第58話 血の染みた土

 国王陛下万歳、カサンドロス王万歳。


 雷鳴のように轟く歓声を背に、カサンドロスは大型テントに戻った。後に続くラートバルト王たちが従者のようにしか見えない。


 それほど刀のお披露目会は衝撃的な結果であった。


 持ち手の力を搾り取る呪いの刀は、光の属性を与えられた事で王者としての力を分け与え見る者を魅了する効果を得た。


 人を魅了するという意味では妖刀『椿』にも近い効果だ。椿ほどの強制力は無いが、効果範囲は段違いに広い。


 王の権威や戦争にさほど興味の無い職人連中や、敵意を抱いていた王国の貴族たちには効かなかったが、自国の兵と王国兵の中でも感化されやすい者たちはすっかり魅了されていた。


 所有者に少しだけカリスマ性を持たせる刀。個人が持てば大した意味はないが、王の手に渡れば絶大な効果を発揮した。


 兵や国民の前で刀を振るう度に、王に従おう、王の役に立ちたいという気持ちが広がっていくのだ。


 物凄く大雑把で適当なイメージだが、持っているだけで支持率が三割上がる刀とでも言えばその恐ろしさが伝わるだろうか。


 王国侯爵、ベオウルフ・エルデンバーガーはカサンドロスの背を忌々しく睨み付けていた。そして心中で職人たちを罵っていた。


 ……あの馬鹿どもが、誰があそこまでやれと言った!


 光属性で五文字という条件さえ満たしてくれれば良かったのだ。それを職人どもは無駄にやる気を出して非常識な、神器とも呼べる物を作り出した。


 あんな物を渡してしまえば蛮族どもをつけあがらせるだけではないか。それを職人たちは理解できずに、良い物が出来たと手を叩いて喜んでいた。


 ……イェーイ、じゃないんだよ馬鹿が!


 王が宝刀を掲げ兵士たちが一斉にひざまづく。その光景は伝説となり、すぐにでも大陸中に伝わるだろう。むしろ奴らが宣伝をしない理由がない。


 神話の中で王国は完全に引き立て役だ。


 ベオウルフも魅了こそされなかったものの、敵国の王を少し格好いいと感じてしまった事が我ながら腹立たしい。脳内でカサンドロスと職人たちにありとあらゆる呪詛の言葉を吐いて、ようやく落ち着きを取り戻した。


 カサンドロスを讃える声が大きいほどに、抱える爆弾も大きくなる。今はそれを楽しみに待つとしよう。ベオウルフの口元に暗い笑みが浮かんだ。


「職人たちよ、この刀の名は何というのだ?」


 カサンドロスが上機嫌で聞き、ゲルハルトが前に進み出た。


「天照、と名付けました」


「あまてらす……? 妙な名だな、だが悪くない」


 それは昔ルッツが父から聞いた東の国の伝説であり、うろ覚えでクラウディアに語った事がある話だ。クラウディアはその時の事を思い出して太陽神の名を付けたのだった。


 連合国にも人々の心を支える宗教がある。それをわざわざ遠い海の向こうで信じられる神の名を刀に与えるのは、クラウディアの悪戯心いたずらごころのようなものであった。


 ……お楽しみの時間はここまでだ。


 そろそろ頃合いと見てベオウルフは胸を張り大きな声で言った。


「お気に召したようで何よりです。さて、返礼品は何をいただけますかな?」


 贈り物外交はまだ続いている。巨大宝石、覇王の瞳は形を変えて返したので差し引きゼロだ。連合国側は刀と付呪の技術料を返す義務があった。


「陛下……」


 アルサメスが不安げな視線を父王へ向ける。


 何が起こっても対応出来るよう、荷馬車の中にはいくつもの財宝を用意してあった。美しい石像、金銀宝石をちりばめた首飾り、純銀の宝剣など。しかし、どれも吊り合うとは思えなかった。


 天照は奇跡の宝刀であるとカサンドロス自身が証明してしまったのだ。兵たちが一斉にひざまづいたあの光景を思えば、大した価値は無いと言えるはずもなかった。それは彼自身が神話を否定することになる。


 沈黙。誰もがカサンドロスの次の言葉を待っていた。


「この土地を譲ろう」


「え?」


 ベオウルフの口から間の抜けた声が漏れた。そんな彼を無視してカサンドロスは影のように大人しく黙っていた見届人に話しかけた。


「これならば文句はなかろう?」


「古来より城と宝を交換した例はいくらでもあります。後方の砦とその周辺の土地を渡せば十分に吊り合うかと」


 見届人は相変わらずの眠そうな顔で淡々と語った。


「……と、見届人どのも言っておられるが、いかがか?」


 カサンドロスはラートバルトに聞いた。


 十年以上も争っていた国境際の土地の割譲、それこそ王国が待ち望んでいた物ではないか。今までの戦いは無駄ではなかった、一定の成果があったと国内に向けて説明する事も出来る。


 美味しすぎてよだれが出そうだ。だからこそ不気味であった。カサンドロスは天照に領土以上の価値を見出だしたという事になる。


 奴に天照を渡してしまっていいのか。その結果何が起こるのか。


 悩むが結局は、ここで土地を受け取らないという選択肢はない。


 ラートバルトとベオウルフは目を合わせて頷いた。


「異存ありません」


 その言葉を聞く前から見届人は既に書類の作成を始めていた。名刀天照の譲渡、国境際の土地の割譲。約定は正式に交わされ、そして和平交渉は終わった。


 真の勝者が誰なのかもわからぬままに。




 連合国が撤収準備を始め、カサンドロスが馬車に乗り込もうとした所で後ろから声をかけられた。


「父上!」


 第二王子アルサメスが苛立ちを隠さぬままに大股で近づいて来る。


 公共の場で父と呼ぶな、感情を制御して表に出すな。常々そう教えてきたのだが、全てを忘れてしまったようだ。


「この土地を明け渡すなど本気ですか。いや、正気ですかッ!?」


 酷い言われようだとカサンドロスは苦笑を浮かべた。その余裕の表情がアルサメスをさらに苛立たせる。


「我らは返礼品を用意できなかった、だから土地を渡した。最初からそういう戦いであろう」


 あなたに素晴らしい財宝を差し上げます、返す物が無いなら土地か人質をいただきます。これは文化で殴りつける戦争だったのだ。こちらから仕掛けて負けた、ならば土地の割譲も当然の事だとカサンドロスは考えていた。


「……奴らは、この戦いに勝ったと喧伝けんでんいたしますぞ」


「国内向けの言い訳ぐらいさせてやれ。我らは太陽を手に入れた、これ以上の勝利はあるまい」


 カサンドロスは腰に差した刀の鞘を誇らしげに叩いて見せた。


「父上、この土地は十年以上に渡り戦士たちが必死に守り抜いた土地です。彼らの血が染み込んだ土なのです。戦士たちが流した血に何の価値も無いと言われるか、腐った果実のように簡単に捨ててしまう事が出来るのですか!?」


 アルサメスは肩を振るわせて叫んだ。泣いていたのかもしれない、それはアルサメス自身にもよくわからぬ感情の奔流だった。


「流した血に、何の価値も無い」


「父上……?」


「我らには血を流させた責任があるだけだ」


 アルサメスは呆然と立ち尽くした。何の価値も無い、その言葉が頭の中でぐるぐると回り続けた。


「約定により五年、王国の猿どもは我らに手出し出来ぬ。その間に国内を固めるぞ。いつまでも豪族どもに自治だ権利だと騒がせてはいられぬわ」


 停戦期間内に攻撃すれば今度は隣国の介入を招くことになる。王がよほどの馬鹿でもない限り、そんな面倒なことはしないはずだ。


 そして実際に会った印象では、ラートバルト王は英雄ではないが愚かでもない。見届人を立ち会わせた意味を十分に理解しているはずだ。


 十年もだらだらと小競り合いが続いていたのは、国内の意思統一が出来ていなかったせいでもある。


 国内統一、その為の王の権威だ。成し遂げれば連合国は今よりもずっと強くなる。荒れ果てた土地などいくらでもくれてやればいい。


 カサンドロスはにやりと笑って馬車に乗り込んだ。


 土煙を上げて去っていく馬車を、アルサメスは感情の無い眼で見送った。


 偉大なる父王が刀欲しさに国土を売り、戦士たちを裏切ったようにしか思えなかった。土地こそが国のいしずえではないのか、そう教えてくれたのは父自身ではなかったか。


「売国奴め……ッ」


 その呟きは誰の耳に届く事もなく、風の中に散った。

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