番外編 フェリシアの恋
──「つまり言いたいのはね? 俺が追い掛けて掴まえた人だから邪魔しないでってこと。あ、それとミア一人で俺の品位が下がるとでも思ってるの? 烏滸がましいね」
「ふんっ。馬鹿な女たち。洗脳されているウォルター様に言ったって無駄に決まっているじゃない」
やっと掴み取った婚約だった。
お父様にお願いして、お父様自身も根回ししてくれて、一生懸命努力してお洒落して綺麗にして、マナーだってイチから学び直した。
それなのに、終わりは突然やってきた。
わたくしが努力したもの全部、あの女が奪っていった。ミアとかいうあの女。共同墓地に居たあの女が。
愛することはない、って言われたけど、いつか変わってくれるだろうと思ってた。それでも良いと思うようにしてた。
確かに家の為の婚約ではあったけど、わたくしだってリリアナ様と並ぶくらい美しいと讃えられる令嬢なのに。
一体何が違うのよ。あの女と一体何が違うの。
焦燥感と屈辱をぶつけたくて彼女を呼び止めた。
苛めてやれば泣いて逃げ出すかもしれない。どうせ相手は元平民なんだから。貴族の世界に恐れ慄いて逃げ出せばいいんだわ。
そうしてくれればまた
だけど彼女は揺らぎもせず恐れもせず、教育上宜しくない言葉を平然と口にして、その場で気を失ったわたくし達を置いていつの間にか消えていた。
信じられない。
数々の会社を経営するわたくしの家柄を恐がるのが当たり前でしょう?
平民だとしてもアーバン伯爵家の名は知っているはずよ!
それなのに置いていくですって?
それに何?
「せっ、せ、せっく……ッ!」
駄目。言えないわ。
とてもじゃないけれど言えない。
それに、強く
「む、むりよッ……!」
顔に火がついたように熱い。
あのミアって女は品がないにも程があるわね。暫く独りになろうかしら。
なんだか独りになりたくて、お友達に断りを入れて人の居ないバルコニーへ逃げた。夜風が冷たく、今のわたくしには丁度いい。
下の階の少し離れた大ホールからは、人々な楽しそうな声が聴こえてきて、「はぁ」と溜息ひとつ落とす。
素敵な結婚をするはずだった。
誰もが憧れる人と。なのに平民に奪われただなんて。とんだ晒しものよ。
心配そうに声を掛けてくるお友達だって内心馬鹿にしているわ。
本当、嫌になっちゃう。
でも男に捨てられて泣くなんて、もっと馬鹿にされてしまうわ。気丈に振る舞うのよ。
フェリシア・アーバンは強い子なんだから。
──「うふふ! ここでいい? 早くぅ、待ちきれないのよ」
──「そう急ぐなって」
バルコニーから眺められる庭園に男女が二人。楽しそうに手を繋いで……。今のわたくしには辛いだけ。
いいえ。ウォルター様と婚約を続けてたって、ああはならなかったのでしょうね。そう考えると余計虚しくなってしまうわ。
はぁ、とまた溜息をついて、ぼんやりと眺めていた。
別に盗み見するわけじゃなくて、本当にぼんやりと眺めていただけだったの。
突然女性の方がドレスを捲くりあげるからそりゃあもう驚いたわ。
──「あんっ! もうっ! 焦らさないでよぉ」
──「焦らしたほうが楽しいだろ?」
「!!?」
厭らしい声と肌がぶつかり合う音、それから微かに聴こえる水音。
ナニをしているかなんてわたくしにも分かったけれど、そこから身体が動かなかった。それよりも興味のほうが勝ってしまって目を離せずにいた。
それもこれもミアとかいう女が身体を使ってウォルター様を誑かしたからよ。
『処女なんてさっさと捨てちゃえばいいのですよ』
彼女の言葉が頭の中に響いている。
庭園にいるあの女性は、わたくしとそう変わらない年齢に見えるけれど随分と慣れているのね。
何故?
貴族の令嬢は処女が求められるのではないの?
いまわたくしが守っているものってなに?
何の為?
愛とか恋とか、そんなものの為ではなくって、血族の為、なのよね。知ってるわよ。
でもそれでいいのかしら。本当にそれでいいのかしら。
庭園で愛し合う彼女みたいに、もっと気軽に楽しんでもいいのかしら。
分からないわ。
でもこれだけは言えるの。
わたくしはウォルター様に捧げたかった。
ウォルター様も、ミアとかいう女に、捧げたかったのかしら。
「ふーーん。君ってばそーいう趣味あったんだぁ」
「ッ──、どなた!?」
驚いて振り返ると、声の主はダン・ローレンス。ウォルター様とは仕事仲間の男性だった。
公爵家の次男のくせして女好きで有名。家柄も良いし顔もそんなに悪くないけれど、ウォルター様と並んでしまえば霞む人だわ。それにウォルター様は女性を軽々しく扱ったりしないもの。
「そっ、そんな趣味って、何のことかしら!?」
「やだなぁ。分かってるくせにぃ。いつも高みの見物してるのかな?」
「なっ……! はい!? そんなわけないじゃない……!」
「へぇ? まぁいいけど。……で? 本当は勉強でもしてたんでしょ? 美人で経験豊富なミアちゃんにウォルターを盗られたからさ」
「ッ……!!」
一言も返せなかった。
遊んでいるくせに察しがいいのだから嫌な人ね。
顔を見られたくなくて、プイとそっぽを向いた。相変わらず庭園では男女が愛し合っている。あんな声を聞いていると此方まで変な気分になってくるわ。
「いやあ初々しいねぇ。俺で良ければ練習台になるんだけどなぁ〜」
「い、いいい一体なんの練習台ですか……!?」
「二度も言わせないでよ。分かってるくせに、ねぇ?」
いつの間にかバルコニーの手すりに閉じ込められて、「ね?」とダン・ローレンスの顔が近付く。
胡散臭い笑みと薄い唇。いかにも遊び人なミルクティーカラーのヘア。細く垂れた目の奥は、その性格には似つかわしくないグレーの瞳が輝いていた。
「ば! 馬鹿なこと仰らないで!! 全く分かりませんわ!! っわたくしはもう戻りますので……!!」
勢いに任せて腕を払いのけて、逃げ出した。
逃げてきたはずなのに、また逃げ出した。
駄目ね。
この程度で顔を赤くして身体を熱くして。わたくしって本当に子供なんだわ。
そりゃあウォルター様も見向きもするわけないじゃない。
練習台……か。それも悪くないのかしら。
さっさと処女なんて捨ててしまえばいいのかしら。
キスって本当に檸檬の味がするのかしら。
彼なら、知っているかしら。
──まさか、わたくしが後にダン・ローレンスと恋に落ちて結婚するなんて、このときは思ってもみなかった。
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