リハビリ道場:お題掌編稽古

緒賀けゐす

「タカシという男」

 学部時代の知人にタカシと呼ばれていた男がいる。学科こそ違ったが学部共通の選択講義でよく一緒になった相手で、講義で調べた内容を発表する際に同じグループに分けられたことがきっかけで話す間柄になった。キャンパス内ですれ違った際に軽く会話をする程度ではあったが、サークルなどに所属していなかった僕にとってタカシは数少ない学科外の会話相手であった。

 そんな「タカシ」が渾名であり本名でないことを知ったのは、知り合って数ヶ月、彼の友人と話す機会があった時のことである。タカシとは呼ばず名字で呼んでいたが、皆からタカシと呼ばれていたのですっかり下の名前なのだと思っていた。何故、彼はタカシと呼ばれるようになったのか。彼の友人曰く、由来は秋田の銘酒・高清水たかしみずであるそうだった。


「こいつ日本酒大好きでさ、飲み会に自分で高清水精選の四合瓶持ち込んで一人で飲んでたんだよ。それで高清水高清水言われるようになって、短くなってタカシ」


 なるほど、確かに二十歳に半年を足した段階でその溺愛っぷりでは渾名にされるのも頷ける。かくいう僕も探究心から色々な酒に手を出し、コークハイの飲み過ぎで自宅のトイレで吐いていた時分である。ぜひとも彼との交流から酒について見識を深めたいと思い、「今度一緒に飲みに行こう」と誘いを掛けていた。それが実行に移されたのは、さらに数ヶ月先のことだった。


『タカシの集いに来ないか』


 講義の際に交換だけしていたLINEに、初めて送られてきたメッセージがコレだった。奇っ怪なテキストを表示する通知バナーをタップしトーク画面を開くと、同時にタカシから詳細について連ねたメッセージが送られてきた。


『タカシの集い』とは、高清水を飲む集い。

『タカシの集い』とは、高清水を愛する者の集い。

『タカシの集い』とは、タカシの、タカシによる、タカシのための、高清水の集い。



 やべぇ~~~~~~



 シンプルにそう思った。しかし当時の僕は探究心溢れる酒飲みビギナーであると同時、創作のネタに飢えた一匹の狼でもあった。端的に言えば狂っていた。面妖な集会への誘いに対し、「まぁ何かあってもネタになるやろ!」と二つ返事をしてしまったのが何よりの証左である。かくして僕は、『タカシの集い』へと参加することとなった。

 週末の夕時、指定された集合場所は盛岡駅だった。集合時間の十分前に到着し駅前の広場で待っていると、背後から声を掛けられた。タカシだった。


「やぁ、待たせてごめん」

「さっき着いたばかりで待ってはないよ。それで、他のメンバーは?」

「もう着いたって連絡が――あ、いたいた」


 タカシが手を振る先から四人が歩いてきていた。全員が男性であり、見る限り年上の人達であった。


「いやー待たせてしまった。すまんねタカシ君」

「いやいや、タカシさんが謝ることじゃないですよ」

「そうですよ、元はといえばタカシのやつが寝坊するから」

「時間には遅れてないし、怒られる筋合いはないね」

「なんだタカシこの野郎」

「まーまー、タカシ君も、タカシ君も喧嘩は良くないよ。せっかくタカシ君が、新しい人を連れてきてくれたんだ。楽しくいかないと」


 脳の言語中枢に異変でも起きたのかと思った。タカシMODでも導入されたのだろうか。そんな僕の混乱を察してか、タカシは僕に説明してくれる。


「タカシの集いというのは、高清水が好きすぎて渾名がタカシになった人達の集まりなんだ。だから皆がタカシだし、そのアイデンティティを尊重するため、お互いをタカシと呼びあうんだよ」


 混乱という火に油を注ぐだけの説明だった。なんでそんなピンポイントな理由で渾名がタカシになったヤツが五人もいるんだよ。なんでつどっちゃったんだよ。


「それぞれ自己紹介もしておこう」


 結果は見えていたが、断ることもできず僕は全員の自己紹介を聞かされた。

 いかにも体育会系な二十代の男。

 恰幅のいい三十代半ばの男。

 対照的に痩せぎすな四十代の男。

 そしてどことなく管理職じみた五十代の男。

 全員が全員タカシと名乗った。

 えもいわれぬ違和感があった。が、その正体までは掴めなかった。


「さ、行こうか」


 かくして雑談で十五分ほど時間を潰したところで、僕達は駅前の広場から歩き出した。管理職タカシが店を予約しているらしく、今日はそこで飲み放題に興じるらしい。大通りから裏道に抜け、ポイ捨てされた煙草の吸い殻が目立つ居酒屋横丁を進んでいく。


「さ、ここだよ」


 一行が足を止めたのは、藍染めの暖簾を垂らす小さな店だった。屋号は、「居酒屋たかちゃん」……たかちゃん?

 よもや。

 がらりと磨りガラスのドアを開けた店内に入ると同時、人当たりの良さそうなおじさんがカウンターで顔を上げ、「らっしゃい」と顔をほころばせた。

 確認のため、僕はタカシ(僕を招待したタカシだ)に耳打ちする。


「もしかして、あの人もタカシだったりするのか? この店のたかちゃんって……」

「確かにタカシだけど、大将のは本名だよ」


 そういうパターンもあるんかい。

 もうツッコみ方が分からなくなった僕を最後尾に、一行は奥の座敷の机を囲む。そして席に着くやいなや、僕達のところに升に入ったグラスが人数分運ばれてきた。


「皆、最初は冷酒でいいかな?」


 とりあえず日本酒――つまり高清水であることは確定事項らしい。僕もそのつもりではいたので頷く。置かれていたおしぼりで手を拭いているうちに、大将が汗をかくほどに冷えた一升瓶で高清水を注いで回る。


 管理職タカシが乾杯の音頭を取り、僕達は宴に興じた。酒池肉林というわけではないが、美味い肴をつまみ、高清水を呑みながらの会話は初対面の人ばかりであれ間違いなく楽しいものである。最初こそ不安だったが、ひとたび酒が入り話が弾めば杞憂な話であった。


「緒賀君もいい飲みっぷりだねぇ」

「いやぁ、それほどでも」


 気が付けばテーブル上の高清水の一升瓶が空になっている。酒で渾名をつけられるだけあって、皆が皆酒豪であった。そんな彼らにつられるように飲んでしまったせいで、1時間もしないうちに僕はひどく酔っ払っていた。

 落ち着くべくトイレに向かおうと席を立つ。しかしそれすら足下がふらつき、僕は隣のタカシに支えられた。


「おいおい大丈夫か?」

「あぁ、ありがと――」


 タカシの顔を見やる。

 その顔に、何か違和感を覚える。


「タカシ、何か変わったか?」


 自分でも変なことを言っているのは分かっていた。僕の肩を掴んでいるのは、紛うことなくタカシである。そう認識できている。

 なのにどうしてか、自分の知っているタカシとの間にズレが生じている気がしてならないのだ。間違い探しの最後の一つが見つからない、そんなモヤモヤが湧いてくるのである。


「何を言ってるんだ? 少し酔いを覚ましてこい」


 背中を叩かれ、僕はトイレに向かう。

 いったい、この違和感はどこから――。

 その答えは、もう一度振り返った時に現われた。

 テーブルを、


(ああ、そういうことか……)


 タカシを、「タカシ」としか認識できていない。

 確かに、彼らはタカシとしか名乗っていない。それでもそれぞれの区別を、年齢や容姿から区別できていたはずだった。それができなくなっている。それぞれを「タカシ」として認識することはできるが、いったいどのタカシなのか判別できない。

 ここまで理解して、彼らと合流した時に感じた違和感も同様のものであったと気付く。年齢も身体的特徴も異なる彼らを、僕は最初から同一人物であるかのように認識し始めていたのだ。そこに飲酒による酩酊が加わったことで悪化したのだ。

 酔いを覚ますべく、僕はトイレで吐いた。胃の中身を全部出し、口の中をゆすいでうがいをする。だいぶ気分がすっきりとする。そのまま手洗い場で顔も洗った。

 しかし、顔を上げると同時僕は言葉を失う。

 鏡に、タカシが映っていた。

 自分までもが、タカシに見え始めていた。

 頭はさっきより回っている。視界も良好だ。それなのに、鏡に映る人間が自分ではなく「タカシ」としか認識することができない。明らかに異常な事態である。


「見えてきましたか、が」


 背後からの声。

 タカシだった。

 僕の友人であるタカシなのか、他の四人なのかすらもう分からなかった。

 閉口する僕をそのままに、タカシは言葉を続ける。


「タイミングが遅かったな。今更吐いたところで、お前の体はすでに多量の高清水を取り込んでしまっている。タカシ化はもう免れない」

「タカシ……化……?」

「高清水を愛し、高清水を取り込むことで、己を高清水――タカシへと近付けていく。タカシ化は人をタカシとして普遍化し、そこに平等なるタカシを作り出すんだ」


 言っている意味が分からなかった。

 ただ、軽い気持ちで参加しなければ良かったと後悔するほかになかった。


「嫌だ、タカシにはなりたくない……」

「いいや、君はもうタカシさ」

「違う」

「違わない、立派なタカシだ」

「僕は、僕は――」

「ほら、もう名前も思い出せなくなってきただろう? タカシを受け入れるんだ」

「僕は……タカシ、なのか?」

「そう、タカシだよ」


 そっか、タカシだったか。

 理解してしまえば簡単なものであった。

 僕はタカシ。それ以上でも以下でもない。


「さぁ、酔いも覚めたところだろう。高清水を飲み交わそうじゃないか」

「あぁ――」


「それ以上、踏み込んじゃいけねぇ」


 タカシの手を取ろうとした僕の手を、何者かが制した。角張っていながら、そこに繊細な仕事をこなしてきたのであろうと窺える綺麗な手だった。


「大将」

「そこまでにしときな、タカシ」


 僕とタカシの間に大将がいる。

 気が付けばタカシの後ろに、同じタカシが四人立ってもいた。

 タカシ達の声が重なる。


『なぜ止めるのだ』

「お前達は好き好んでタカシになったのかもしれねぇが、このボウズはタカシになることを望んじゃいねぇ。それだけのことだよ」

『全人類は、タカシになる権利を有している。そしてタカシとなり高清水を愛することこそが、この世に存在するただ一つの幸福なのだ』

「酒は、人生の肴だ。人生そのものじゃあねぇ」

『どうやら、話し合いは無駄のようだな』


 タカシ達がどこからか高清水の四合瓶を取り出す。


「ああ、おあいそをくれてやる」


 対する大将は、あくまで徒手空拳のままだった。


「ボウズ、さがってな」


 大将の言葉に従い、僕は彼らから距離を取る。

 そして、戦いが始まった――。


  *  *  *


 結論から言えば、大将の圧勝だった。

 酒瓶を手に襲いかかるタカシ達を、大将は冷静な動きでいなし、鮮やかな手刀で倒してみせた。大将曰く、「後付けのタカシに負けるようじゃ、この名前を付けてくれた両親に顔向けできないからな」とのことだった。タカシ達の財布から勘定分を抜き出して店の外に放り出した大将は、僕をお猪口を差し出す。


「ほら、これを飲めボウズ。タカシ化を無効化する酒だ」


 なみなみと注がれたそれは、あまりに濁った液体だった。


「これはいったい」

「こいつは『低汚泥ていおでい』。まぁ見た目通り不味いが、それも飲んでる間だけだ。タカシになりたくなかったら飲みな」


 そう言われて断れるわけもなく、僕はその『低汚泥』を飲んだ。今まで僕の人生で飲んだ液体の中で、間違いなく一番不味かった。しかし飲んだ瞬間、体の内から憑きものが抜けていく感覚もあり、味について一通り文句を言い終える頃には鏡に映る自分も自分に戻っていた。

 この日以来、タカシとの付き合いはそれっきりなくなった。その代わりと言ってはなんだが大将の店が外で飲むときの定番になった。

 暖簾をくぐると、大将は決まって同じことを尋ねてくる。。


「今日はタカシと泥、どっちがいい」


 大将の問いに、僕は「とりあえず生で」と返すのだった。




《了》


 ――――――――――


 お題「高清水」

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