第53話 その手に太陽を

「リスティルちゃん、いいですよね」


「……は?」


 ここはパトリックの装飾工房である。


 三職人直列作業の弊害へいがいと言うべきか、パトリックはルッツから刀を受け取らねば何も出来ず、ゲルハルトはパトリックから装飾を終えた刀を受け取らねば何も出来ないのである。ある程度の準備などは出来るが、それも終えてしまうとやはり手持ち無沙汰ぶさたであった。


 かと言って今回の仕事は国の行く末に関わるものであり、暇だから他の仕事を取ろうという訳にはいかなかった。


 同じく暇を持て余しているであろう仲間の様子を見に来たのだが、ゲルハルトは早速帰りたくなっていた。


「小さい女の子が精一杯背伸びしている姿は良いですねえ。心に咲いた一輪のバラが、愛で水浸しですよ。これね、大切なのは背伸びっていうワード。生意気なガキがいきがっているのとは全然違うんです。必死に背伸びしている可愛い可愛い女の子からでしか摂取出来ない栄養素ってあると思うんですよ。それが高貴なご身分だっていうから美味しさ二倍のぺろりんちょですわ」


 パトリックは恍惚の表情で身をよじりながら言った。


 この中年男の言っている事が、わかるようでやはりさっぱりわからない。


「あのな、今さらの話だが相手は王女殿下だぞ。誰が聞いているかもわからん、言葉を慎め」


「まあまあ、ゲルハルトさんだって思いませんでしたか。あの娘を孫にして、よしよしなでなでしてお小遣いをあげたいって」


「わからぬ、とは言わぬが……」


「でしょう!?」


 何を興奮しているのか、パトリックはテーブルを乗り越えてぐいっと顔を近づけて来た。


「ええい、落ち着け。わしもリスティル様にお幸せになってもらいたいというのは同意する。その点だけはな」


「そうですよね、我々が関わった以上はハッピーエンドを迎えてもらわなくては。泣き顔を堪能するのはあくまで途中の話で」


 こいつを国家反逆罪で突き出した方がよいのではないかと、真剣に悩むゲルハルトであった。


「パトリック、いい加減に本題に入らせろ。鞘に施す彫刻の図柄は決まったのか」


「それはもちろん。太陽に向かって飛ぶ竜をモチーフにしようと考えております。後はルッツさんの刀を見てから調整ですね」


「……仕事が早いな」


「ぶっちゃけた話、武器装飾なんてものは竜、虎、獅子、不死鳥あたりをローテーションで使っていればネタには困りませんから」


はりつけのメシアなんかは頼まれたりはせんのか」


「メシアのお姿を人殺しの道具に描くってのはどうなんですかね。教会の機嫌を損ねたら私が磔になりかねませんよ、誰も救われませんがね。十字架でギリギリセーフ、アウト寄りのセーフって所じゃないですか」


「そのうち、司教が儀式用の剣を頼んで来たりな」


「うわ、面倒臭い……」


 教会がらみの仕事はあまりやりたくなかった。口煩くちうるさい上に金払いが悪く、場合によってはお布施やご奉仕扱いで無料にされかねない。


 トントン、とドアが控えめにノックされた。


「親方、刀鍛冶のルッツ様がお見えです」


 弟子の声であった。


 おや、と顔を見合わせるゲルハルトとパトリック。このタイミングでルッツが来る用件はひとつしかないだろう。パトリックは弾んだ声で答えた。


「いいとも、入っていただけ!」


 ドアが開き、お久しぶりですと言いながら頭を下げたルッツの手には、案の定立派な刀が握られていた。


「わお、ルッツさん。私の恋人を連れて来てくださったのですね!」


「……どちらかと言えば、こいつは男の子ですよ」


「それでも構わん、抱かれたい!」


 パトリックはネズミのような素早さでルッツに駆け寄り刀を受け取った。予想外の重さに驚きはしたが、なんとか落とすことだけは避けられた。


「ゲルハルトさんもいらしたのですね」


「暇でな」


「俺もこれからしばらくは暇ですよ」


 刀は出来上がったが、和平会談が終わるまでは何が起きるかわからないので待機している必要がある。何か仕事をするにしても、いつでも中断出来る簡単なものでなくてはならない。


 刀の作成などもっての他だ。


「仕事を終えて暇なのと、仕事を控えて暇なのでは違うだろう」


「確かに、こっちはもう気楽です」


 と、二人は苦笑を浮かべた。


 パトリックは苦戦しながらもなんとか刀身を鞘から抜いたようだ。


「こりゃあ太い、ご立派だ! 戦場で偉丈夫いじょうふがこんなものを振り回しているのを見たら兵士がみんな惚れちゃって、その晩テントがえらいことになるぞ!」


「人類皆兄弟、ですね」


 笑う馬鹿二人、呆れるゲルハルト。ひとしきり笑った後でルッツは表情を引き締めて言った。


「この刀は素振りなどしない方がよろしいかと」


 ルッツは試しに振ってみた時の事を語った。


 明らかに重すぎる刀を限界を越えて振り続けてしまった。気分が高揚し、何でも出来るような気がしていた。クラウディアに声をかけられなければどうなっていたかもわからない。


「本当は三日前に仕上がっていたのですが、腕の痛みが引くまで休んでいました」


 恐ろしい話であるが、この場に怖がる者などいなかった。パトリックは目を輝かせ、ゲルハルトは興味深げにあごを撫でながら唸っている。


「付呪を施す前の椿に似ておるな」


「自傷にせよ戦いにせよ、持ち手に何かを強要するという点では確かにそうですね」


 どちらも魔法などはかかっていない。つまりは刀の美しさ、力強さがあまりにも素晴らしいが為に持ち手が錯覚をしてしまうのだ。


 斬られてしまいたい。力がどんどん湧いてくる。そんなものは全て勘違いである。


 人の精神にまで影響を与える芸術品。出来については申し分ない。


 ……つまり、失敗したらそれは刀のせいではなく、わしのせいだと言うことだな。


 刀を褒め称えると同時に、不安と重圧を感じるゲルハルトであった。


「これは刀に合わせて図案も大きく変更せねばなりませんね。太陽はより強く輝かせ、ドラゴンも今よりずっと筋肉質、マッチョドラゴンに! テーマは力こそパワーって事で!」


 パトリックは夢中になって刀を様々な角度から見ていた。やがて落ち着いて、真剣な表情を取り戻す。


「……お二方、申し訳ありませんが今日はもうお帰りください。これから作業に入りますので」


 帰れと言われて少しムッとするゲルハルトであったが、すぐに考え直した。職人が創作意欲を燃やしているならばその場に留まる方が無礼であろう。


 先日のルッツのように王女会談途中逃亡に比べれば、忙しいから帰れと言われる事などなんでもない。


 良い物を作り上げる、それだけが職人の礼儀だ。


「期待している」


 それだけ言ってゲルハルトは立ち上がり、ルッツもパトリックに向けてペコリと頭を下げてから後に続いた。


 ドアに手をかけた所でゲルハルトは振り返り、


「パトリック、刀は振るなよ」


 と、念を押した。


 この中で名刀に精神を操られる恐ろしさを知らないのはパトリックだけである。ある意味、彼だけが最初から正気ではないとも言えるが。


「やだなあ、ゲルハルトさん。この刀の恐ろしさは十分に理解しました。不用意に振ったりはしません」


「絶対だぞ。絶対に振るなよ」


「もちろんです」


「お主の弟子たちにも、しかと申し付けておくからな」


「ゲルハルトさん、くどいですよ」


「む、そうだな。すまん」


 まだ納得はしていないが、そこまで言われてしまえば帰らない訳にはいかなかった。ここは他人の家である。


 パトリックはそれからわずか一週間でさやつかつば、その他金具等々を仕上げて見せた。刀の柄は糸で巻いて作るのだが、そのやり方は事前にルッツに教わっている。その際、たった一日でマスターしてしまいルッツが凹んでしまうというオマケ付きで。


 特に鞘の彫刻は素晴らしく、細長い鞘の中に燃え盛る太陽と、それを手に入れようと企む凶悪なドラゴンが表現されていた。鞘の中にひとつの世界があるかのようだ。


 後に装飾師パトリックの名を天下に轟かせる逸品であった。


 そして今、パトリックは中庭で弟子数人に取り押さえられていた。右手にはしっかりと刀が握られている。


 肩の脱臼程度で済んだようである。

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