第18話 図書室での秘密の話


 実は少し前からさやと俺の秘密の時間のようなものがあった。昼休みに、『さや』の時は図書室へ来る。俺もその日は図書室へ本を借りに行く。そうして本棚の間でヒソヒソと内緒話をするのが恒例になっていた。

 

 話す内容はなるべく深刻な話にならないように気をつけていた。例えばさやと紗陽の話とか、月夜に何故外に出ていたのか、なんて事は聞かないでいた。何故かそれを聞いてしまったら、さやは図書室に来てくれないような気がしたから。


「きりとは妹がいるんだよね? 三年生の」

「うん、明日香って言うんだ。甘えん坊で泣き虫で困るけど。さやに兄弟はいるの?」


 この日は珍しくさやが俺の家族について尋ねてきた。俺は別に何にも思わずにその質問をして、さやの顔を強ばらせてしまった。


「……うん、お姉ちゃんが一人だけ」


 ハッとした時には既にさやの表情は暗くなって、本棚の間で座り込んで話していた俺たちの間には一気にシンとした空気がまとわりついた。俯き加減になってしまったさやの手を思わず握る。

 まだ十月に入ったばかりなのにひやりと冷たい手に驚いたけれど、それを温めるようなつもりでさする。自分にこんな積極的なところがあるなんて驚いたけど、さやがフッと消えてしまいそうで焦ったのだった。


「前に、お父さんとお母さんと仲が悪いって言ってたよね。もう仲直りしたの?」


 すると、さやが突然そんな事を聞いてきた。俺自身もその事自体を忘れていたくらいに、近頃の両親とは街に住んでた頃よりいい関係だと思う。


「この雫山村に来て少しした頃……さやと会った後くらいから両親と上手く話せるようになった気がするんだ。なんていうか、両親も妹の具合がいいから機嫌がいいからかも知れないけど。今はまずまずって感じ。さやは?」


 ずっと避けていた話題を、今日は聞いてみる事にした。今日のさやなら答えてくれそうだと思ったし、俺自身もさやの家族関係やさやの悩みとか、そういう事を本当は知りたかった。


「お父さんもお母さんも、最近は私とあまり目を合わせてくれないの。多分私がいる事で二人は辛い思いをしているんだと思う。うちに、お姉ちゃんだけだったら良かったのに……。私が生まれたから悪いの」


 さやの場合はうちと反対で、上の子の方が大切にされているのか。悲しげなさやの横顔を見ていると、こっちまで胸が苦しくなった。


「どうにかしてあげたいけど、何も出来なくてごめん。でも、俺はさやの事が……」


 危なく「好きだ」と言いそうになった。図書室での二人の秘密の時間、手を握っているという事に思わず勢いづいて口を滑らせるところだった。危ない、危ない。


「きりとは私の事を分かってくれる大事な人だよ。今まで家族以外で紗陽との違いに気付いたのはきりとだけ。だから私、嬉しかった……」

「紗陽よりさやの方が他人に優しいから分かるよ」


 つい『紗陽』を否定するような言葉を言ってしまう。『さや』も『紗陽』も同じ人間なのに、俺はさやの方が好きだ。近頃の紗陽は妙にベタベタしてきたり、他の女子に子どもっぽい意地悪することがある。さやは知らないだろうけど、俺はそれがすごく嫌だった。


「きりとは……どっちのさやが好き?」


 何故そんな事を聞くんだろう? 今までこんな風な話をした事は無かった。今日はどうしてか、いつもしないような話ばかりだ。

 真剣な眼差しで聞いてくるさやに、誤魔化すような適当な答えを言うのはダメなような気がした。


「俺は……」

「さやと紗陽、どちらかを選ばないといけないとしたら、私がきりとのそばに残ってもいい?」


 どちらかを選ぶ? 片方の人格しか選べないという事か? さやは何が言いたいんだろう? 病気が悪化してる、とか?


 さやが消えてしまうなんて嫌だ。あの月夜に、たった一人で不幸ぶってた俺に勇気を与えてくれたのはさやだった。俺だけじゃないって、それが分かっただけでもあんなに心強かった。新しい学校だって、さやに会えると思ったから楽しみで仕方なかった。


「俺は……、今目の前にいる『さや』が好きだ」


 そう答えると、さやは嬉しそうに目を細めた。突然窓から入ってきた強い風で、さやの長い黒髪がバサッと広がった。赤い唇は声を出さずに形だけで言葉を伝えてきた。


――ありがとう


 冷たかったさやの手は、少しずつ俺の手と同じ温度になったみたいで。もう冷たいとは感じなかった。


「きりと、そろそろ教室に帰ろう」


 さやは俺の手を引いて立ち上がる。けれどそのままスッと手を離して、俺達は無言のまま二人で並んで教室へと続く廊下を歩く。何人かの生徒が廊下を駆け抜けて行くが、ほとんどの生徒は校庭か教室で過ごしていた。


 何だったんだろう? ……というか、俺は結局「好きだ」と言ってしまった。待てよ、さやはどう言ったっけ? 俺の事を好きだとは言っていない。ただ「大事な人」とだけ。


「さや……」


 隣を歩くさやはどこかすっきりとした表情で、長い髪を窓から入る風に靡かせて歩いている。その綺麗な横顔につられて、思わず名前を呼んでしまった。


 俺の事は? 好き? 気になって仕方がない。聞きたい、けど、はっきり聞くのは怖い。


「ん? なぁに?」

「いや、やっぱり何でもない」


 もし俺の事を好きでいてくれているのなら、さやの方から「好きだ」と伝えてくれるだろう。初めての恋に戸惑う俺には、これ以上積極的に聞く勇気はまだ無い。


 またいつか、もしかしたら近いうちかも知れないけれど、さやの口から気持ちを聞ける日が来るのではないかと、期待してみることにした。


 


 






 



 



 

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