彩雲華胥 ー泡沫語ー

柚月なぎ

一、神子と華守



 ―――――五百数年前。


  の国。穢れに覆われたこの国は、百年に一度生まれると言われる、古の神子みこの魂を宿した子供の誕生を心待ちにしていた。


 穢れで満ちている晦冥かいめいの地を拠点とする、邪悪な術を操る烏哭うこくの一族が各地で起こす怪異に、大勢の術士たちが命を落としていた。


 前の神子みこが世を去ってから十数年の間小競り合いが続き、そんな中、各一族たちに朗報が入る。


光架こうかの民から神子みこが生まれたぞ!」


 それは瞬く間に各地に伝えられ、国中に知れ渡った。同時に、神子みこの護衛になる華守はなもり候補について話し合いが開かれる。十五年かけて選出される華守はなもりは、自分の一族の中から選ばれれば大いに名誉なことであったが、同時にその後の一族の戦力を割くことにもなるため、気が気ではなかった。


 しかし神子みこの力なくして穢れの完全な浄化は不可能なため、各一族は神子みこを少しでも永く生かすために、一番の実力者を選ぶ必要があったのだ。



****



 ――――十五年後。


 ある山を住処とする、少数しか存在しないと言われる光架こうかの民たちは、赤い紐が所々に飾られた白を基調とした神子装束を纏った少年を前に、跪いていた。


宵藍しょうらん様、どうか、お気を付けて」


 民の長が代表して声をかける。神子みことして生まれた者には、必ず身体のどこかにそれを示す紋様があった。その紋様は五枚の花弁をもつ花のようにも見える痣で、印のようなものだった。少年が生まれた時に背負った紋様は、鮮やかで残酷。


 神子みことして一生を捧げなければならない終わらない宿命が、再び始まるのだから。


 生まれてから十五年の間、新しい身体に霊力を馴染ませながら、準備をしていく。魂という名の記憶は永遠に紡がれたまま、また初めからやり直すような感覚。


「みんなも今までありがとう。今生の役目は必ず果たすよ」


 これから何年、何十年という年月、命が尽きるまで国を回り穢れを浄化し続ける。挨拶も終え、最小限の荷物を背負い、そのまま振り返ることなくその地を後にする。


 麓の地で待つ華守はなもりに会うまでは、ひとり山道を歩いて行く。見慣れた景色だが、毎回少しずつ変わっている。木々の背は前より伸びている気がするし、見たことがない花が咲いていたりする。


 長い髪の毛は背中に垂らしたままで、その左右のひと房ずつを纏めて、後ろで軽く結っている。髪の毛が揺れると、一緒に結っている赤い紐が遅れて揺れた。優しい印象を与える翡翠のその瞳は大きく、少しも焼けていない色白な肌は透き通って見える。少女なのか少年なのか区別が付かない中性的な顔は、幼さが残るが美しい。


 宵藍しょうらんという名も、ずっと変わっていない。神子みこの印を持って生まれた赤子は、同じ名を付けられる。この身体は霊力が高く、馴染むのも早かった。最初の神子みこの身体に近い逸材のようだ。身体は選べないので、寿命もそれぞれ違う。今までで一番短かったのは二十年。長かったのは七十年だったか。高い霊力と修練によって、長く生きても見た目はまったく変わらない。


 軽い足取りで山を下って行く。季節は春。青い草の香りがふっと横切る。ばさりと羽ばたいて黄色と黒の羽をもつ小鳥が肩にとまった。


「君も一緒に来るかい?」


 肩から指に小鳥を移動させて、ふふっと困ったような笑みを浮かべる。そのまま小鳥を放って、去って行く小さな影を見送った。木々の葉から零れる光が眩しい。


 草が生い茂る道を抜けて開けた場所に出ると、こちらを待っていただろう青年が遠くで一礼してきた。遠目でも背が高いと感じたが、近づいてみるとその差がはっきりと解った。


 目の前に立つと、青年はその場に跪き、腕で囲いを作り丁寧に頭を下げてゆうする。眉目秀麗な青年は、五大一族のひとつである姮娥こうがの一族が纏う濃い藍色の衣を纏っていた。背中に流れる細い薄茶色の髪の毛を青い紐で括り、後ろで軽く結っている。切れ長の眼は青みのある灰色だった。


姮娥こうが黎明れいめいと申します。恐れながら、神子みこ殿に拝礼致します」


「うん、私のことは宵藍しょうらんと呼び捨てでかまわないよ。私も黎明れいめいと呼ばせてもらう。これから長い付き合いになるんだし、お互い堅苦しいのはなしにしよう。さあ、立って?」


 囲っている腕に細い指を置いて、その顔を覗き込む。下げていた頭を上げて、黎明れいめいは重なった視線に動じることなく、すっと立ち上がった。背の高いその青年は、寡黙で真面目そうな性格というのが第一印象だった。


 隣に並ぶと、宵藍しょうらんの背は黎明れいめいの肩くらいまでしかない。歳は十八くらいだろうか。第一印象通り、口数は少なく、返事もひと言ふた言。今までで一番無口かもしれないと宵藍しょうらんは小さく笑った。


「私は自分の身は自分で守るから、君が守るのは一に民、二に自分自身、余裕があったら私という順番でかまわないよ」


「一に神子みこ、それ以降はありません」


 足を止めてきっぱりと無表情で答える。声音は低く、淡々としている。


華守はなもり神子みこのための剣であり盾であると、幼い頃から教わっています」


「そうなんだ。じゃあ私の剣となって自身を守り、盾となって民を守って」


 何のためらいもなく返した宵藍しょうらんに、黎明れいめいは言葉が出てこなかった。幼い頃から華守はなもりの候補の中のひとりに選ばれていて、自分は神子みこを守るために生きて行くのだと教え込まれてきた。様々な厳しく辛い試練を受けてそれが現実となった時、感情が希薄な自分が喜びさえ感じた。


 それなのに。目の前の神子みこは、自分のことは守らなくても良いなどと言う。意味が解らず、黎明れいめいはしばし考える。


「じゃあ、これならどう?神子みこの命令は絶対!って教えられなかった?」


 確かに。なによりも神子みこの意思を尊重し、それに応えるべしとも教えられた。そうなると生じる矛盾に、心の中で葛藤が生まれた。


「・・・善処、します」


「よろしい。では、改めて。よろしくね、黎明れいめい


「・・・よろしくお願いします」


 華守はなもりとしての役目や、神子みこへの接し方、教え込まれたものはすでに役に立たなくなっている。臨機応変という言葉が一番苦手だった。


 けれどもどこまでも優しい笑みと、穏やかな声に、心を奪われる。


「あと、敬語もできればやめて欲しいかな。君には従者としてではなく、友として傍にいて欲しいから」


 気が遠くなるほど長い年月を共にするのだ。どうせなら、楽しく過ごしたい。


「友、とは・・・?」

「え?故郷に友達、いるでしょう?」

「いません」

「え?ひとりも?」

「いません」


 あははっとおかしくなって宵藍しょうらんは笑いだす。黎明れいめいは訳が分からず首を傾げる。表情は相変わらず変わらなかったが、なぜ笑っているのかと不思議そうだった。


「・・・・っごめんごめん、あまりにも真面目に答えるから、なんだかおかしくなっちゃって。別に馬鹿にしているわけじゃないから安心して?」


 はあとひとしきり笑った後、じゃあこうしようと両手をぱんと叩く。


「じゃあ、今、この瞬間から、私たちは友になろう!友とは、一緒にご飯を食べ、話をし、笑い、遊ぶ。困った時は助け合い、手を差し伸べ合う」


「・・・・友?」


 くるっと回って黎明れいめいの目の前に立つと、右手をすっと差し出す。


「実は、私も友と呼べる者は今のところいない。お互い、初めての友だねっ」


 にっと口元を緩めて笑みを浮かべ、ほら手を取って?と言って首を傾げた。その手を恐る恐る取り、触れれば、そこにちゃんと温度があった。神子みこもまた、ひとであると、当たり前のことだが思い知る。


「・・・・はい、」


 黎明れいめいは静かに答える。そこにはほんの少しだけだが、笑みが浮かんで見えた。宵藍しょうらんは満足そうに頷くと、掴んだ手を解放した。


 これが、神子みことの出会い。その後、戸惑いながらも、友というものを探りながら、ふたりだけの時間を過ごしていく。


 それから数年の時が過ぎた—————。



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