第10話 運命の歯車

 ノアスは思い出す――











 あれはまだ、ノアスが駆け出しのモグラだった頃。




 ノアスの仲間の女はいつも笑顔を振りまいていた。




 彼女は太陽みたいな人で明るく元気な存在だった。




 相方の男とは結婚しており、さぞ幸せな家庭を築いたのだと見ていて判る。そんな二人には一人の子供がいるらしい。きっといい子なのだろう。




 しかし眩しい太陽のような女にも欠点があった。それは強引な所だ。


 


 真面目でしっかり者の一面を兼ね備えつつも時に自分の意志を突き通す強引な一面があった。それにはノアスも何度か巻き込まれた。振り回されるたび不必要な疲労感がノアスを襲ったけれど、何故かその女に振り回されるとどんなに落ち込んでいても明るい気持ちになっていた。






 ※






「ラリム……」




「え?」






 心臓の鼓動が激しくなって今にも屈かがみたい衝動に駆られる。けれど無意識の内に染み込まれたモグラとしての自分が今の状況下で屈む事を決して許しはしなかった。




 急に過去の思い出が脳内に映り込む。楽しかった日々、辛かった日々、最後に映り込んだのは――ノアスの手の中で灰と化して消え去ったラリムの切ない顔だ。




 あの時と同じ。あの時のラリムと同じように目の前で瀕死状態になっている男も灰になろうとしていた。




 死を迎えるモグラたちの最後は決まっている。理由は判明していないが死ぬ直前、身体に灰色の胞子のような物が浮き出す。やがてそれは生命の炎を消すように群がり、もぬけの殻となったモグラを完全な灰にして、どこかに連れ去ってしまうのだ。




 灰になりかけている男は、涙を流しながらこちらに這いずっている。






「ねぇ、ノアス君、ノアス君!!!」




「……な、なんだ!」






 ノアスは引っ張られるように我を取り戻す。いつの間にか流れていた涙を手で拭って。






「今なんて言ったの? というかどういう状況!? 男の人のうめき声聴こえたけど」






 エリィの目が見えていない事に僅かな感謝を覚える。何しろこんな残酷な光景を少女に見せるのは流石に気が引けるから。






「何でもない。けど、さっき話した奴がお出ましのようだ」




「ムゥゥゥゥゥウウウウウ!!!!!!!!!」






 ドシン。地面が大きく揺れた直後、目の前を這っていた男が悲鳴を上げるよりも先に何かが男を踏み潰す。






「あいつ……!!!」






 それは一言で言うなら蛙だ。体長五メートル弱でぼつぼつしたイボを身体に纏わせるイボカエルのような容姿。




 そして緑色の顔からヌルンと目を見開く。






「ノアス君。目の前にいるの?」




「ああ。けど――」






 エリィの返事を前にノアスは地面を蹴り、突進する。






「え、ノアス君!?」






 ノアスはエリィの言葉を無視し、蛙の足元で今にも飛びそうな灰を視界に入れる。






「雷心」






 宙に飛び上がったノアスは右手のエレメンタルを扱って雷を身体に纏う。そして雷速で蛙の背後を取る。






「邪魔だ。雷王の双撃!!!!」






 バチバチ。まるでノアスの怒りを具現化させたかのように両手から雷撃が放たれる。




 雷撃は蛙の背中に直撃する。




 体液が雷を受け流そうとするが、しかしノアスの雷撃はそれを凌駕する一撃であり、蛙は抵抗することなく身体を貫かれやがて息絶えた。






「あれ、もう倒しちゃったの? もぉーここは協力して倒そうよ、ノアス君!」エリィは頬を膨らませてノアスに近づく。




「何やってるの?」






 土をかき集める音を耳にしたエリィがノアスに尋ねる。






「灰を集めている」




「灰……」




「ここで一人死んだ。だから灰を集めてるんだ」






 ノアスはため息をついてこれなら言っても良いだろうと判断し、説明する。






「昔、俺は大切な人を亡くした。その時の灰を持ってるんだ。それ以来死んだ奴らの思いを汲み取ろうと灰を集めて持ち歩いてんだ。まあ自己満足に浸ってるだけだがな」




「そんな事ないよ。それって凄い事だと思う。ノアス君って優しい人なんだね」




「は!? んなわけ……ない!」






 エリィから顔を離して周りを見渡す。どうやら集められる限りの灰は集められた。






「ふふふ。というかノアス君ってやっぱり強いんだね」




「別に」




「もっと自分を表に出しても良いと思うけどなあ。でも十階層まで行くだけあるね、白狼君」




「辞めろ、その呼び方」




「あははは。ごめんなさい。でも倒せてよかったね。これでこっちの件も落ち着くね」




「だな」






 一言返事をしたノアスとエリィは改めてダンジョンの外を目指す。










 とても長い一日だった。とダンジョンの外に出たノアスは安堵の息を漏らす。


 気づくと太陽は傾いており、空は茜色に染まっている。






「ふぅ。楽しかった。今日は色々ノアス君の事知れてよかった」




「俺は別に」




「もう。まあまた一緒にダンジョンに潜ろうよ。これを気にさ」






 ――ああ。






 そう言えたらどれだけ楽になれただろうか。今日一日は何とも表現のしにくい日だった。孤独では味わえなかった温かい何かを久々に感じる事が出来た気がする。




 しかしそれに甘えてしまってはダメだ。ノアスにはやらないといけない事がある。だから一人だけ楽になろうとする答えは、逃げになるとノアスは考えていた。






「……」






 否定しようと言葉を発しようとしたが、






「あ! おーい、エリィ!」






 前方の通行人たちの波の中、一人だけが立ち止まりこちらに手を振っている。






「あ、リーリス!」






 どうやらエリィの知り合いのようだ。エリィはその者をリーリスと呼び、駆け寄って行く。




 最後まで振り回されたとため息を漏らしてエリィの背中を見据えるノアス。






「――!!」






 衝撃だった。




 ノアスは目を限界まで開き、言葉を失ってしまう。




 まるで幻影を見るかのように視界に映る景色すら信じられない。




 青い髪。エリィの友人のリーリスは多分エリィと同い年。リーリスは長い青髪を後ろで纏めてポニーテールにしているのだが、その姿がまさにラリムと重なったのだ。




 ラリムとイースは空のように澄んだ青色の髪をしており、ラリムもリーリスのようにポニーテールにしてダンジョンによく潜っていた。






「エリィ。大丈夫だった? 何で一言言ってくれなかったの? 五階層なら私が行ったのに。何であんな……知らない男と?」






 ジィーと汚物を見るような目でリーリスがノアスを睨む。その姿は子を守る母のようだ。






「ノアス君。今日はありがとうね! また一緒に潜ろうね!!!」




「……ああ」






 未だ動揺の隠せないノアスは、風邪に消えてしまいそうな弱弱しい声でそう言って、二人の背中姿を見送った。


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