一鉄

第28話 伝説という、呪い

「おいゲルハルト、居るかッ!?」


 夏の暑さも落ち着いてきた穏やかなある日、ノックというより殴打に近い訪問が静寂を破った。


 城内の付呪工房で読書をしていたゲルハルトは面倒臭そうに顔を上げた。


 誠に遺憾ながら知り合いである。この街の鍛冶屋の親方、名をボルビスという。


 別に頼んだわけではないが向こうが親方自ら出てきたというのであればこちらも弟子に対応させるわけにもいかなかった。面倒だが、そうした所をおろそかにすると後々厄介になる。


 戸を開くと、そこには全身日焼けした髭ヅラの老人が立っていた。足元に重そうな木箱が置いてある。


「よう、ご注文の短剣十本。出来立てほやほやだ」


「ご苦労さん。ジョセル、中に運んでくれ」


「はい」


 弟子に声をかけてからゲルハルトは財布を取り出した。


「金貨十枚だ、確かめてくれ」


 代金を渡し、ボルビスは軽く数えてから懐に入れた。これで話はおしまいだ、戸を閉めたかったのだが何故かボルビスはその場を動こうとしなかった。


「……なんだ、帰れよ」


「なあゲルハルト。短剣もいいけどよ、次の献上品の作成依頼はいつになるんだ。そろそろ必要になってくる頃だろう?」


 ボルビスは焦っているような、媚びるような表情を浮かべていた。鍛冶師にとって献上品を扱うというのは最高の名誉であり、金銭的にも美味しい仕事だ。自分こそが伯爵領で一番の鍛冶師であるという自負にも繋がっていた。


 それが突然、プツリと途絶えたのである。ボルビスが不安に駆られるのも無理からぬ事であった。


「勇者どのは最近手に入れた刀に夢中だ。当分新たな武器は必要とせぬだろうな」


 ゲルハルトは興味が無いとばかりに冷たく言った。


「当分って、いつまでだよ?」


「さあな、わしに分かる訳がなかろう。十年先か二十年先か、あるいはあの刀と一生添い遂げるかもなあ」


「こっちは切羽詰まっているんだぞ、何を無責任な事を……ッ!」


「責任、責任か。ふん、貴様こそ勘違いするな。褒美だ献上だというのは貴様の為にやっているわけではないぞ」


 ゲルハルトの言葉に、ボルビスは反論する気力も失ってしまったようだ。


「もう帰れ。それとも不審者として追い出されたいか。今なら騎士を呼ぶ必要すら無いぞ」


「……すまなかった、今日はもう帰ろう。最後に一つだけ教えてくれ、あの短剣は何に使うつもりで注文したんだ?」


「弟子の訓練用だ、付呪術のな」


「そんなことの為に……ッ?」


 ボルビスは驚愕に目を見開いていた。心血注いで打った武器が、ただの訓練用だという。場合によっては魔力の流れを制御出来ずに壊されてしまうだろう。


 そんなことのために、という言葉がいつまでも頭の中でぐるぐると回っていた。


 気が付けば強引に押し出され、戸は閉められてしまっていた。


 懐に手をやって金貨の感触を確かめる。何か大切なものを売り渡してしまったような漠然とした不安を抱えながらボルビスはきびすを返した。


「お知り合いでしたか」


 戸にかんぬきをかけたジョセルが振り向いて言った。


「腐れ縁という奴だな。決して腕が悪いわけではないのだが……」


 ゲルハルトは木箱を開けて中の短剣を確かめると、その顔に失望の色を浮かべた。


 ジョセルも反対側に回って箱を覗き込む。


「なんと、実に見事な彫刻ですな」


 鞘も柄も豪華な銀の装飾がされていた。小さな宝石まで埋め込まれている。どこか見覚えがあった。恐らく鬼哭刀の装飾を頼んだのと同じ装飾師であろう。


「短剣一本、金貨一枚で採算が取れるのでしょうか」


「無理だな。少なく見積もっても一本金貨三枚。商売を考えるならば十枚は取らねば足が出るだろう。あの、馬鹿が……」


 ゲルハルトはボルビスの焦りと哀しみを理解した。


 少しでも伯爵に気に入ってもらい、次の仕事に繋げようと採算を度外視した物を作ったのだろう。


 それが伯爵の目に止まるどころか付呪術の練習用、いわば消耗品として扱われるのだと知った彼の失望はどれ程のものであろうか。


 ゲルハルトは短剣を掴み刃の出来を確かめた。とても丁寧に作られている、強度も申し分ない。ただ、それだけだ。


「ワクワクせんなあ……」


「ワクワク、でございますか」


 師の奇妙な言い方にジョセルは首を傾げた。


「鬼哭刀を振った時の事を思い出せ。いつまでも振っていたいというのは、ただの刀では味わえぬ感覚であろう」


「確かに」


「極端な言い方をすれば、人を斬りたくならない剣は剣ではない」


「……それはさすがに言い過ぎかと」


「そうかそうか、言い過ぎたか。ハッハッハ……」


 ゲルハルトは笑いながら短剣をしまい、また表情を引き締めた。


「あやつの事を語るのに、わしも恥を晒さねばならぬな……」


 椅子に座ってしばし考え込んだ。どう切り出すべきか言葉を探しているようだ。


「ジョセルよ、お主は伝説の剣という物をどう考える?」


「……え?」


 あまりにも漠然ばくぜんとした質問に戸惑うジョセルであった。


「別に難しい話がしたい訳ではないし、こちらが用意した答えに合わないからといって怒ったりもせぬ。なんとなく連想したイメージを言ってくれれば良い」


「それならば。ロマンがあるな、と」


「ロマンか。確かにロマンを感じる言葉だ。しかし……」


 ゲルハルトは窓の外に目をやった。その視線は中庭よりもさらに遠くを見ているようでもあった。


「職人たるもの、ロマン以上の何かを感じるべきではないと思う」


 師の意図を掴めぬジョセルは黙って聞くことにした。




 職人の技術というものは常に前へ前へ、上へ上へと進まなければならない。


 数百年も前に作られた剣が現代の剣より勝っているなどあるはずはないし、決して認めてはならぬことだ。そんな簡単なロジックがロマンという言葉ひとつで塗りつぶされ、人の目を曇らせる。


 もう四十年も前になるか。わしは三人の仲間と共に聖剣を求めて迷宮に挑む冒険者であった。


 何年もかけて、迷宮に繰り返し潜った。聖剣さえ手に入れればありとあらゆる名誉が転がり込むと信じておったよ。誰もそんなことを保証してくれたわけでもないのにな。


 もう何度目かもわからぬ挑戦で、わしらは最深部にたどり着く事が出来た。


 道中はとにかく運が良くて、何もかもが上手く噛み合っていたように思えた。


 二度とこのような幸運は起こらないであろう、今回を逃せば次はいつ最深部に来られるかわからない。だから何としてもこれで突破しなければならないと、誰もがそう考えるようになった。


 最も危険な罠とは幸運の中に仕込まれているものだな。危なくなったら逃げるという、冒険者として当然の選択肢を自ら外してしまったのだ。


 宝を守るように巨大な魔物が現れた。初めて見るタイプであり、当然適切な対処法などわからん。


 勇敢に戦ったと言えば聞こえは良いが、要するに欲に目がくらんでいたのだな。魔物は倒したが仲間二人が犠牲になった。彼らの死体を見てようやく、浅はかな真似をしてしまったのだと理解したよ。


 ……まあ、そんな反省も一瞬の事だった。死んでいった者たちの為にもと、もっともらしい事を言いながら宝箱に手を掛けたとき、わしらは仲間の事など忘れていた。


 最高の剣が、最強の力が手に入る。ありとあらゆる冨と名誉が自分の手に転がり込むのだと、そう信じて開けた宝箱に入っていたのは……。


 青銅の剣であった。


 聖剣に恋い焦がれ、仲間二人を犠牲にして、人間性すら置き去りにしたその結果が青銅の剣だ。


 古文書に書いてあったことは間違いではないのだろうな。石斧や棍棒で戦っていた時代ならば、青銅の剣を持つ勇者が無双の働きをしたというのも頷ける話だ。だがそれは所詮数百年前の事、現代の戦場で鉄の剣と撃ち合えば折れるし、鉄の鎧を貫くことも出来まいよ。技術の進歩とはそうしたものだ。


 あまりの悔しさに聖剣をその場で叩き折り、わしらは迷宮を後にした。


 聖剣を見つけたと冒険者ギルドに報告はしておらん。そうと知らない馬鹿が迷宮に挑み続けるかもしれんがもう知った事ではない、どうでもよかった。


 薄々気付いているだろうが、生き残ったもう一人がボルビスだ。わしらは冒険者を辞めた。続ける資格も無いと思った。


 第二の人生、素晴らしい武器は自ら作り出すしかないと思い定め、わしは付呪術師に弟子入りし、ボルビスの奴は鍛冶屋の戸を叩いた――……。




「……いかんな、つい喋りすぎたわ」


「いえ、その、大変参考になりました」


 良い話でした、などと言おうとして慌てて軌道修正するジョセルであった。


「今日はもう帰ってよいぞ。明日から本格的に付呪の訓練に入るとしようかい」


「お師様……」


「昔を思い出したせいかな、しばし一人になりたいのだ」


 そう言われては反論も出来ず、また明日と言い残してジョセルは去った。


 静寂が戻った工房でゲルハルトはまた短剣を取り出しじっと見つめていた。


 ボルビスは本当に腕の良い鍛冶師だ。ゲルハルトが取り引きを続けていたのは、かつての仲間を贔屓ひいきしていたからではない。あくまで彼が城塞都市内で一番の鍛冶師と信じていたからこそだ。


 しかしボルビスが鍛冶屋の親方となってから十年、その技術は全く進歩していなかった。親方の地位を守ること、それが彼の全てとなっていたのだ。


「たわけが……」


 そう呟くゲルハルトの声は哀しみに彩られていた。

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