桜舞養鶏のマジカルエッグ
黒須
第1話 プロローグ
俺は桜沢涼23歳、無職である。
北海道の人里離れた秘境温泉に浸かり、一人雄大な景色を眺める。ここは川原の横にできた天然温泉で、人の手は入っておらず道道から険しく鬱蒼とした林道を歩くこと30分で来れる。
当然混浴だがそもそもこなところに人が来る筈もなく、もし誰か来ることがあればそれは……。
「ヒグマが出そうだな……ごくり」
昨日、居酒屋で知り合った人が教えてくれた温泉。こんな場所ヒグマくらいしか入りこないだろう。
俺は独り言を呟き熊に怯えながらも、今日までの出来事を振り返る。
◇
東京都立の進学高校を卒業した俺は友人達が大学へ進むのを横目に、建築会社の電気工事事業部へ就職した。当時18歳。
うちは片親で父親に育てられた。父が苦労しているのを見てきたから大学へ進むのを止め、がっつり働いていて金を稼ごうと思った。
インフラ系の会社なら仕事がなくなることはないし働きながら会社負担で色々な資格が取れるところも魅力的だった。学歴よりも職歴を重視し仕事ができれば出世できるところも良いと思った。
就職して間もない頃、社内の飲み会で
その後俺達は付き合うことになった。6歳年上の彼女は結婚に焦っていたこともあり俺が20歳になった頃、俺達は結婚。その時までは最高に幸せだった。そこから俺の転落人生が始まる。
結婚してすぐに父親が病死した。
多額の相続税を払うことになり築60年の都内の実家を売却して税金を払った。手元に8500万円程残る。それから3ヶ月後、埼玉県に3000万円の新築を購入。
この時から俺と優香はセックスレスになった。
俺が誘うも「疲れる」とか「そんな気分じゃない」と断られ、誘う回数も週2、3回から月に2、3回へと減っていった。
そんなある日、優香が妊娠した。1年以上レスだったのに優香から誘ってきた日がだけあって、一発で彼女は妊娠した……そう思っていた。
優香の妊娠中、妊娠週数とセックスした日が合わないと思っていたが、あまり気に留めることはなかった。後からわかった事だが、実際の妊娠日から1ヶ月後に俺達はセックスしていた。
◇
娘が生まれ10ヶ月経った頃、事態は急展開を向かえる。早朝、俺担当のゴミ捨てをしている時にそれに気付いた。
大きなゴミ袋の中にきつく縛ったスーパー袋が捨てられていた。うちはエコバッグを使っているからスーパー袋ゴミは殆ど出ないし半透明の袋の中にはティシュ屑が少量入っているだけのようだった。
なんとなくそれを開けて驚愕する。
ティッシュ屑に包まって使用済みコンドームが入っていたのだ。当然俺のではない。妊娠中、娘が生まれてから、俺達は一度もセックスしていないのだから当然だ。
取り敢えず俺はその口が縛られ中に液体が溜まったゴムを回収し、嫁に見つからないに場所に隠した。
この時は心臓が爆発しそうで、かなり動揺していた。なんでこんな気持ち悪い物を捨てなかったのか自分でもよくわからいが、後にこのコンドームの中身が娘の父親を特定することになる。
優香は不倫している。しかも俺達の新築で……。寝室でやってるのか?そう思ったらいてもたってもいられなくなり俺は家中に隠しカメラを設置した。
電工部署に努めていたからカメラ設置は余裕だった。
◇
1ヶ月間、優香が寝た後や不在時に俺はカメラと接続したHDDの中身を確認した。
そこには優香と間男の音声入りの映像が収められていた。1ヶ月間で3度、間男を家に上げたことがわかった。俺が出張で家を空けている時だ。二人の会話に「娘が生まれてからホテルに行けなくなった」ってのがあった。娘が生まれる前からそういう関係だったことが覗えた。
まだ0歳の娘が寝た後、寝室はもちろん、リビングやキッチンでもやっていた。間男は同じ会社の別部署のヤツで面識はないが歳は30くらいだと思う。
二人で俺のことバカにし笑ってキスして服脱いで体を重ねていた。
俺は辛くて吐いて泣いて、それでも最後まで動画を見た……。
間男は既婚者のようで「愛してるのは優香だけだ」とか言ってたな。優香も「私も愛してる」って答えてた……。
それでも俺はまだ優香が好きで、俺の元に戻ってきてくれるなら今回の事は見て見ぬふりをすることにした。
――あんな酷いことを言われるまでは。
◇
数日後。
夜、眠る娘の隣でスマホを眺める優香に寝支度を終えた俺は話し掛ける。
「優香、今日したいんだけどダメかな?」
「はぁ?無理、眠い。何時だと思ってんの?」
うつ伏せで横になる優香はスマホの電源を落とし俺を見ずに答える。
まだ10時前だけど……。
普段の俺ならここで引き下がり諦める。だが今日は違う。彼女の気持ちを確かめたかった。
「いつも1時くらいまで起きてるじゃん。な、頼むよ」
そう言うと優香の顔は急に不機嫌になる。あからさまに面倒臭そうにしている。彼女は寝ながら俺を見て、
「しつこい。自分の部屋行ってよ。綾が起きちゃう」
綾とは娘のことである。起こさないよう声を抑えてたんだけど……、つか君は綾が寝ている横でアイツとデカい声出したながらやってたよね?
アイツと寝室でやったのを知ってから俺は別の部屋で寝るようになった。この部屋では寝れなかった。
「今晩だけでだけでいいから……」
「この際だからはっきり言うけど、私もう涼とする積り無いから。綾産んでからしたいと思わなくなったしね。――――だから、やりたかったらそういうお店行って!」
この時俺は気が動転した。浮気しろって言うのか?
「俺がエロいお店に行ってもいいのか?」
「なに?別にいいけど。それで言い寄ってこなくなるならね。毎回断る方の身にもなってよ。あとお小遣いは出さないから」
「あ…あのさ……優香、浮気してない?何かおかしいよ……」
俺はずっと黙っていようと決めていたことを口にしてしまった。
「はぁ〜!?ば、ばっかじゃないの。育児で忙しいのに浮気なんてできるわけないじゃない!普段家にいないから育児の大変さ、わからないんでしょ!なんなの、さいっていッ!」
「そっか……」
俺は落ち込んで部屋を出た。
ショックだった。俺とする積りは無いと言わてたことも辛かったが、店に行けとわれたのが、本当にショックだった。
この時、俺の気持ちは一気に冷め、逆に優香に対して嫌悪感を抱くようになる。
もう二度と話したくないと思った。
そこからの行動は早かった。
弁護士に相談し、娘のDNA鑑定も行う。やはり俺の子供ではなく、あの捨ててあったコンドームの使用者、間男の娘だった。
会社の上司にも相談し、俺は仕事を辞めることにした。この会社で優香と出会って色々なことがあった。そういった事を思い出すのが辛かった。
弁護士の先生はとても親切な方で俺の話しを親身になって聞いてくれて、たくさんアドバイスをくれた。
◇
全ての段取りを終えた俺は週末、妻の義父母を家に呼ぶ。優香から「今日パパとママ来るみたいだけど何かあったの?」と聞かれたが、俺は何も答えなかった。この時期には二人の会話はほぼ無くなり、俺は綾の育児も手伝わなくなっていた。
義父母が家に来て、それと同時に弁護士さんも家に来た。
リビングで5者面談が始まった。といっても一方的に弁護士の先生がこれまでの優香の不貞の説明と今後のことを三人に伝える内容となった。
最初はキョトン顔で浮気を否定していた優香。途中キレ気味で「証拠はあるの?」と食ってかかってきたから、皆が座るソファーでやってる動画を見せてやったら大人くなった。終いには泣き出し、喚きながら「離婚したくない」と言っていた。
それでも弁護士さんは朗らかに淡々と話しを進める。
「以上のことから、離婚訴訟を提起すればこちらの勝訴は確実です。嫡出否認の訴えも提起可能でこちらもほぼ間違いなく認められます。養育費支払い義務はなくなります。慰謝料は200万円、財産分与については先程お話ししたように、結婚時、奥様に貯金はなく持ち家及び、家具は全てご主人様の預金から購入いることからこちらの物になります。それとこの家は売却に出されるそうなので、一か月以内にご退去願います」
俺は綺麗好きではあるが潔癖症とは反対の性格で中古の家や中古品でも全然気にしないで使える。でもこの家に住み続けるのは無理だった。浮気現場を思い出し吐き気や頭痛を起こすのだ。
優香は「離婚したくない」という言い分を聞いてもらえず涙を浮かべ俺を睨み、叫ぶ。
「なによッ!私が全部悪いっていうの!?家事も育児も全部押し付けてッ!ちょっと浮気したくらいでなんなのよ!バッカじゃいのッ!」
「家事は俺も手伝っていたよ。掃除は全部やってたし、休みの日は料理も作ってた。つかここ一年は自分の食事は自分で作ってたじゃないか……、育児も手伝ってたけど……そもそもずっと俺を騙してて、本当は俺の子供じゃないだろ?」
「騙すつもりなんて……いつか言おうと思ってたの!」
「この前浮気したか聞いたら、キレながら否定してたよね?」
「…………」
優香は綾を妊娠して1ヶ月以上経ってから俺とセックスしている。おそらく妊娠が発覚し、焦って偽装セックスしたのだろう。初めから隠すことしか考えていないのだ。
この後も話は続いたが義父母は俺に何度も謝ってくれて、彼らの説得で渋々優香も納得し離婚届に署名した。結局、優香から謝罪の言葉はなかった。
◇
慰謝料は義父母が立て替えてくれて直ぐに俺の口座に200万円が振り込まれた。2年間しか住んでいない家は売りに出され、手数料や税金を引かれて1800万円が手元に残った。家具はベビー用品や優香の物以外は全て俺が引き取った。ベッドや15万円もしたソファーは優香と間男がやっていた映像が蘇るから捨てた。
◇
間男の方にも自宅に内容証明を送り、更に会社の上司からも伝えてもらって、間男、間男の嫁、弁護士、俺で四者面談を行った。間男からは何度も謝られたが慰謝料500万円を請求すると言ったら、逆キレして優香のことを「チ〇ポ好き」とか「いつも濡れてるケツでか女」と暴言を吐いていた。二人は元カレ元カノで二十歳くらいから付き合っては別れてを繰り返していたらしい。俺達の結婚式前日にやったことを自慢されて流石に堪えた。
こちらは裁判になり結局慰謝料400万円を受け取れることになった。弁護士さん曰く、今のご時世でそれだけもらえればかなり多いそうだ。4者面談の時に言われた暴言をボイレコに収めたのが大きかった。
間男には小学生の子供が二人いて離婚しないようだった。金額はわからないが間男の嫁は優香に慰謝料を請求するらしい。
全てが解決し俺の預金は約8000万円程になった。俺は福島県にある母方の祖夫母宅に引っ越した。祖父母の家は農家で使ってない部屋を間借りしたのだ。
◇
家庭と仕事を失った俺はこれからどのような人生を歩もうか悩み、今現在、北海道を一人旅している。
温泉の温度は40度くらいだろうか、透明な湯が体にしみる。
「気持ちいいなぁ~」
俺はもう誰かと付き合ったり結婚はしない。もう疲れた。生涯一人で生きていく、その方が楽だ。
一人分食っていける金を稼げればいいわけだから収入や福利厚生は気にしなくていい、自分の好きな仕事をやろう。
そんなことを考えていると、川を挟んだ反対の岸の茂みがガサガサッ ガサガサッと揺れた。この温泉に通じる林道は川のこちら側にある。
手付かずの山から下りてきたそれは間違いなく獣だ。そして茂みから焦げ茶色の毛皮が顔を出す。――ヒグマか!?
が、次の瞬間、ガサガサッ ガサガサッ
毛皮のローブを纏った少女が茂みから出てきた。
少女はフードを取る。桜色のサラサの長い髪が陽の光で艷やかに輝く、小さな顔に大きな青い瞳。
女は俺に向かって手を振る。
「タエッア ニトヒュトッヤァー! オーホォ〜」
甲高い可愛らしい声。
俺も小さく手を振って返した。……つか誰? 外国人か?
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