捨てる神あれば

小紫-こむらさきー

酒乱犬系大学生×黒髪長髪イケメン占い師

「あ! あああー! あなた! この前の! 真弓とかいうやつ!」


 ガチャリと背後の扉が開き、振り返るなり聞こえてきたのは、ろれつのまわらない大声。

 こちらをまっすぐに指差しながら、人の名前を呼ぶ無礼者は若い今風の男だった。

 明るく染めた褐色の髪。狐色とでも言えば良いのか。それに、丸っこい大型犬を思わせるくりくりとした目。

 特別目立つような顔ではないが、人によっては可愛いと評価するのかもしれない。まあ、知ったことではないのだが。

 仕事柄、なくもないことだった。

 多少当たる占い。占いが当たると言うことは、良くも悪くも狭い界隈で名が売れたり顔が知られると言うことだ。


「自分の事が占えりゃあ、呑みになんて出なかったのになぁ。だっる」


 仕事終わりに馴染みのバーで酒を飲んでいるだけなのに、時々こうしてわけのわからないやつに声をかけられる。

 手に持っていたグラスを机に置くと、カラリと綺麗な音を立てて氷が落ちた。


「で、なんか用か?」


「やっぱりぃー! ねえ、覚えてないですか? おれのこと! ねえ」


「……さあ」


 目が合ってしまって仕方なく応答をすると、酔っ払いはそのままこちらへ近付いてくる。

 グラスの縁を指で撫でながら、うるせえな……という気持ちを込めて、相手から視線を逸らす。生憎マスターは足りなくなった氷を外へ買いに行ったばかりでしばらく戻って来る気配はない。

 暇だし、まあ、からかってやるか。クソガキにはいい勉強になるだろう。


「その! やったらきれいな顔! 雑にハーフアップにしてるのにおしゃれにしか見えない見た目! なんかわからないけど良い匂い! やっぱり人違いじゃないって!」


 女みたいな顔、生意気な目付き、チャラチャラした見た目……なんてよく罵られるが……これはあまりにも罵倒が下手なのか、それともほめているつもりなのか、どっちだ?

 改めて、店に来訪した酔っ払いへ目を向けてみる。

 キツネを思わせる黄みがかった明るい褐色の髪は、手入れをされていないのか少し痛んでいる。襟足を伸ばしすぎないショートウルフヘアーも相まって、なんだか大型犬を思わせる。

 肌は綺麗だな。大学生くらいか?

 顔も首も真っ赤に染まっていて、明らかに酔っ払っているそいつは、図々しくも俺の隣に座ると、机に頬を押し付けるようにしながら視線だけこちらへ向けた。


「あんたみたいなきれいな顔してたらぁ……おれもふられなかったんですかねぇ」


 ぼそりとそう言った男は、それだけいって顔を伏せた。

 暗めの照明に照らされて金色に見える髪を見ながら、記憶を探る。おそらく、仕事で占ったやつの一人だろうが……初見の客をいちいち覚えているほど暇ではない。


「捨てる神あれば拾う神あり……そう言われたのにさー拾う神なんてどこにいるんだよ……童貞を捨てられるのかと思ったら……俺が彼女にとって捨てるかみでしたぁーって」


「ああ! あんた……あの時の」


 童貞、捨てる神あれば拾う神ありというワードで、頭にポッと一人の男が思い浮かんだ。


「やっぱりそうだった! うらないのおにいさんですよね? 金を払ってまで振られる予告されてさーそれが当たってぇ……でも拾う神なんて気配がぜーんぜんないんすよぉ」


 嬉しそうにぱあっと顔を輝かせた酔っ払いは、尻尾でも生えてればぶんぶんと左右に振っているんだろうなというくらいに喜んで声を弾ませた。しかし、その喜んだ声は後半になるにつれて沈んでいく。


 占いに来た時と全然雰囲気が違うな……と思いながら頬杖を着いて、改めてこの酔った客に関心を持つ。

 最初に見た時は、おどおどした様子で友人の付き合いで来たという様子丸出しだった素朴な青年。今の面倒な酔っ払いのガキという印象とはほど遠い。

 なるほど、酒で人が変わるタイプか。


「俺はちゃんと占ったぞ。女難の相が出てるから気をつけろってな。確かに気休めで捨てる神あれば拾う神あり……とも言ったが」


「せっかくの夏休みだってのに! 元カノと顔を合わせにくくてサークルにも顔を出せなくて! こうして一人で飲んでるんですよ」


 唇を尖らせながら、男はそういって机につっぷした。コロコロと表情が変わっておもしろいな。ここは泥酔した客の出入りを禁止しているから、まあ、マスターが帰ってきたらこの酔っ払いは追い出されるのだろうが。

 こうして出会うのも縁かもしれない。悪い大人のお兄さんが酒に付き合ってやるか。

 そんなことを思って愚痴を肴に酒を飲んでいると、背後の扉が控えめな音を立てて開く。


「涼太くんいつもわるいねぇ」


 俺の下の名前を呼びながら、マスターがちょうど帰ってきた。

 誰もいないと思っていたのか、意外そうな表情を浮かべた後に、すぐに俺の隣にいる男へ目を向けた。


「ねえ真弓さん、聞いてるんすか!」


 首まで真っ赤にして、机に突っ伏している初見の客、しかもそいつは常連の俺に絡んでいる様子だ。

 一瞬だけ、マスターの眉がひそめられる……が、すぐに朗らかな表情に変わり、そっと男の肩を叩いた。


「お客様、すみません。当店は泥酔している方の入店を控えていただいてるんですよ」


「へ? お酒を出す店なのに?」


 バッと勢い良く持ち上げた頭が俺の頬を掠める。そんなことにも気付かずに、男は間抜けな声を出してそういった。


「いやでもそんなの……」


 おかしいじゃないですか! と言おうとしたのだろう。しかし、男からその言葉は出なかった。

 代わりに聞こえてきたのは、聞き慣れた水音と嗚咽。そして饐えた臭い。

 少し遅れて、じわりじわりと生温かいような冷たいような感覚が太腿に染みてくる。


「あーあー」


「涼太くん……大丈夫かい?」


「ああ、まあ」


 マスターからおしぼりを受け取りながら、俺は顔を真っ青にしたまま無言で立っている可哀想な青年へ目を向けた。

 さっきまでの勢いはどこへやら。掠れた声で「すみません」と繰り返し呟いている。そんな情けない様子に思わず吹き出すと、二人の視線がぐっとこちらへ向いた。


「これ、迷惑代も込みってことで。こいつ、面白そうだから拾っていくわ」


 ポケットを探るとちょうど万札が何枚かある。二枚くらい置いていけばまあいいだろう。

 多すぎるよというマスターにひらひらと手を振りながら、俺は男の肩を掴んで外へ出た。

 ちょっとお兄さんが教育をしてあげよう。そう思った。

 暇だった俺に絡んだのが悪い。こういうやつは悪いやつにダマされて痛い目を見るに決まっている。俺が少しだけ脅してやる方がこいつのためなる。


「あんたのせいで汚れたんだから、責任取ってくれよな」


 目を白黒させたまま、俺に引きずられるように歩いている男の鞄に手を突っ込んだ。相手が何も言わないのをいいことに、財布を取り出し中身をあらためる。

 困ったように眉尻を下げて、黒目がちな犬に似た目がおろおろと左右に泳ぐ。


「へえ……今野こんの ショウくんねぇ。家は……っと」


「あの……おれ、学生でお金が」


「まあまあ、家もそんなに遠くないじゃん。寄らせてよ」


 震えて泣きそうな顔をしているショウの肩を抱き、耳元でそう囁くと、ごくりと生唾を飲む音がしっかりと聞こえた。

 怖くて緊張しているのを見ると、もっといじめてやりたくなる。


「あーあ、この服、高いんだよな。アクセも汚れちまったし……」


「あの、わかりました……おれの家で……服も洗って良いですから」


 すっかり酔いが醒めたのだろう。

 まるで叱られた子犬のような態度のショウは、目を泳がせながらどんどんと歩いて行く。

 最初に俺に声をかけてきた時とは大違いだ。

 もう夜も遅い上に、この有様じゃあタクシーに乗るわけにも行かない。しばらく歩き続けてやっと辿り着いたのは、よくある安アパートだった。

 金がないってのはホントなんだな。まあ、たかが服を汚されたくらいでガキにたかろうだなんて思ってないが。


 ぎこちない動きで鍵穴に鍵を差し込むショウのすっかり赤みの引いた首元を見ながら、俺は開いた扉に滑り込むように入り込む。

 整然とした部屋がパッと目の前に広がっていた。男の一人暮らしだ。てっきり俺の部屋と似たように物が溢れた部屋だと思っていたが予想が外れた。


「案外きれいにしてるじゃん」


「は、母が最近きてくれたんで……」


 素直にそんなこと話さなきゃいいのに。

 ククッと笑いながら、俺は遠慮せずにショウの部屋へあがりこみ、部屋を物色する。

 1DKの部屋には奮発して買ったのであろうパソコンとデスク、それにマンガとラノベが詰められた本棚……窓際にはベッドがあり、枕元に小さな冷蔵庫が備え付けられている。そして、部屋の中央には折りたたみ式のちゃぶ台がぽつんと鎮座していた。


「あの……シャワー、そこです。俺、ちょっとコインランドリーに行ってくるんで、入っててください」


 クローゼットを開いてフェイスタオルを二枚ほど渡しながら、ショウは俺から目を逸らして困ったような表情でそういった。

 ショウが指差した方向へ目を向けると、小さな小さなユニットバスの扉がある。


「あ-。そう。よろしく」


 こいつなら、まあ俺の私物を盗むような真似はしないだろう。

 ユニットバスの横にある洗面台で指輪を外して並べて置く。ゴトリと音を立てて指輪が置かれる様子をショウがじっと見ているのがわかる。


「なに?」


「いや、あの、指輪、かっこいいなって。彼女から貰ったやつとか、あるんですか」


「ふっ……はは。そんなもんねえよ」


「へえ、そういうもんなんすか……モテそうなのに」


 アクセサリーを女から貰うと大体めんどうになる。そんなつもりはないなんて言いながら渡すくせに、最終的には執着をしてきて、勝手に壊れるから困った物だ。

 すぐに飽きて、連絡も返さなくなるあんたも悪いんだとよく言われるが、性行為も、責めてくれと縋り付かれるのもすぐにつまらなくなるのだから仕方ない。


「この前包丁を持って玄関の前に立ってたから、別れて引っ越した」


 ショウが「えええ」と戸惑ったような呻くような声を上げたのを背中で聞きながら、ネックレスを外す。

 オニキスとガーネットのついたネックレス。それとターコイズが嵌められたシルバーチェーンを絡まないように置いてから、俺は服に手をかけた。

 脱衣所がないのだから、ここで脱ぐしかないだろう。


「ちょ! ま……。背中むけるんで……それから脱いでください」


「ああ?」


「真弓さん、髪も長いし、良い匂いがするから、気が気じゃないんすよ」


 てっきり、見えた墨を見て怯えたのかと思ったらそんなことかと気抜けして、脱ごうとした服を俺は再び着た。

 慌てた様子で背中を向けたショウは「いいですよ」と緊張した声色ですぐにそう言った。


「ああ、じゃあ脱ぐわ」


「扉が閉まったら、おれ真弓さんの服、持っていくんで、ご、ごゆっくり」


 よくわからんな。とりあえず俺は服を脱いで、髪を括り直してからシャワールームへ入る。

 浴室には、よく安売りされているデカいボトルのシャンプーと洗顔料、これまた安売りされているのをよく見るデカいボトルのボディーソープ……。

 色気がないな。あいつを占ったのは先々週くらいだから、女の物でもまだ残っていそうなものなのに。いや、童貞って言ってたな……。部屋に連れ込んでないってことか。

 そんなことを思いながら、汗を流す。このまま帰宅して風呂に入り直すのもダルいな……。

 まあ、迷惑をかけられたのは事実だし、ソープ類を使ってもいいだろう。

 ワシワシと髪を洗い、体をしっかりと洗ってから俺はシャワールームから出た。


「……服がない」


 そりゃそうだ。あいつがコインランドリーに俺の服を持って行ったんだから。

 仕方なく、使ってないフェイスタオルを腰に巻いて部屋を歩き回る。

 全裸でもまあ俺は構わないのだが、服を目の前で脱ぐことに難色を示されたのだから、一応局部くらいは隠して置いた方がいいだろう。

 初対面の相手にプライベートな部分を見せつける趣味があるわけじゃないしな。


「風呂上がりになんか呑みてえな。まあ、酒くらいもらってもいいだろ」


 なんて独り言をもらしながら、小さな一人暮らし用といわんばかりの冷蔵庫を開いた。


「ああー! 真弓さん! なにしてんすかぁ」


 冷蔵庫の中身が全体的に黄色だったなというのを把握したところで、ガチャリと玄関の扉が開いた。と同時に、最初にこいつと出会った時のような大きな声が響く。

 冷蔵庫に詰められたストロングゼロの缶を見てちょっと引いてから、声の方向を見ると、顔を赤らめたショウが立っていた。

 その右手には、黄色と銀の目立つ缶が握られている。

 こいつ、洗濯中と帰りで一本か二本、この安くて悪い酒を飲み干して来やがったな。


「大学生らしい飲み方だな。勝手に冷蔵庫を開けたのは悪かったって」


「ちがうって」


 やけに据わった目をしたショウはこっちへズカズカと近寄ってくる。

 乾いているであろう俺の服をぽいっとちゃぶ台の上に放り投げたショウは、そのまま俺の肩を掴んで据わった。

 グイッと押されて、ベッドの縁に背中が当たる。


「言ったじゃないすか。あんたは髪も黒くて長いし、顔も芸能人よりもきれいで……なんかそれに良い匂いがするから、気が気じゃなくなるって」


 どういうことだよと言い返す前に、ショウの顔が近付いてくる。ガチッと歯と歯が当たり、鉄の味が口に広がった。


「ば」


「真弓さんがわるいんす」


 やけに熱っぽい瞳で見つめられて、そのままもう一度口付けをされる。今度は、歯と歯が当たることなく、その代わりに分厚い舌が無遠慮に俺の口内をなで回す。

 慣れていないであろうその行動のぎこちなさと不器用さが、何故か嫌ではない。


「……あんたに占って貰ってから……おれ、おかしくて」


 今にも泣き出しそうな顔でそう囁いたショウは、捨てられた仔犬みたいで、こいつを一発殴ってやろうと振り上げた手が思わず止まる。


「彼女が好きだったはずなのに、あんたのことが頭から離れなくなってそれで」


 ぽろぽろと両目から涙をこぼすこいつの頭を気が付いたら撫でていた。

 顔が綺麗だと褒められることは多い。女にも不自由していない。

 俺にそっちの趣味はないはずで、ただ、酒に酔って俺に絡んできたこいつで暇つぶしをするだけのはずだった。

 適当にちょっと脅して、それから「今度からは酒で気を大きくして怖いお兄さんに絡むんじゃないぞ」って言ってから帰るつもりだったんだ。

 こんなガキのぎこちなくて欲望のままの口付けになんて、気にならないはずだ。

 俺に一目惚れしたのだって、知ったことではない。


「あんたにまた会いたくて、街で見かけて、それで話しかけたくて、でもむりで」


 床に雑に置いてある安酒の缶を掴んだショウは、それに口を付けてほぼ直角に傾けた。

 勢い良く喉を鳴らしながら酒を呷ったショウは、缶を乱暴に投げ捨てて俺をじっと見つめている。


「無理ならおれをなぐってにげてくれていいっす」


 ろれつが回りきらないたどたどしい口調で、ショウは俺の肩を押さえていた右手を離した。

 いつもの俺なら、こんなことになる前にさっさとこいつを殴って部屋を出ているはずだ。

 でも、そう思えなかった。

 なんでかなんてわからない。他人を占えても自分は占えないし、占いは万能な物でもない。


「捨てる神あれば拾う神ありなんて無責任なこと言っちまったからな。まあ、仕方ねえか」


 ショウの頬を手の甲で撫でる。パッと表情を明るくしたと思ったら急に強く抱きしめられて思わず咳き込む。


「真弓さん」


 俺の名前を呼びながら、ショウは自分のベルトを外し、それから、それを、俺の手首に巻き付けていく。


「え」


「真弓さん、いいって言いましたよね」


「待て、ちが」


 否定の言葉を発する前に、俺の唇はショウの乱暴な口付けで塞がれ、そのまま床に押し倒された。

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