第19話 百枚
依頼からきっちり二週間後にゲルハルトがやって来た。
鍛冶場から
白鞘とは加工していない木で作った簡素な鞘である。持ち歩く為でなく、保管用といった意味合いが強い。
装飾等は全てゲルハルトが受け持つという話なのでそれは構わないのだが、何故ルッツはそんなものをじっと見ているのだろうか。
「ルッツどの、どうなされた」
「あ……、これはゲルハルトさん。お出迎えもせず失礼しました」
「刀は出来上がったかね」
「出来た、と言えば出来たのでしょうが……」
妙な言い方をするルッツの態度に首を傾げるしかないゲルハルトであった。
「抜いても良いかな」
「どうぞ、ご存分に」
どんな刀が出来上がったのか。少し興奮しながら刀を抜くと、そこに現れたのは反りの無い細身の直刀であった。
「
触れるだけで切れてしまいそうな凄みを感じる。ゲルハルトは思わず感嘆の声を上げた。叶うことなら献上などせずにこれをもって失踪してしまいたかった。
「振ってみてもいいかね?」
「いいですよ、外に出ましょうか。実際に振らなければその刀の本当の姿もわからないでしょうし」
「ふむ、面白い事を言うものだ」
夏の日差しが降り注ぐ中、ゲルハルトは白鞘を腰に差してゆっくりと刀を抜いた。正眼という、中段に構えるその姿はやはり素人とは思えない。剣だけでなく、刀の使い方にも通じているようだ。
気合い一閃、正面に振り下ろす。ルッツの眼に存在しない敵が頭から血を吹いて倒れる所が見えた。
さらに横薙ぎ、斬り上げと様々な型を披露するゲルハルト。いつも穏やかに微笑む老人はそこにいない。どんな敵を想定しているのか、鬼気迫る表情であった。
ヒュン、ヒュンと風が鳴る。鋭い剣を振れば風切り音が鳴ることはあるが、これはさらに甲高い音であった。
ゲルハルトは腰を落として刃を鞘に納め、ルッツに手渡した。
「……風が
「鋭さや切れ味を重視して作りました。戦場での長期戦には不向きですが、貴人の佩刀としては十分でしよう」
「そうだな。不意打ちをされても最初の一撃さえ防げば後は護衛どもの仕事だ。そして初太刀においてこれに勝る刀はそうはないだろう」
美しさ、実用性において申し分なし。あまりの鋭さに風が哭くというのも独自性があって面白い。
しかしこうなると気になる点が出てきた。一体何が気に入らなくて完成ではないと言うのだろうか。
「それで、残った仕事とは何だろうか」
さっさと持ち帰って付呪を施したい。ゲルハルトの口調はつい急かすようなものになってしまった。
「……銘をね、入れていないのですよ」
「またか!」
妖刀に名前が入っていなかったことが事の発端であり、おかげでゲルハルトは作者を探し回ることになった。何故こいつはそうも銘を入れ忘れるのだろうか。
「銘を刻むくらいすぐに出来るだろう。作者不明ではわしも伯爵に説明しづらいぞ」
「刀の名前が決まらなくて……」
と、ルッツは頭を掻きながら居心地が悪そうに言った。
「苦手なんですよね、名前とか考えるの」
「まさかお主、妖刀に銘が入っていなかったのは……」
「考えているうちにクラウディアが捕まっちゃいまして」
誰を責めるべきなのだろうか。ネーミングセンスに欠けるルッツか、それとも騎士団の不良どもか。
「……とにかくだ、わしはすぐにでも刀を持ち帰りたい。今、この場で、すぐに! 名前を考えて刻んでくれ」
「そう急かされると余計に頭が回らないんですよね。……伯爵の為の刀だから、伯爵ソードとかどうですか?」
「真面目にやってくれ!」
「残念ながら、大真面目です」
「なんてこった!」
頭を抱える男が二人。そこにやって来た救世主はやはりクラウディアであった。
「何をやっているのかな君たちは」
「良い所に来てくれた。実は……」
事情を説明すると、クラウディアは納得と呆れが混同したような顔で頷いた。
「名前、名前ね。どうでもいいようで、これが決まらないと先に進めないね。ただ、あまり大袈裟な名前を付けようとはしないことだねえ」
「そういうものか」
「世の中にエクスカリバーと名の付いた
「ああ……」
客観的な評価はともかく良い武器が出来上がった瞬間、それは鍛冶師にとって伝説の武器なのだ。上がったテンションに身を任せて名付けるとそういうことになる。
気持ちはわかるので反論しづらい職人二人。彼らにも恥ずかしい過去がいくらか存在した。お互いそこに触れない情けもあった。
「ルッツくんのセンスが壊滅的だとして、ゲルハルトさんは何かいいアイデアはありませんか?」
「え、わしか?」
「これから付呪を施すわけですし、名付け親になる権利は十分にあると思いますよ」
「ふぅむ、刀の名か。風を斬る刀、
「方向性は悪くないと思いますよ。泣かせるのが風ではなく、もっと強大な存在であれば」
「悪魔か、鬼か」
「いいですねえ。鬼を泣かせる刀、
クラウディアの提案にルッツは薄く笑い、
「刻んでこよう」
と言って鍛冶場に入った。
素っ気ないようで、かなり気に入った時の反応だとクラウディアは暖かくその背を見送った。
「鬼哭刀か、良い名だが少し勇ましすぎるな。細身の直刀よりも、もっとごつい刀を連想してしまう」
ゲルハルトの問いに、クラウディアはニイッと笑って答えた。
「そこは付呪の出来次第ではないですかねえ」
「ふ、ふ……、言ってくれるわ」
そうとも、ここから先は自分の出番だ。そう思えばたまらなく面白くなってくるゲルハルトであった。
銘を入れ終わったルッツが戻ってきた。ゲルハルトたちに
「では、お渡しします」
「うむ」
白鞘を組み立て、刀を水平に持ち荘厳な儀式であるかのように渡すルッツ。
ゲルハルトも表情を引き締めてそれを受け取った。
小屋からロバを出し、城へ帰ろうとするゲルハルトが、
「お、そうだ」
と、思い出したように荷をほどいて革袋を取り出した。
「代金だ。伯爵に気に入っていただけたら追加で渡そう」
得意気に笑いながら続けた。
「ま、気に入らぬなどということは無いだろうがな」
ロバを連れて
ずしりと重い革袋をルッツたちが居間に戻って確認すると、そこに入っていたのは目映い金貨であった。
「……パン屋で使ってお釣りがもらえるのか?」
ルッツが引き吊った顔でつまらない冗談を言う。現物を前にしてもとても信じられなかった。
テーブルにばら蒔いた金貨を数え終わったクラウディアが、突然ゲラゲラと笑い出した。
「ルッツくん、この金貨、金貨だが……ッ」
「なんだ、どうした!?」
まさか偽金だったのだろうかと疑ってしまった。
ゲルハルトの身分であれば、城壁外の者が何を訴えたところで知らぬ存ぜぬで通すことも出来るだろう。それ以前にゲルハルトが伯爵家お抱えの付呪術師であるというのも嘘かもしれない。
……と、そこまで考えたところで思い直した。詐欺師であれば妖刀の事を詳しく知っているのもおかしな話である。
また、こちらの方が重要な事だが、ルッツはゲルハルトの職人としての
「この金貨、百枚あるぞ……ッ」
「へ、あ、ひゃくまい?」
クラウディアが呼吸を整えながらなんとか答えたが、ルッツにはしばし何の事やらわからなかった。
「……ああ、そうか、金貨百枚か」
ようやく思い出した。それはクラウディアがあの妖刀に付けた値段と同じなのだ。
運命という得体の知れない物が大きく、大きく回って戻って来たような気分だ。
ルッツは金貨を一つ摘まんで、
「俺たちの人生、遠回りをしているようで無駄な事など何も無かった、と言うべきなのかな」
クラウディアは優しく微笑んで頷いた。
金貨百枚。あの日、失った物など何も無い。
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