急な面会だったこともあるし、相談する内容が多かったというのもある。

 しかし、それでもサンドイッチを食べることが出来なかったのは、レイにとって残念だった。

 領主の館で出るサンドイッチは、一口サイズであるにも関わらず、色々と料理長によって仕事が行われている。

 挟まれている具も複数あり、食べ飽きるといったことがないのも、この場合は嬉しい。

 ドネルケバブっぽい屋台を見て腹が減っていたのだが、それを食べることが出来なかったのは非常に残念だった。

 残念だったが、だからといってサンドイッチを作って欲しいと言える訳もない。


(マリーナの家に戻る途中に、御者の人にあのドネルケバブっぽい料理を買って貰うか)


 そんな風に考えつつ、レイはメイドに案内されて領主の館を出ると、正門から少し離れた場所、それでいて通行の邪魔にならない場所に伐採した木を置く。


「これはダスカー様から許可を貰ってる。後で指示があると思うけど、錬金術師達が建築資材として加工している場所に運んでくれ」

「かしこまりました」


 レイの言葉にメイドは即座に頷く。

 普通なら、客がいきなりこのような真似をすれば困惑したり、怒ったりしてもおかしくはない。

 しかし、ダスカーの信頼が厚いレイがこのような真似をするのなら、それは十分に許容出来ることだった。

 ましてや、後でダスカーから指示があると言われていればなおさらだろう。


「それと、馬車を用意して貰ってる筈なんだが……」

「あちらでしょうか?」


 レイの言葉にメイドが視線をとある方向に向ける。

 そこには領主の館で使われている馬車が向かっているところだった。

 馬車がレイの前で停まったのを見て、レイが呟く。


「どうやらそうらしい」


 レイの言葉を聞いてメイドは頷き……


「レイさん、ダスカー様からの指示で貴族街まで送るようにと言われてきました。それで問題ありませんか?」


 レイの前に停まった馬車の御者がそう言うのに、レイは素直に頷く。


「ああ、それでいい。ただ、マリーナの家に行ったら他にもギルムの外に出たりとかする必要があるんだけど、そっちも聞いてるか?」

「はい、そちらも問題なく」

「ならいい。……それと途中で屋台によって少し買い物を頼みたいんだが、構わないか?」

「へ? はぁ、それは別に構いませんが……」


 買い物をして欲しいというのは御者にとっても予想外だったのか、驚いた様子を見せるがすぐに頷く。

 レイはそんな御者に感謝の言葉を口にし、馬車に乗り込むのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る