第18話 挨拶
こっそりと戻るため、屋敷から少し離れた場所に馬車を止める。
「こっちよ」
表からだとすぐに気付かれるので、裏に回りながら屋敷の様子をうかがう。今は夕食時。普段なら、食堂で家族そろってご飯を食べているはず。
裏手にある小さな門は、人目を避けたい客人や使用人の出入り口なので、忙しい時間にはあまり使われない。
鍵を開けて中に入り、自分の部屋を見上げる。問題は、どうやって侵入するか。
裏から入ったのに玄関を使うと意味がない。かといって使用人用の扉は部屋から遠く、部屋に向かっている間に気づかれるだろう。
「あなたの部屋はあそこですか?」
ううん、と悩んでいるとノエルが指さしながら聞いてきた。
三階の、バルコニーのある部屋。ノエルの指の先がそちらに向いているのを確認して頷く。
「あのぐらいの距離なら……届きそうですね」
そう言って、ノエルはいつの間にか持っていた縄を宙に放った。まるで生きているかのように、蛇のようにうごめきながら空に昇り、バルコニーの柱に絡みつく。
ぐい、と強めに引っ張ってしっかり固定されているのを確認してから、ノエルが私のほうを向いた。
「掴まってください」
「え、ええ。わかった、わ」
片手で縄を掴み、もう片方の手を広げるノエル。
それは、手に掴まれ、という意味ではないだろう。恐る恐るノエルの体に腕を回すと、広げていた手がしっかりと抱え込んできた。
そしてぐん、と上に引っ張られる。その勢いに呆気に取られて顔を上げると、縄がどんどん短くなっていくのが見えた。
「ノエル。その縄は」
「魔術で作り上げたものです」
バルコニーに降り立ち、縄があった場所を見るが、影も形もない。
「……普通の縄にしか見えなかったわ」
「フロランと僕で細部にまでこだわりましたから」
ノエルとフロラン様は凝り性なのかもしれない。ただ縛ったり、今みたいに使うにしても、普通の縄と遜色ない出来にする必要はない。
普通の縄に似せる利点があるとすれば、相手の油断を誘うぐらい。だけど、縄を投げられたり縛られたら誰でも警戒するわけで――
「あの、ノエル。もしかしてこれって……」
そこまで考えて、ついさっき見たばかりの光景を考える。
「はい。対ジル用です」
縄で縛られようと投げられようと、ジルは警戒しない。彼にとって、縄なんて綿で包まれているようなものだ。それが普通の縄なら。
「まあ、それはともかく、どうぞ行ってきてください」
「え? ノエルは来ないの?」
部屋に繋がる窓を示され、首を傾げる。
「夕刻に女性の部屋に押しかけるものではありませんから」
「それはもう、今さらじゃないかしら」
ノエルはすでにバルコニーにいて、窓一枚分の隔たりしかない。
「おもてなしはできないけど、休むぐらいはできるわよ」
馬車の操縦もバルコニーに上るのも、ノエルがやってくれた。その分の魔力を消費しているし、精神的にも疲労がたまっているはず。
帰りもあるのだから、休める時に休むのが一番いい。
「……それなら、お邪魔します」
少しだけ間を置いて、頷いた。それを確認してから、窓を開ける。部屋の中は夜会の日から変わっていない。ほんの二日しか経っていないのだから、劇的な変化があるはずないのは当たり前だけど。
ノエルに椅子を勧めてから、衣装棚の中を物色する。
舞踏会や夜会用の飾り立てられたドレスではなく、動きやすさを重視した服を何着か出して、持ってきた鞄に詰め込む。それから念のためにアクセサリーを数点。
他にも細々としたものを鞄に入れて、終わったことをノエルに知らせようと思った瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「クラリス?」
この家にノックもなく扉を開ける使用人はいない。たとえ主が不在だと思っていても、確認ぐらいはしてくれるはず。
そして扉の向こうから飛びこんできた素っ頓狂な声に、思わずため息が出そうになった。
「こんな時間に……それに、そちらは?」
困惑した顔のお父様が、視線を私と、椅子に座ったままのノエルの間を行き来させる。
「入り用なものを取りに来ただけよ」
「……なら正面から入ってくればいいだろう。物音がするから、泥棒でも入ったと思ったぞ」
まあたしかに、誰もいないはずの部屋から音がしたら、泥棒を疑うのも無理はないのかもしれない。
それについては正面から帰ってこなかった私が悪いのはわかっている。
物が減ったことは書置きのひとつでも残しておけばいいだろう、と思っていた。いらない心配をかけてしまったことを反省し、謝ろうとして――
「まったく……アニエスの言う通りか」
はあ、と大きなため息を共に出てきた妹の名前に、頬が引きつる。
「アニエスが、何を言ったの?」
「自棄になっていると……お前はしっかりしているから、そんなことはないと思っていたが、こんな泥棒の真似事をするとは……」
正気とは思えない。とまでは言われていないけど、お父様の目には落胆の色が見える。
たしかに、普通に帰ってこなかった私が悪い。そんなのはわかってる。
だけど、そんなに落胆されることだろうか。私が私の部屋で、私の物をどうしようと、私の勝手ではないだろうか。
持っていく用に選んだ服もアクセサリーも、ジルからのお小遣い――もとい、弟子としての給金で買ったものだけ。
買い与えられたわけでも、買ってもらったものでもない、私の物なのに。
「お初にお目にかかります」
変わらない、淡々とした声が部屋に響く。
椅子に座っていたはずのノエルがいつの間にか私の横に立ち、お父様を見ていた。
「僕は魔術師フロランの弟子、ノエルと申します。先日より彼女とお付き合いさせてもらっていまして……娘さんを僕にいただけますか?」
小さくノエルの首が傾き、ひとつに結んでいる黒髪がさらりと流れる。
唐突な要求に、お父様が目を丸くした。だけどそれは一瞬で、すぐに唇をわなわなと震わせはじめた。
「な、何を突然……そう言われて、はいどうぞと答えられるはずがないだろう」
「そうですか、それは残念です。……ですが、すでに結婚を前提としたお付き合いをさせてもらっていますので、娘さんは僕がいただきます」
はっきりとそう断言すると、まとめ終わった鞄と私を抱えて、何食わぬ顔で窓を出て、そのままバルコニーを飛び降りた。
落下の衝撃を想像し、ぎゅっと目をつむってノエルの首にしがみつく。だけど思ったような衝撃は訪れず、代わりにふわりと体が浮く感覚がした。
「荷物はこれで全部でよかったですか?」
聞こえてきた声に目を開けると、手に持った鞄を少し持ち上げながら首を傾げているノエルが見えた。
「え、ええ、はい、だい、じょうぶよ」
ノエルの顔は、いつもとまったく同じ。水面が揺れることもなければ、血色がよくなったりもしていない。
ついさっき、拉致宣言をして飛び降りたとはとうてい思えない顔がすぐそばにある。
「あの、先ほどの、は?」
「先ほどの? ……ああ、結婚の挨拶をする際の常套句のことですか?」
「常套句なの……? あまり、聞いたことはないけど」
「おや、そうですか。それなら最初から、結婚しますとだけ言えばよかったですね」
そもそも、貴族の結婚は両家の親同士が決めてくるのが大半で、当人同士が気に入っての場合も、親が相手の家に話を通したりする。
だから、わざわざもらいますと挨拶することはほとんどない。
いやそもそも、挨拶もそうだけど、何よりもノエルの宣言は話の流れにも状況にも、噛み合っているとは言えなかった。
「……自棄になっているとか、色々言っていたのは、気にならなかったの?」
アニエスが色々言っていた時も気にしている素振りはなかったから、多分気にしていないのだと思うけど、それでもやはり心配になる。
泥棒の真似事にしても、ノエルに片棒を担がせたわけで、思うところがあるのではないか。
「気になりませんね。大切なのは、あなたがこうして僕の手の中にいることだけですよ」
だけどそんな不安は、彼にとっては些末なことのように言い切られる。
言動に含まれる熱と、表情から感じる冷淡さに、胸の奥になんとも言えない感情が広がった。
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