第22話 死なないで
「……紗陽? 大丈夫……? さや……」
目の前の塊は何なんだろう? 黄ばんだTシャツ、迷彩柄のズボン。その下の真っ白いブラウスと赤いスカート。枯葉の積もった地面に布のように広がる真っ黒な長い髪。
そして、二人分の赤黒い水溜まり……。二人から出ている赤い血は、混ざり合って段々と大きな水溜まりになって。枯葉の地面に吸い込まれて行く。
「さや……、さや……。どうして……? 大丈夫?」
あの時、紗陽は尻餅をついた。転んで仰向けになったところにカモがのしかかって、紗陽の首を絞めようとした。どこにあったのか、紗陽はボールみたいな石を両手で持ってカモの頭を思い切り殴った。だけど……、重たそうな石を紗陽の腕では支えきれずに。それはそのまま紗陽の頭に落ちた。二人の頭から血が流れて、ピクリとも動かない。工作で使う、重なり合った不恰好な粘土の塊みたいだ。
「死んじゃったの? 紗陽……、さや……どうしよう」
いくら小柄の男とはいえ、覆いかぶさるカモの身体をどけてあげないと紗陽が苦しいだろうと思った。全身の力を使って必死にカモの身体をゴロンと横に転がすと、紗陽の口が僅かに動いた。
「……あま……の」
「紗陽! さや!」
「いたい……よ……ぉ」
「待ってて! 誰か呼んでくるから!」
急がないと、急がないと紗陽が死んでしまう! あのカモだって、まだ生きてるかも知れない。そうだ、カモが生きていたら紗陽は? 大丈夫なのだろうか? 仕返しされたりしないだろうか?
「とにかく、誰か呼ばないと……っ!」
二人を置いて林の斜面を必死に登った。やっとのことで坂道に出ると、一気に坂を駆け上る。どうしてそっちに向かってしまったのかは分からない。自分の家がそっちの方だったから、いつもの癖でそっちに向かってしまったのだとしか思えない。皆が神社でいるはずだ! 早く、早く!
「ば、ばあちゃん……っ!」
「桐人ちゃん?」
神社が見えるくらいにそばまで来ると、祖母が歩いているのが見えた。あのずんぐりとした身体と見慣れた赤いカーディガンが見えた途端ホッとした。だけど今はとにかく紗陽を助けないと。
祖母は俺の血まみれの身体に驚いている。俺が怪我をしたのだと思って、心配そうに質問しようとしてくる祖母の手を引いて坂を下る。
「ばあちゃん! カモが! カモが紗陽を襲って! 二人とも怪我をして! 助けて!」
泣き叫ぶようにしながら祖母の手を引いて坂を下る。祖母が転ばないか心配だったけど、案外足腰は強いみたいだ。軽く走りながらしっかりとついて来る。
「何だって? カモ?」
「あの、村長の息子だよ! 紗陽が大怪我してるんだ! カモも!」
「紗陽? 綾川のところの孫かい⁉︎ 神子の⁉︎」
祖母は紗陽の名前に大げさに反応した。神子が怪我をしたというのはきっと大変なことだ。だって十日後にはこの村にとって大切だという神事が控えているんだから。
「そうだよ! 神子の紗陽だよ!」
「村長め、ほら見たことか! 桐人ちゃん、神子はどこだい?」
「もう少し先の林の中だよ!」
祖母と転がるように坂を下って、さっきの場所の辺りまで辿り着く。どこらへんだったか、慌てていたから俺の記憶が曖昧になってしまった。
「紗陽! さや!」
「桐人ちゃん、神子は死んだのかい?」
「生きてるよ、俺の名前を呼んだんだ!」
「そうか……」
緑や赤茶色の下草の間から白が見えた。黄ばんだTシャツと白いブラウスだ。けれど両方ともさっきよりたくさん赤黒い血に染まっている。
祖母と俺はぼうぼうに生えた下草を掻き分けて進んだ。やはりそこには変わらず同じ姿勢で二人が倒れていた。もしかしたら、カモは既に死んでいるのかも知れない。
「さや……さや……ごめん、遅くなってごめんよ」
「これ、綾川の! 目を開けろ!」
祖母の目は血走っていて、声はあの電話で村長に話をしていた時のように低くて恐ろしい。紗陽の頬を手で何度も叩いている。
「あま……の……く……」
紗陽がうっすらと目を開けた。血まみれの顔だから、目に血が入って痛んだのだろう。すぐに顔を顰めてしまう。けれど懸命に、「天野くん」と呼ぼうとしている。カモは相変わらず動かない。
「生きていたか。良かった……」
「さや、ばあちゃんが来たから!」
俺はとにかく大人が近くにいてくれるってだけで安心した。こんなにこの辺りには鉄臭い匂いがたちこめているけど、きっと紗陽は……さやは、助かるんだと思った。
「桐人ちゃん、いいかい。私が神子を助けるから、桐人ちゃんはおばあちゃんの家で待っておいで。いいかい? 誰にも話したらいけない。神子が怪我をしたのだと知られたら大変なことになるからね。分かった?」
「う、うん……。分かったよ。でも……」
「桐人ちゃん。おばあちゃんのお願いだよ。神子を助ける為だ。早く! 早く行って!」
カモはどうなるのか、なんてもう考えられなくて。祖母に頼めば大丈夫だと自分を勇気づけた。
カモが死んでても、生きていても、襲われたのは紗陽だと俺が証言すれば、紗陽は逮捕されたりしないはずだ。それに、未成年は捕まったりしない。大丈夫だ。
祖母の家は相変わらず鍵がかかっていなかった。玄関の引き戸を開けて急いで中へと滑り込む。神社へ行く事なんかすっかり忘れてしまっていた。
「さや、紗陽……。死なないで……」
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