第28話 奇妙な洋館

「食べながら他愛のない話でもしようじゃないか」


 ロズベルトはワイングラスを傾けながら言った。

 赤黒いワインを優雅に飲む姿は、血液を喉に注ぎ込む吸血鬼のようだ。


「キミたちは実習をしているんだったね」

「ええ、学院活動の一環で」

「アルセイユ騎士学院といえば、うちの姪も今年から通っているはずだが、彼女とはもう会っているのかい?」

「何度か顔を合わせています。クラスが違うので、頻繁に会うというわけではないです」

「ああ、キミたちは特別クラスに所属しているらしいな」


 ユリリカとの会話を聞く限り、ロズベルトはこちらの事情を一通り把握しているようだ。

 姪のルルとは連絡を取っていないらしいので、恐らくは自分で調べ上げたのだろう。


 ワイングラスを呷ったロズベルトは、シロウに目を向ける。


「キミだけ男子だが、何か理由でもあるのかね?」

「ただの偶然だ」

「一人だけ男子だと、何かと苦労するだろう? 例えば、そうだな……魅力的な同級生たちに囲まれて劣情が抑えきれなくなるような時はないのかね?」

「特にはないな」

「乾いているなぁ……キミも若いのだから、今のうちに遊んでおくのも悪くない経験だと思うがね? クク……」


 愉快そうに喉を鳴らすロズベルト。

 男同士の会話に女子たちが半目を向ける。シロウは話を逸らすためにロズベルトへと問いかけた。


「ロズベルト卿は、一人でこの館に住んでいるのか?」

「そうだ。妻はとうの昔に亡くなっており、娘も今はいないのでね」

 

 伴侶と我が子を亡くしていることを語るロズベルトの表情に変わった点はない。強いて言えば、少しだけ楽しそうに口の端を歪めているだけだった。


「娘を亡くして以来、館に引きこもって外に出る機会が少なくなったらしいが」

「ちょっとシロウ、辺境伯に無礼な物言いは……」

「クク、問題ないユリリカ嬢。もはや私はお飾りみたいなものだ。辺境伯としての仕事は最低限にしか行っていないのだからね」


 ロズベルトはシロウの言葉に返答した。


「その通り、この館から出るのは買い出しの時ぐらいさ。ちょうど今ぐらいの時間に一人でせこせこと買い出しに行くんだ」


 そう言ったロズベルトは、窓のほうに視線を向けた。


「ふむ、雨が降り出したようだ」


 雨粒が窓に打ち付けられていた。わずかにだが怪物の低い唸り声のような雷の音も聴こえる。


 ロズベルトはハンカチで口元を拭って席を立つ。


「本降りになる前に買い出しに行っておくとしよう。キミたちは食べ終わったら好きにくつろいでいてくれたまえ。ああ、興味があるなら娘が使っていた遊戯室を覗いてくれても構わない。面白いものが見られるかもしれないぞ」


 そう言った彼は食事室を立ち去っていった。

 一同は料理を食べ終わり、ロズベルトが館から出たのを確認すると、思い思いの場所でくつろぎ始める。

 シロウはジェシカと一緒にホール間近の廊下で壁の絵画を眺めていた。


「この人はロズベルト卿の娘さんかな?」


 ジェシカの視線の先には、十歳ぐらいの少女が微笑む姿を描いた絵画がある。緩いふわふわの金髪と碧眼は美しく描かれており、ユリリカやアリシアを幼くしたような姿だ。


「そうかもしれないな。そして、こちらは妻のほうか」


 娘のエリーゼらしき絵画の横に寄り添うように、女性の絵画があった。こちらの女性も娘に似た金髪であり……絵画の顔部分に獣の爪で引っ掻いたような跡があるために、顔つきが分からない。


「まったく、私以外のメンバーは呑気なものね……」


 呆れた声を漏らしてシロウの横に立ったのはユリリカだ。


「本当はこんなことをしている暇はないんだけれど。調査もまだ途中だし……」

「そうだな。雨が降り止んだら館を出て調査に向かいたいが……」


 窓に目を向けると大粒の雨が打ち付けており、外からはスコールの音が響いている。これほど大降りだと迂闊に外にも出られない。やむなく雨が止むのを待つしかなかった。


「この絵画、どうしてこんなに傷ついているのかしら」


 ユリリカは顔部分を抉られている絵画に疑問を抱いた。

 確かに、これほどの傷は何をしたら付くのか分からない。それに、傷ついた絵画をそのまま放置しておく理由も不可解だ。


「そろそろ戻ろうかシロウくん――え……?」


 ジェシカが身を固め、顔を青ざめさせた。

 突如として廊下に流れ始めたのはピアノの音だった。物悲しく、そして僅かな明るさを孕んだ曲が、廊下の先の部屋から流れている。


「なに……このピアノ、誰が引いてるの……?」

「……私はアリシアとシャルン、ソーニャがホールにいたのを確認してる。あの子たちがあの部屋に行くとしたら、この廊下を通らないといけないから私たちと会っているはず……だとしたら、一体誰が」


 ピアノ曲は緩やかな調子から弾んだ調子へと変化した。まるで何者かが“こっちへおいで”と誘っているようだ。しばらくシロウたちが黙って部屋の扉を見つめ続けているうちにも、ピアノの音は鳴り止まなかった。


「あの部屋を確認する前に、他の子たちと合流しましょう」


 ユリリカの声に、シロウとジェシカは頷いた。


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