第26話 瞳の烙印
リカルドは不機嫌であった。
ここ最近、あの刀は良いものだからもっと大事にしろと多くの者から言われるが、呪いの恐怖に
安全な位置から好き勝手言いやがってというのが素直な感想である。
さらに腹立たしいことは、気に入らない呪いの刀を万が一に備えて持ち歩かなければならないということだ。前回のオーク討伐で妖刀がなければどうなっていたか、後になってじっくり考えても突破口が見つからなかった。自分の頭が巨大な斧で割られる光景を想像し、ぶるりと身を震わせた。
そういった事情があり、リカルドは二刀流の使い手というわけでもないのにいつも武器を二本持ち歩いていた。正直なところ、重い。
刀は持ち歩くが絶対に使う気は無い、などと決意しておきながら使わねばならぬ場面がすぐにやって来た。
今回の討伐対象は人里に現れた人狼だ。
伯爵領内には魔物が湧き出る迷宮があり流民や犯罪者がよくそこへ逃げ込むのだが、何日も何ヵ月も迷宮の
近隣住民たちは前回と違い正しい報告をした。人狼が一匹森に潜んでおり、畑を荒らし家畜を拐っていくのだと。
一体だけならとリカルドも一人で討伐に来たのだが、これは油断であった。
鋭い爪と牙を持ち、森の中を風のように素早く動きまわる人狼であったが、勇者リカルドは動きを完全に捉えていた。
襲いかかる人狼の腕を下段の構えから振り上げ斬り飛ばし、その勢いで胸を袈裟斬りにした。
殺った。そう確信した瞬間、人狼は
遠吠えが森の中を木霊する。元が人間であっただけに表情が豊かであり、仰向けに倒れた人狼は、ざまあみろと言っているかのようであった。
やがて、がさがさと木々が揺れる音がした。人ではない、獣ではない何かが近付いてきた。
新たな人狼だ。それは後から後から現れて、ついにリカルドは五体の人狼に囲まれる事となった。
一体ずつの五連戦ならば勝つ自信がある。しかし五体同時となれば話が違う。誰か一体と戦っている間に後ろから狙われたのでは対処が難しい。
姿を見え隠れさせながら人狼は徐々に包囲を狭めて来た。一斉に飛びかかられる前に決断しなければならない。
「テメェら全員くたばりやがれ!」
半ば
人狼の顔に穴が空き盛大に鮮血が吹き出すが、まだ終わりではない。そのまま爪を一気に下ろし、顔面が大きく抉れた。
右半分は眼球がこぼれ落ちる程に抉れ、左半分は恍惚の笑みを浮かべている。苦痛と快楽の狭間で人狼は命を絶った。
二番目に近くにいた人狼が己の腹を爪で裂き、狂ったように笑いながら腸を引きずり出していた。まるで内蔵を吐き出す度に快楽が得られるかのような動きだ。
リカルドは敵ながら彼らが哀れになった。こんな死に方は命に対する侮辱ではないだろうか。
この刀は強いか弱いかで語れば間違いなく強い。最高の職人たちが技術を惜しみなくつぎ込んだ逸品だ。
しかし、善か悪かと問えば後者に属するのではなかろうか。
こんな物を使っていると教会に知られたらどうなるのか。最悪、火炙りにだってされかねない。
やはりこの妖刀は手放した方がいいだろう。人と刀の区別も付かぬ狂人のロマンに付き合ってなどいられない。
二体の人狼は逃げてくれたようでリカルドは少し安心した。しかし、最後の一体が立ちはだかる。
顔を赤らめ、息を荒くしている。足元がふらついているというよりも、内股を
快楽に抗いながらじりじりと近付いて来た。しかし、その動きは
「ぐぅおおおおッ!」
人狼は雄叫びをあげて襲いかかるが、リカルドにはまるでスローモーションのように見えた。
リカルドは落ち着いて一歩踏み出し、真正面から幹竹割りにした。一閃、人狼の身体は左右に分かれて崩れ落ちた。
凄まじい、あまりにも凄まじい切れ味である。これを自分がやったのかと信じられぬ思いであり、リカルドは興奮していた。
「凄いな、これは……ッ」
呪いの発生源としてだけでなく、純粋に刀としても超一級品であった。
自慢したかった、誰かと語り合いたかった。呪いで死んだ二体はともかく、斬り伏せた人狼の切り口を見てもらいたかった。
その時、背後に人の気配を感じてつい振り返ってしまった。
「ねえ、ちょっとこれ見て……」
そこに居たのは血塗れの、全裸の女であった。
「あ……」
浮かれてとんでもないことをしてしまった。これからどうすれば良いのかもわからない。自分も快楽の海で溺死させられるのだろうか。
恐怖を感じながらもリカルドは女から目を離せなかった。顔を覆うほど長い前髪、艶のある黒髪の隙間から覗く瞳が濡れたように光っている。
今まで見てきた何よりも、太陽よりも宝石よりも美しい瞳だ。
じっと見つめるリカルド。やがて女は顔を逸らして、スッと景色に溶け込むように消えてしまった。
「ちょっ、待ってくれ!」
手を伸ばすがそこにはもう誰もいない。
刀を納め、また抜刀するのを繰り返すが女は出て来なかった。
刀から魔力と気配は感じるので、本当にいなくなってしまった訳ではあるまい。
「椿……」
リカルドは刀を抱いて呟いた。
胸の高鳴りは疲労や恐怖以外の何かであると、そう気付いたのは城に帰る途中であった。
ゲルハルトは廊下を歩きながら後悔していた、リカルドを理不尽な理由で叱りつけてしまったと。
彼はゲルハルトの部下ではない、弟子でもない。伯爵に仕える対等の関係である。それを一方的にトゲのある言い方で文句を付けたのでは喧嘩を売っていると取られても仕方の無い事であった。
自分は年上だから偉い、などと言えるほど立派な生き方をしてきたつもりもない。反面教師ですらお断りだ。恥と後悔にまみれた人生を教材として紐解かれるなど恐怖でしかなかった。
武器を粗末に扱ったから死んだ者、武器に入れ込みすぎて手放せずに死んだ者、ゲルハルトはどちらも多く見てきた。武器とどう向き合うかなど本人の好みに過ぎず押し付けるようなものではない。
間違った事を言ったつもりはないが、個人的な部分にまで踏み込みすぎてしまった。
かといって、今さら『言いすぎちゃってごめんね』などと言えるような関係でもなかった。褒美として渡された剣に失望したあの顔は、多分一生忘れないだろう。
謝るつもりは無いが、さりげなく優しくしてやってもいいだろうと考えていると、そのリカルドが向かって来るのが見えた。
「おうリカルド、人狼退治ご苦労であったな」
「ゲルハルト様もご機嫌麗しく」
リカルドの反応にぎこちなさは無い。気にしているのは自分だけかとなんだか馬鹿らしくなってきたが、優しくするのはケジメのようなもので続行する事にした。
「ああ、その、何だ。もしもあの妖刀が気に入らぬというのであれば、わしが買い取ってもいいぞ。もしくはルッツどのに頼んでもう少し大人しい奴を作ってもらうか」
するとリカルドは薄暗い廊下でもハッキリわかるくらいに目を見開き、刀を庇うように右肩を出して半身になった。
「椿は俺の愛刀です、誰にも渡しませんッ!」
などと怒鳴って、のしのしと大股で謁見の間に向かって行った。
「誰だよ、椿って……」
ゲルハルトは、『最近の若い者は』などという言葉を使うことを出来る限り避けてきたが、今だけは言いたかった。
わからない。あの若僧の考えていることがまるでわからない。
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