3024話

『レイ? ……どうかしたのか?』


 対のオーブを使うと、そこにはすぐにエレーナの姿が映し出される。

 最初こそレイの顔を見て嬉しそうにしていたものの、次の瞬間にはレイの背後の景色がマジックテントの中とは違うということに気が付いたのか、不思議そうに尋ねた。


「ちょっと聞きたいことがあってな。……現在ギルムで何か妙なことが起きてないか?」

『妙なこと? それは穢れのことだろうか?』


 レイの言葉や現在の状況から、恐らく穢れに関係することなのだろうと判断したエレーナは、即座にそう尋ねてくる。

 その察しの良さはエレーナならではのものだろう。

 レイが現在穢れに関わっていると知っているから、というのも大きいのだが。


「そうだ。ちょっと前に長が穢れが出て来たのを感知してな。黒い塊という初めて見る穢れだったが……そっちでも色々とあったけど、倒すことには成功した」


 レイにとっても、まさか大きな黒い塊が転移能力を持っていて、繋がっている場所から次々に黒い塊を出してくるとは思わなかった。

 正直なところ、あれが本当に自分の考えで正解だったのかどうかという確信はない。

 それでも大きな黒い塊と繋がっている場所に向かって魔法や槍の投擲、スキルといった諸々を叩き込んだ以上、もしレイの予想が当たっていた場合、向こう側では相当な被害を受けたのだろうとレイには予想出来た。

 ……とはいえ、それはあくまでもレイの予想であって、実際にそのようになったのかどうかというのはレイにも分からなかったが。


『ふむ、それは何よりだ。それでこうして私に連絡をしてきたということは、つまり……それが陽動か何かだったのではないかと、そう考えたのか?』

「正解だ。殆ど何も言わなくてもこっちの状況を汲み取ってくれるのは嬉しいよ。それで、どうだ? ギルムで何か妙な騒動が起きた様子はないか?」

『そう言われても……ギルムの広さはレイも知っている筈だ。マリーナの家の周辺、あるいは貴族街で何かが起きた様子はないが……』


 ギルム全体で見れば、分からない。

 そう告げてくるエレーナに、レイも特に責める様子はない。

 貴族街で特に騒動が起きている訳ではないと知ることが出来ただけで、十分に大きな意味を持つのだから。


(イエロの能力……いや、マリーナの精霊か? どのみち何かあればすぐに察知は出来そうだな)


 そのことがレイに安心感を抱かせる。

 とはいえ、それで終わる訳にいかないのも事実なのだが。


「そうなると、ギルムのどこかで何かが起こってる可能性が高いな。一番怪しいのは……やっぱりスラム街か」


 街中で何か騒動があれば、それこそ警備兵や冒険者、あるいは通行人がその異変に気が付いてもおかしくはない。

 現在のギルムは冬が近くなってきたので故郷に戻り始めている者もいるが、まだ多くの者がいるのだから。

 もし穢れについて見つけた者がいれば、間違いなく騒動になってしまうだろう。

 そのようなことがあれば、穢れの件だけにエレーナ達に連絡が来ていたのは間違いない。

 レイと即座に連絡を取れる相手となると、対のオーブの持つエレーナしかいないのだから。

 ……あるいは、夜で既に正門が閉まっているが、領主の権限によって正門を開いてトレントの森までやって来るか。

 ただし、後者はかなり厳しい。

 そもそもギルムの外に夜に出るというだけでも、地獄に近い状況なのだから。

 日中とは違って活発に動くモンスターと遭遇する可能性も高い。

 トレントの森においても、夜だからこそ獰猛なモンスターと接する可能性は否定出来なかった。


『ダスカー殿に連絡をするか?』

「そうだな。これが穢れの件であると考えれば、ダスカー様に連絡をしておいた方がいいと思う。……頼む」

『うむ。では……』

『ダスカーに連絡をするの? なら、私が行こうか? 私ならダスカーもすぐに会ってくれると思うけど』


 エレーナの言葉を遮るように姿を現したのは、いつものように派手なパーティドレスに身を包んだ褐色の肌を持つダークエルフの美女、マリーナだった。

 ダスカーにすぐに会えるというその言葉は、決して大袈裟なものではない。

 ダスカーのことを小さい頃から知っているマリーナは、それこそダスカーの黒歴史とでも呼ぶべきものを幾つも知っている。

 そんなマリーナだけに、ダスカーも会わないという選択肢はないだろう。

 ましてや、マリーナは元ギルドマスターとしてギルムの為に尽力をしてきたのだから。


「そうだな。マリーナがいいのなら、それで頼む」


 そう言いつつも、レイは若干申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 ただし、その申し訳なさそうな表情はマリーナに向けられたものではなく、ダスカーに対して向けられたものだったが。

 ダスカーも別にマリーナを嫌っている訳ではない。

 好きか嫌いかと言われれば、迷うことなく――実際にはもの凄く迷いそうな気がするとレイは思ったが――好きと答えるだろう。

 だが、自分の小さい頃の黒歴史を知ってるだけに、どうしても対処は難しいのだろう。

 ただでさえ仕事で忙しいダスカーに、マリーナを差し向けるのはどうかと思わないでもなかった。

 しかし、穢れの件が関係してくるとなると、少しでも早く連絡をする必要があるのも事実なのだ。


『じゃあ、行ってくるわね。聞いてくるのは、ギルムで何か……穢れの件で何かおきていないか。そういうことでいいのよね?』

「そうだ。それでもし何かおきていて、それを解決出来るようなら解決してくれ。もしどうしようもなかったら、対のオーブで呼んでくれれば即座にそっちに向かう」


 幸い、今は夜だ。

 空には雲も多く、月明かりもそこまで眩しくはない。

 夜だからこそ、セトでギルムに向かっても日中のように目立つことはないだろう。

 ……もっとも、マリーナの家を見守っている者は当然おり、そのような者達の中には夜の闇に紛れてレイやセトがやって来た時のことを考え、夜目の利く者も配置されている可能性が高かったが。

 それでも日中よりマシなのは間違いない。


(今更だけど、次からギルムに戻る時は夜にした方がいいのかもしれないな。そうすれば日中よりは騒動にならないし。仮に騒動になっても、一晩すぎればマリーナの家を見張ってる連中も俺を逃がしたと考えてもおかしくはないし)


 そんな風に思っている間に、既に対のオーブの向こう側にマリーナの姿はない。

 レイの頼みを聞き、ダスカーのいる領主の館に向かったのだろう。


『それで……レイ。今更だが、レイの後ろにいるのは誰だ?』


 不意にそう尋ねてくるエレーナに、レイは後ろを見る。

 するとそこには、レイの使う対のオーブを興味津々といった様子で見ている長とニールセンの姿があった。

 この場合、エレーナが誰なのかと聞いたのはニールセンではないだろう。

 ニールセンは何度かギルムに行っているし、マリーナの家に寄ったこともあって、エレーナ達に面識はあるのだから。

 つまり、エレーナが誰なのかと聞いてるのは長で間違いない。


「妖精郷の長だ。簡単に言えば、ニールセンの上司だな」


 レイがそう言うと、長は対のオーブの向こう側にいるエレーナに対し、優雅に一礼する。

 妖精郷の長とレイが言ったのは間違いではないと、その一礼だけで理解出来てしまうくらいに。


「やっほー、エレーナ。元気にしてる? 私は元気よ。……いえ、今はもう元気になったって言った方がいいのかしら?」


 長の隣では、ニールセンが笑みを浮かべてエレーナに手を振り、そう告げる。

 エレーナは対象的な二人の妖精の様子に、こちらも笑みを浮かべて口を開く。


『妖精郷の長であったか。私はエレーナ・ケレベル。レイの仲間だ。ニールセン、私は特に問題ない。しかし、今は元気というくらいだ。穢れとの戦いでよほど疲れたらしいな』


 そうして自己紹介が終わると、再び会話が始まる。


『それで、レイが戦った存在についてもっと詳しい話を聞かせて貰えないか?』

「はい。黒い塊については、情報を共有しておいた方がいいでしょう。私達が戦った存在がもし陽動であったとしたら、ギルムでもあの黒い塊と遭遇する可能性もあるかもしれないので」


 そう言い、長はレイ達が戦った黒い塊についての情報を話す。

 そんな中でエレーナが驚いたのは、やはり触れた場所を黒い塵として吸収するということだろう。


『それは……つまり物理攻撃は効果がないということか?』

「全ての物理攻撃を完全に防ぐという訳ではないと思います。試してないので何とも言えませんが」

『なら、私の浸魔掌はどう? 効果がありそう?』


 エレーナと長の会話にそう割り込んできたのは、ヴィヘラ。

 格闘で戦うヴィヘラにしてみれば、触れた場所が黒い塵となるのは天敵と呼ぶに相応しいだろう。


「浸魔掌……ですか?」


 ヴィヘラが口にした浸魔掌というのが何なのか分からなかったらしく、長はレイに視線を向けてくる。


「浸魔掌というのは、ヴィヘラのスキルだな。簡単に言えば、相手に掌で触れて魔力を流し、相手の体内で爆発させるという効果を持つ」

「それは……」


 強力なのは間違いないが、あまりにえげつない効果に長も驚きの表情を浮かべる。

 そんな長を見ながら、レイは少し考えつつ口を開く。


「正直なところ分からない。普通に手で触れるだけなら黒い塵にされるかもしれないが、浸魔掌の場合は掌を魔力で覆ってるし」


 魔力で手を覆っている以上、もしかしたら黒い塊に触れても大丈夫かもしれない。

 それ以外にも、ヴィヘラの装備している手甲と足甲は双方共にマジックアイテムである以上、そちらも触れても大丈夫という可能性は十分にあった。


『そう。けど、分からないとなると……そう簡単に試してみる訳にもいかないわね』


 はぁ、と。

 残念そうな様子でヴィヘラが呟く。

 強者との戦いを何よりも楽しみにしているヴィヘラだったが、だからといって触れれば手がなくなるかもしれない以上は迂闊に試す訳にもいかなかった。


「だろうな。俺もあの黒い塊はヴィヘラにとって天敵に近い存在だと思うぞ」


 ヴィヘラが何らかの遠距離攻撃の手段……それも石を投げるといったような物理的なものではなく、もっと明確に魔力を使って放つような攻撃方法があれば、黒い塊に対してももう少し対処の仕方があったのだろうが。

 しかし、生憎とヴィヘラにその手の攻撃方法はない。


『残念ね』

「ヴィヘラならそう言うと思ったよ。ただ、一応言っておくけど黒い塊はヴィヘラが好むような強敵という訳じゃないぞ? 動きは鈍いし、攻撃手段も……俺達が見たところでは、相手に触れるというものしかなかった」


 ただし、その相手に触れるだけという攻撃手段が圧倒的なまでの威力を持っているのだが。

 これで黒い塊の移動速度が素早ければ、非常に厄介な相手だとレイも認識していただろう。

 相手の移動速度が遅いので、回避しようと思えば容易に回避出来るのだが。


『そうなの? ……でも、触れるだけで相手を黒い塵にする存在ね。そういうのに限らず、魔力を使った遠距離攻撃の手段も用意しておいた方がいいんでしょうけど』


 ヴィヘラはレイの言葉に少し難しそうな表情を浮かべる。

 ヴィヘラにとって戦いというのは、あくまでも正面から自分の手足を使って戦うべきものだ。

 必要な時はその辺に落ちている石を使って投擲したりといった真似はするが……それでもやはり戦いに使うのは自分の手足だった。


「マジックアイテムの短剣とか、そういうのを使ってみるのはどうだ? 投擲用に。あるいは……いっそ、俺が持ってるネブラの瞳を使うとか?」


 ネブラの瞳は、魔力で鏃を作り出すというマジックアイテムだ。

 魔力で作っている以上、一応魔力的な攻撃ではあるのだが……


『ネブラの瞳は、レイの魔力があってこそのマジックアイテムでしょう?』


 そうヴィヘラが言ってくる。

 レイはそんなヴィヘラの攻撃に、そう言えばそうだったと思い直す。

 実際、ネブラの瞳は当初は鏃ではなく魔力で矢を生み出すという能力を持ったマジックアイテムだった。

 今の状況であれば、弓を使うマリーナが持つのが最善だっただろう。

 しかし、ベスティア帝国の帝都でこのマジックアイテムを知った時、マリーナはまだレイの仲間ではなくギルムでギルドマスターをしていた。

 その為、レイはマジックアイテムを売ってる店に頼んで、矢ではなく鏃を生み出すように改良して貰ったのだ。

 結果として、矢ではなく鏃を生み出すという能力になったものの、必要な魔力はかなり大きくなった。

 ヴィヘラも使えない訳ではないが、それでも魔力の消耗を考えると他のマジックアイテムを使えない分、ネブラの瞳は遠慮したいというのが正直なところだった。

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