3.あの日の誓い《三年前》
質素ではあるが、それが逆に彼女の慎ましさを表現していると言えるであろう――橙色の和服を纏い、さらりとした黒髪を長く伸ばす。
これぞ大和撫子であると世界に誇れるような風貌をした色白の少女が、暗い夜道に横たわって倒れている。
その身体はもうボロボロで、無数の切り傷が痛々しく刻まれているが、その傷口から赤い鮮血は一滴足りとも流れていない。
そう、彼女は『
『――んぐ……ッ! ぐ……ぐあああああああああああああああああッ!?』
もう時間が時間なので、辺りはすっかり静まりかえっており、彼女の悲痛な叫びだけが寂しく、閑静な住宅街へと響き渡る。
少女がその叫びを上げた理由は単純。
彼女の身体に、紫色の剣が幾度となく、突き刺されては抜かれ、また突き刺され――を繰り返していたから。
血は流れずとも、痛覚は存在する。そして、彼女はあくまで人形であって、人間ではない。……
『
目の前で倒れ、何度も何度も何度も、紫色の剣を刺されては抜かれ続ける人形の名前――『奈那』を、ただ呼び続ける事しかできない
人形師である彼だったが、目の前の状況を止められる力はもう残されていなかった。必死にもがき、足掻いた成れの果てが、この惨状を招いてしまったのだから。
『ふ、ふふ、はははははははははははははッ!! やっぱりこの感覚だよ、分かるだろう?』
狂ったように笑いながら、それでも彼は、紫色の剣を突き刺し続ける。剣先に広がる少女の表情が、苦痛に染まれば染まるほど――反比例するように、男の笑みは増幅していく。
『どれだけ魔法の腕を磨いたって、本格的に戦争でも起きなきゃ、力を振るう矛先がねえ。そこで、お前のようなガキのオモチャが役に立つって訳だ』
彼は、人形師である……とは言っても、まだ魔法大学を目指しているだけの一般人。並外れた才能や、特筆する点がない限りは、魔法大学にてカリキュラムを受けた魔法師からすれば彼のしている事はごっこ遊びにも等しい。
人形の少女、奈那が苦しむ姿を見て、愉快に高笑いする男。それも、実際に戦って分かる。魔力を込めて放たれるその剣は、紛れもなく
所詮は本物の真似事をしているだけに過ぎない、彼の作った人形。だとしても、こんな。
……こんな腐りきった外道がストレス発散をするためのサンドバックになんて、奈那がならなくてはいけない道理なんてあるはずがない。
だって。彼女は決して人間ではない。造られた体、造られた心、造られた感情のはずなのに。それなのに、それなのに――。
今、目の前に浮かんでいる――彼女が苦しむその表情は、
『うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!! 奈那を、奈那を離せえええッ!!』
気がつけば、彼は湧き上がった怒りに任せて、全速力で男の元へと走っていた。そんな自分の突飛な行動に驚いている、そんな暇さえなく。
しかし、魔法師の男はこちらに気付くと、剣ではなく、その長い足で一蹴する。
横腹を金槌で殴られたような、鈍く激しい痛みに襲われ、彼はその場で前のめりに倒れてしまう。
『おいおい、ただの人形だろうが。なーに彼女でも殺されそうな顔してんだよ。……あ、オマエ、もしかして人形に欲情でもしてンのか? だははははははははッ!!』
魔法師とは言っても、物理的な近接戦闘だって必要な知識だ。魔法だけに頼り切りで戦うなんてイメージを持っているのは、彼らの実戦を見たことがない者だけ。
この道のプロならば、その右足だけで人ひとり黙らせるくらいはできて当たり前だ。それも、ただの人形遊びをしているだけの高校生一人程度。
『……くっ、な、奈那……あ……ッ』
意識を震わせる強烈な吐き気が、怒りに任せただけの突撃さえも阻害する。
剣の一撃、一撃が、血の流れる代わりに彼女の魔力を着実に奪っていく。
魔法人形の動力源は魔力。それが完全に空になってしまった時――記憶も心も消え去って、ただの人形になる。
このまま見ているだけでは、奈那は本当に死んでしまう。そうと分かっていても尚、体は動かない。
『ま、マスター……。い、今、お助けし……ッ』
奈那の方が、俺なんかの何倍、何十倍も痛いはずなのに。一発横腹を蹴り飛ばされた程度の俺なんかよりも、苦しいはずなのに。
それでも、彼女は自分ではなく、主人である俺の心配をしている。やめてくれ。……彼は、心からそう思う。
自分の方が、彼なんかよりも遥かに危険な状態なのに。それでも、主人である彼の心配を続ける健気なその姿を見ると、彼の心に釘を打ち付けるような痛みが止まらない。
『くっそおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!!』
こんな事までされて。……黙って倒れている訳にはいかない。
彼の脳裏に、男の放った言葉が思い出される。『ただの人形』だって?
――黙れ。苦しむ奈那の、あの表情を突きつけられて。もう、あいつは人形だからなんて。彼女が戦いの道具だなんて思える訳がないだろうが。
気づけば、叫び――その先で倒れる彼女の元へと、走り出していた。
圧倒的な力の差に抗える術なんて彼にはない。それでも、目の前で苦しむ彼女を助ける為、無謀だと分かっていてもなお立ち上がる。
……しかし、対する少女は、顔をゆっくりとこちらへ動かし虚ろな目でこちらを見つめる。ひくひくと痙攣する口をゆっくりと開いて、紡がれたその言葉は――。
『わたし、さえ、犠牲に、なれば。……マス、……ゲホッ、ゴホッ!』
『いい、喋るな。安静にしていてくれ』
彼女はこう言おうとした。『私さえ犠牲になれば、マスターが傷付く事はない』と。
人形師と魔法人形は、魔力による糸で繋がっているので声に出さずとも強く想うだけで伝わってくる。人形師としての強みだ。
声に出さずとも。俺は必ず、奈那を救って――。
『……え』
その瞬間。
しかし、感覚的に理解させられた。切れたのは奈那が生きているという証。『コンタクト』という名の、魔力でできた見えない
『……嘘だ』
『ああ、もう壊れちまったか。ま、所詮はガキの人形って所だな。まあ気分転換にはなったし、良しとするか』
ピクリとも動かなくなった身体から、紫色の剣を引き抜くと、魔力で生み出されたらしいそれは光を失い、その実体さえも消えていく。
へらへらと笑いながら、その場を立ち去っていく魔法師の男。その背中を追いかける事はしなかった。
一直線に彼が向かったのは当然、夜の冷たいコンクリート、その上に転がる一体の人形の元だった。
『奈那。奈那、頼む、起きてくれ。今度こそ、奈那を
必死の声も、その人形には届かない。……魔法人形なら、人の言葉を認識して、言葉を返してくれるかもしれないが――彼女はもう、ただの人形になってしまったのだから。
少し間が空いた。どれくらいの時間、ここで膝を突いたまま、その人形を揺さぶり、魔力を送り、声を掛けたか分からない。
ただ、奈那にはもう、いくら魔力を送った所で、もう戻ってこないんだという現実を受け入れたと同時。
一度、冷静になったその上で。彼は、最後に一言だけこう叫んだ。
***
「……奈那ああああああああああああああああああああああッ!!」
「――圭司さん! 圭司さんっ! しっかりしてくださいっ!」
気がつくと、そこはスーパーの鮮魚コーナーだった。棒立ちになっていた彼を、揺さぶり続けていたであろう
納乃の表情から察するに、かなりの時間、意識が飛んでいってしまっていたらしい。……なんだか、周りを歩く他の買い物客から送られる奇怪な視線が痛い。
「
「ごめん、納乃。ちょっと昔の事を思い出しちゃって」
やはり、この記憶を取り出すといつもこうなってしまう。まるで開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったかのように。
「でも、もう大丈夫。心配はいらない」
ただ、決して忘れてはいけないこの記憶が、今の彼を形作っているというのも事実だった。
『今度は必ず護る』――届く事のなかった、あの日の誓いを胸に。
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