其の漆 勝利の銃声

 突きつけられたその言葉に、思わず息を呑む。

 キリサキジャックが言い放ったその名は、九十九が自分で思った以上に心身の隅々にまで染み込んでいった。

 今の彼を襲った感情は、ただ1つ「納得」以外の何物でも無い。


 妖怪ニンゲン・ヤタガラス。

 それが、妖怪としての自分の名前なのだと。理屈を追い越した理解だけが、そこにはあった。


「本当に……本当に、僕は妖怪なのか。妖怪に、なってしまったのか」

「さてな。少なくとも、それに答えを出す暇など与えん。我らは同族なれども同胞ではない。その点については、人間と変わらない」


 両手で握った刀を上段に構える。それが大技の構えである事は、火を見るよりも明らかだ。

 妖怪である自覚を得た今ならば、九十九にも分かる。キリサキジャックが持つ刀には、紫色のおぞましげなナニカが纏わりついていた。

 きっと、あれがキリサキジャックの「妖気」とやらなのだろう。そして、妖気を纏った刀を用いて放つ飛ぶ斬撃こそが「妖術」の正体。


 それを明解に知覚して、九十九は火縄銃をがっしと握り構えた。

 熟練の狙撃手めいた体勢を取った彼の出で立ちはまさしく、かつての戦国時代に活躍した雑賀衆の銃兵たちを想起させるだろう。


「我らが長は言った。これは『げえむ』だと。人間に恐怖と絶望をもたらし、昼の世界を夜の世界で覆す、その一番手こそが我であると。ならば、貴様は『げえむ』の障害だ。──ここで、排除する!」


 刀身が、色濃い紫色に包まれる。

 今か今かと解放の時を待ち侘びる暴れ狂う妖気の有様は、暴走したチェーンソーの方がまだ大人しいと言う他ない。


「そうは……させない。僕は……僕が、その悪趣味なゲームを止める。誰が敵で、誰が味方かなんて、何も分からない。けど……けど!」


 銃口に火を投じ、銃身の内で炎を育てる。

 より多くの種火を、より多くの灯火を詰め込んで、圧縮して、閉じ込めて。凄まじいまでの熱量が、空気の流れすら掻き乱す。


「お前を……倒す!」

「やってみせるがいい……!」


 この一撃で全てが決まる。

 誰かがそう明示した訳でもないのに、彼らはそれを明確に察していた。

 故に、全力を込めた技──妖術が放たれる。


「妖術《切り裂き御免》ッ!!」


 上段の構えから振り下ろされる斬撃。これ即ち真っ向斬り。

 渾身の膂力が実現したそれは、濃い紫の光を帯びて刀身を離れ、虚空を引き裂いた。


 コンクリートが捲れ上がり、進行方向の全てを切り裂き砕きながら突き進む飛ぶ斬撃。

 直撃すれば、真っ二つどころの話ではない。肉体は血煙となり、たちまち蒸発するだろう。


「でも……いける。きっと」


 九十九の指が、引き金に添えられる。

 妖気のチャージは既に完了した。彼の制御下にある火縄銃は、最早火薬庫と大差が無い。

 そんな迸る熱と反比例するように、頭は冷静さを保っていた。


 常識的に考えれば、あんな化け物が放つ攻撃を弾丸如きで跳ね返せる訳が無い。

 それでも、九十九の理性はいたって冷静に引き金の指を押し込んだ。


「──撃ち抜けぇっ!!」


 その銃声が、大砲を用いた砲撃音ではなかったと胸を張って言える者はそうそういないだろう。

 爆発寸前の太陽と言われても納得できるほどの熱量が、辛うじて弾丸の形を保ちながら撃ち放たれた。

 空気すら焼き焦がしながら飛翔する朱色の軌跡はやがて、眼前に迫る紫色の斬撃と正面衝突し──


「我の斬撃を……砕いただと!?」


 キリサキジャックが全霊を込めた妖術は、九十九の全霊を宿した妖術に打ち負けた。

 粉々に破壊された斬撃は方々に散って、その威力を失いながら空気中に溶け消える。


 そうして立ちはだかる壁を突破したのち、弾丸は己が滅ぼすべき敵に向かて軌道を変える事なく接近する。

 歯ぎしりの音を口内に残したまま、キリサキジャックは弾丸を撃ち落とす為に刀を振り抜いた。

 その結果として。



──バキィ……ン



 刀が、折れた。

 かつて千人の侍を斬り殺し、その怨念を吸い上げたという妖刀は、麩菓子を割るよりも容易くへし折られた。

 それを成した弾丸は、そのまま妖怪の胸へと吸い込まれ……そして。


「ガッ──!?!?」


 着弾。

 膨れ上がった妖気の炎は、キリサキジャックの体を突き抜けて彼の背中に真っ赤な輪を刻み込む。

 さながら、空に輝く日輪のように。


 着弾してなお荒れ狂う炎が、意思を持っていると錯覚するほどの動きでのたうち回る。

 周囲を取り囲む炎すらその風圧で全て消し飛び、やがて全ての炎が勢いを失って消え去ったのち。


「かっ……く、はは……よもや、これほどまで、とは……見誤った、か」


 ただの棒切れと化した刀を手から溢れ落とし、どす黒く焼き尽くされた胸を掴みながら。

 キリサキジャックは、自身の命脈があと数秒で尽きる事を感じ取った。


 ドロドロの血を吐き出し、その足はフラフラとよろめきながらも膝をつく事は無い。

 焦げた面頬から垣間見える瞳が、妖術の反動を受けて肩で息をする九十九をしかと見据えている。


「だが……だが、恐れるが、いい。我に、命を与えた、者……我ら妖怪の、長。かの者、が……必ず、我ら妖怪……に、覇権をもたら、す……だ、ろう」


 その語りを、九十九は火縄銃を下ろしながら静かに聞いていた。

 一言も聞き逃してはならないと、自分の呼吸音すら抑制して、断末魔の恨み言をしっかりと。


「畏れ、よ……人間。昼の世界、に……絶望……を。我らが山ン本ヤマンモト……ばん、ざぁいっ……!」


 それが、妖怪カタナ・キリサキジャックの最期の言葉となった。

 全身に深く浸透した妖気の炎が、一気に体外へと溢れ出す。それはつまり、肉体が内部から破壊される事を意味していた。



──BA-DOOM!!



 内側から襲い来る灼熱に耐え切れず、キリサキジャックの体は爆発四散した。

 近くにあったほとんどのものを吹き飛ばし、吹き荒ぶ爆風が彼の存在の一切をこの世から抹消していく。

 九十九が風圧を凌いだ頃には、2つに砕け折れた妖刀だけがその場に残っていた。


 爆発が終わり、館内には恐ろしいまでの静けさが訪れる。

 楽しかった特別展示は跡形も残っておらず、黒焦げになった死体や残骸ばかりが惨状を物語っている。

 最早、この建物の中で生きているのは九十九を除いて誰1人として存在しない。平穏な博物館は、完全に崩壊した。


「……終わった……のか」


 口に出して、ようやく実感する。

 戦いは終わった。恐るべき怪物は倒された。恐怖に彩られた殺戮劇は幕を閉じた。


 けれど、結果として多くの人の命が奪われた。多くの保存すべき史料が壊された。

 同時に九十九は、この力をただ隠して生きていく事ができない事も薄々察していた。

 自分はこれからも、数多くの事に巻き込まれていくだろう。そんな確信があった。


 妖怪ニンゲン・ヤタガラスに守る事ができたのは、自分の命だけだった。彼は、自分のこれからの平穏すら守れなかった。


「は……ははっ。全っ然、意味分かんねぇ……」


 乾いた笑いだけが出る。戦いが終わって始めて自覚できた疲労が、ズンとのしかかる。

 体が痛い。腕も疲れた。肩は怠いし、胸は火のついた煙草を押し付けられたかのように熱い。


 遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。

 パトカーか、或いは消防車や救急車なのだろうが、今の九十九はその内のどれなのかを判断する事すら煩わしかった。


「恨む、ぜ……光太。昼飯……1週間は、お前の奢り……な……──」


 限界が訪れた。

 力の抜けた手から火縄銃が滑り落ち、九十九の体はその場に崩れた。

 いきなり床に叩き付けられた痛みこそ感じるが、体のどこにも力を入れる事ができない。


 徐々に薄れていく意識だけが、認識できる全てだった。


(あー……これ、警察の人とかに見つかったら……僕が犯人なのかなぁ……? 単独犯のテロリスト……嫌だなぁ……)


 そんな事をぼんやりと考えている内に、意識を保つ事すら難しくなっていく。

 そろそろ気を失うという間際、ふと頭の近くに何者かの気配を感じた。


「……けた! 坊……! 今、わて……助……」

「嗚呼……なん……労し……! すぐ……の家まで……」


(なん、だ……? 誰か、喋ってるのか……?)


 すぐ傍で誰かが何かを話している。

 その事に気付き、少しでも聞き取ろうとほんの少しだけ意識を取り戻して……。


 ぼやけた視界に映ったのは、別の光景だった。


(あ、れ……あの人、って……妖怪、の)


 離れた場所にある柱の陰から、こっそり顔を出した1つの人影。

 驚くほど長い煙管キセルを持った、枯れ木のような雰囲気をした和装の男。

 その暗く恐ろしい眼差しが九十九を捉え、ヌラリと笑ったのちにどこかへ立ち去っていく様が見えた。


 そこで、九十九の意識は途絶える事になる。

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