第18話:京の職屋敷

 あいの巫女舞が評判になればなるほど、既存の組織が危機感を持つ。

 もう既に伊勢山田の非人組は、内宮と外宮の支配を離れて檜垣屋の支配下に入っているも同然だった。


 あい達と同じように体の不自由な者の中には、幕府から特権を与えられている盲人の集団があった。

 俗に座頭と呼ばれるが、最高位の検校がいる当道座だ。


 唯一幕府が公認した金貸しであるだけでなく、健常者の冠婚葬祭に集金する特権や、平曲、地歌三味線、箏曲、胡弓等の演奏作曲だけでなく、鍼灸やあんま指圧も独占が許されていた。


 鍼灸あんまの独占はともかく、芸事の独占は非人の乞胸や勧進と被るところもあり、戦々恐々としていたのだ。

 そしてついに伊勢山田の盲人達は京にある職屋敷に助けを求めてしまった。


 盲人は京の職屋敷が支配する上方筋と、江戸の惣録屋敷が支配する関東筋に分かれていた。


 その境界は三河と遠江の国境とされており、伊勢の座頭は京の職屋敷が支配下に置いていたのだった。


 ★★★★★★


 伊勢山田奉行の依田恒信は京都からの無理難題に頭を痛めていた。

 いや、ある意味正当な要求だからこそ頭が痛かった。


 幕府の支配地である伊勢山田だからこそ、守らなければいけない定めがある。

 座頭達に認められた特権は、幕府の奉行だからこそ民に守らせなければいけない。


「座頭の連中は何を言ってきたのだ?」


「それが、自分達こそ幕府が認めた歌舞音曲の担い手であると申して、座敷や門前での興行を認めろと言っております」


「あいつらは何を考えているのだ?!

 東照宮と同格と認められたお伊勢様と敵対する気か?!」


「上手く幕府の矛盾をついて来ております。

 恐らく、京の公家が知恵を付けたものと思われます」


「どこのどいつだ?!

 必ず報復してやる!」


「確たる証拠はありませんが、古に当道座の支配を認められていた、久我家の可能性が高いと思われますが、絶対ではありません」


「本当に忌々しい連中だ!」


「幕閣の方々にお伺いを立てた方がいいのではありませんか?」


「……その通りだが、ある程度の意見は添えておかなければならぬ」


「何故でございますか?

 そのような事をすれば、お奉行がよけいな責任を負う事になりますぞ?」


「……ずっと怪力乱神など信じないと言っていたが、世の中に不思議があるというのが嫌というほどわかった」


「……確かに、不思議な事が続きました」


「その全ての要にいるのが檜垣屋の優子だ。

 優子がこの事態をどう思うのかが問題だ。

 優子が怒りを覚えた時、どのような不思議が起こってしまう事か……」


「お奉行、伊勢山田は奉行所が差配しているのは間違いありません。

 お奉行がお伊勢様の神職に古の掟を聞きだされ、それを参考にした上で幕閣の方々に意見を添えられてはいかがでしょうか?」


「……神職に話を聞く事で、優子の考えを探れと言うのだな?」


「はい、優子のこれまでの言動を見れば、座頭達に無理難題を言うとは思えません。

 座頭の連中の言い分を教えて、優子に考えさせればいいのではありませんか?」


「……情けない。

 奉行ともあろう者が、女子供に頼らねばならぬとは」


「お奉行はお叱りになるかもしれませんが、相手はお伊勢様の寵愛を得ています」


「……腹立たしいぞ!」


 伊勢山田奉行も奉行所も不本意極まりなかったが、他に妙案もなく、京の職屋敷からの言い分を内宮と外宮に伝えるのだった。


 ★★★★★★


「優子殿に来てもらったのは他でもない。

 京の職屋敷がとんでもない事を言ってきた事についてだ。

 優子殿はその件に関してどう考えているのだ?」


「恐れながら私に考えなどありません。

 御師宿の座敷に誰を上げるかは、それぞれの亭主が決める事です。

 御門前の勧進にしても、外宮と内宮の禰宜の方々が決める事です。

 御師宿の女将に過ぎない私に考えなどあるはずがございません」


「そう虐めないでくれ、優子殿。

 外宮の他の禰宜はもちろん、内宮の禰宜達も優子殿を畏れているのだ。

 檜垣屋の本家である私に押し付けて、逃げ回っているのだ。

 とてもではないが、外宮の内宮も奉行所の御下問に答えられない」


「全ての禰宜の方々が弥次郎様に任せると申しておられるのでしたら、弥次郎様が全てをお決めになられればいいではありませんか。

 分家の、それも女に過ぎない私に聞かれる必要などありません」


「もう虐めないでくれ、優子殿。

 私達禰宜にはお伊勢様の御意思が分からないのだ。

 もう間違って事をしてお叱りを受けるのは御免なのだ。

 お伊勢様の御意志に逆らわないために、優子殿の意見が聞きたいのだ」


「そこまで申されるのでしたら、あいに舞ってもらえばいいのではありませんか。

 私は、真にお伊勢様の寵愛を受けているのはあいだと思っています。

 あいが舞えば、お伊勢様か御使いが降りてくると思っています」


「……私とすれば、優子殿の言葉の方がありがたいのだが、それでは優子殿が目立ち過ぎると言う事かな?」


「そう言う訳ではありません。

 日本六十余州でお伊勢様の寵愛を知られているのは、他の誰でもないあいです。

 それに、お奉行様と職屋敷の方を前にして舞えば、どのような結果になろうと、両者ともに納得するしかありません。

 御師に過ぎない私が口にするよりも、遥かに説得力があります」


「……あいが舞えば必ず神様が降りると言うのだな?」


「お疑いならやらなければいい事でございます。

 私は弥次郎様に答えろと言われたから答えたまでです」


「あっ、すまぬ、本当にすまぬ、どうか許してくれ。

 お伊勢様とお奉行の板挟みになって心に余裕がなかったのだ」


「別に怒っているわけではありません。

 全ては本家である弥次郎様のお考え通りにされればいいのです。

 分家の女将に過ぎない私ごときが口出しする事ではありません」


 優子に突き放された本家の弥次郎は内心恐怖に震えていた。

 自分の言動がお伊勢様の気に障ったら、外宮から家に戻る際に神鶏に襲われる。

 明日以降、家から外宮に通えなくなり、禰宜職を失う事になる。


 弥次郎常行は恥も外聞もなく優子に頭を下げ続けた。

 優子が檜垣屋に戻る時に一緒に家に戻るほど神鶏を恐れていた。

 それが功を奏したのか、弥次郎は神鶏に襲われずにすんだ。


 翌日外宮に行く時には、心臓が口から出るかと思うほど恐怖していた。

 襲われはしなかったが、数十羽の神鶏に殺気を放たれ、外宮に入るまで後を付けられてしまった。


 外宮世襲禰宜、檜垣弥次郎常行は大急ぎで奉行所に報告した。

 一刻の遅れが破滅につながるかもしれないと慌てふためいていた。

 配下の神職に命じて、あいに巫女舞を舞ってもらう手筈を急ぎ整えた。


 檜垣禰宜から伊勢山田奉行所や京の職屋敷に出された手紙が、物凄く威丈高になってしまったのは、恐怖の裏返しだった。

 

 何としても優子の、いや、お伊勢様の御意思に従わなければ、何時神鶏に襲われるか分からないという恐怖からだった。


 だが、そのような手紙を受け取った伊勢山田奉行と職屋敷の検校にとっては、屈辱以外の何物でもなく、深い恨みを買ってしまった。


 とは言え、檜垣禰宜に知恵を乞うたのは伊勢山田奉行だ。

 教えを乞う以上、答えが得られるまでは下手にでる以外にない。


 そして最初に因縁を付けたのは京の東洞院にある職屋敷の検校だ。

 因縁を付けた以上、相手が怒るのは当然と言えば当然だった。

 引くと思って売った喧嘩を買われたからといって、今更文句は言えない。


 特に今回は伊勢山田奉行所からの報告で幕閣にも上様にも知られていた。

 最初に喧嘩を売ったのが職屋敷の方だと知られてしまっているのだ。


 これ以上難癖をつけると特権を剥奪される恐れすらあった。 

 既に江戸の惣録屋敷が、上方筋の扱いも自分達に任せて欲しいと、幕閣に賄賂を贈っているという情報が職屋敷に伝わっていたのだ。


 だから、伊勢山田奉行と職屋敷の検校は素直にあいが舞う巫女舞を見学する事を承諾した。


 もちろん京の東洞院にある職屋敷から目の見えない検校が伊勢山田まで来るのは難しく、全権を委任された伊勢山田の盲人が代理人として立ち会う事になった。


 検校どころか別当ですらなく、勾当でしかないが、伊勢山田の盲人最高位が勾当なのでしかたがない事だった。


 だからこそ、檜垣禰宜は再度威丈高な手紙を送って念を押した。

 後になって、たかが勾当が立ち会った事だから無効だと言わさないように。

 檜垣禰宜も命懸けで必死だったのだ。


 それには伊勢山田奉行の依田恒信も同意し協力した。

 自分が面目を潰されたのも、頭が痛くなるような難題に取り組まなければいけなくなったのも、全て職屋敷が文句を言ってきたからだ。

 

 それなのに、責任者の検校が尻をまくって逃げたのだ。

 後でまた難癖をつける隙を作る気にはなれなかったし、文句を言える時に腹に溜まった怒りを吐き出しておかないと、血管が切れそうだった。


「現場に来られもしないのに文句を言うな!

 次に文句を言ってきたらぶち殺すぞ!」


 言いたい事をそのまま手紙にすることはできなかったが、意味を間違えようがない書き方で手紙を送った。


 幕閣にはもう少し穏当な言葉で手紙を送ったが、気持ちは汲み取ってもらえたようで、職屋敷には幕閣からも厳しい内容の手紙が送られた。

 それどころか、京都所司代と京都町奉行から厳しい言葉を託した使者が送られた。


「とても畏れ多い事ではございますが、お伊勢様の御意思を確かめる為に、巫女に舞って頂く事になります。

 くれぐれも失礼のないようにお願い致します」

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