第21話びくびく!


 帰りのホームルームが終わって、後は帰るだけとなった。教室は掃除当番が掃除しているので、居座っていられない。ボクは廊下の端っこに立って、俊樹の掃除が終わるのを待っていた。


「おー、稲葉。じゃあな」

「うん、バイバイ」


 男友達だった彼らが帰り際に声をかけてくる。一つ一つに返答しながら、ボクは彼を待っていた。……それにしても。


「やっぱり、俊樹以外の男と話すと、体がちょっと硬くなるな」


 原因は、なんとなく分かっている。あの日、軽薄な男たちに無理やり連れて行かれそうになった時、ボクは今の自分の体では男に抵抗できないことを悟ってしまったのだ。体格が違うとはこんなにも怖いことなんだと、分かってしまうのだ。そう思うと、今まで普通に話せていた男子と話すのすら少し怖くなってしまう。


「待たせたな。……どうかしたか?」

「ううん、なんでも」


 俊樹にボクの弱くなってしまったところを見られるのが嫌で、ボクは言葉をぼかす。

 校門を出て、帰路につく。夕暮れの道は、人通りが多く活気に溢れていた。ときたま人の視線を感じる。きっとそれは、ボクの容姿が変わってしまったことが無関係ではないのだろう。


「……」


 それはつまり、ボクを脅かそうとする人間がこの場にいるかもしれない、ということではないか。例えば、あの通りの反対側にいる男子高校生。がたいの良い彼は、俊樹と別れた後のボクを追い、話しかけてくるのではないか。

 例えば、後ろを歩くスーツ姿の男。彼が突然こちらに走ってきてボクに襲い掛かってきたら、抵抗できないのではないか。

 根拠のない嫌な妄想ばかりが頭をグルグルと回り、暗澹たる気分になる。ああ、どうしてボクは女になんてなってしまったんだ。


「……ゆうき、大丈夫か?」


 突然声をかけられて、ボクは顔をあげた。その先には、見慣れた俊樹の顔。彼の顔を見ていると、不思議と安心できた。


「いや、大丈夫」

「そうか?」


 ボクの返答に、俊樹はボクの顔をじっと観察し始めた。……そんなに見つめられると、なんだか恥ずかしいんだけど。


「……男が怖いのか?」

「……ッ」


 突然核心を突かれ、息が詰まる。


「……そうか。まあ無理もない」

「でも! ボクは男だったのに! この程度で……この程度で怖いなんて……」


 己の情けなさに、拳をギュッと握りしめる。ボクにだって、プライドがある。男を見るたびに怯えるなんて、それこそか弱い女の子みたいじゃないか。


「……少なくとも俺は、今のお前を情けないなんて思わない。ショックな出来事が記憶に残り続けるなんて、男も女も関係なくあることだ。まあ、安心しろ。しばらくは俺が一緒に帰ってやるから」

「えっ、本当に!?」


 俊樹の言葉に、ボクはガバッと顔をあげた。それと同時に、胸のうちに喜びが溢れ出す。


「お、おお。まあそんなに遠くもないしな」

「まじかあ……じゃ、じゃあさ。久しぶりに、家来ないか?」


 ボクの言葉に、俊樹は驚いたように目を見開いた。



「おじゃましまーす」


 俊樹が恐る恐るボクの家に入ってくる。仲が良かったボクらだが、互いの家に入る機会はあまりなかった、大抵外で遊んで、そのまま帰るからだ。借りてきた猫みたいになった俊樹を見て、ボクはなんだか面白くなってくる。


「なんだよ。初めてじゃないんだからそんなに緊張するなよー」

「いやだってお前、家族にどう思われるか……」

「姉貴ー? 帰ったのー?」


 タイミング良く、妹の声がする。同時に、リビングのドアが開いた。


「……あ、秋山さん!? わざわざいらっしゃるなんて、ご苦労様です」


 理子は俊樹のことをボクの世話係か何かだと思っている節がある。そのため、彼に対してやたらと畏まるのだ。


「お邪魔しています。あまりご迷惑はおかけしないので」

「俊樹、行くよ!」


 俊樹と理子が和やかに会話していると、なんだか面白くない。不自然な焦燥にかられたボクは、彼をさっさとボクの部屋へと連行した。


「……へえ」


 それを見ていた理子は、面白いものを見た、と言いたげに笑っていた。



「あれ、なんかお前の部屋変わったか?」

「そう? まあ、明らかに女が持ってておかしいものとかは消えてたかな」

「いや、というか匂いが……まあいいか」


 ボクの部屋に入って来た俊樹は、なぜか落ち着かない様子だった。


「それで、来たはいいけどどうするんだ?」

「うーん、作戦会議?」 

「なんのだ?」

「ボクが男に惚れられるための」


 ボクは気づいてしまったのだ。ズバリ、俊樹に男に惚れられる方法を聞けば、俊樹がボクに惚れる方法が分かるのではないか、と。

 ここで彼の好みを聞きだして、籠絡してやる!


「まだ諦めてなかったのか……」


 俊樹は呆れたようにため息を吐いた。


「一つ言うが、今の男にトラウマ抱えてる状態じゃあ厳しいと思うぞ」

「うっ……」


 手厳しい言葉に、ボクは言葉を詰まらせた。


「じゃあ、こういうのはどうだろう」

「なんだ?」


 どうせロクな策じゃないだろ、と言いたげに彼は先を促した。


「片岡さんに男装してもらって、ボクに告白してもらう!」

「馬鹿かお前! そんなのに騙される悪魔がどこにいるんだ!?」


 いやあ、あいつ結構簡単に騙されそうだけどなあ。


 そう思ったが、なにやらボクの頭の中に悪魔の声が響いた。


『おいお前、馬鹿にしてんのか?』


 ……ダメか。というかあいつ常にボクを見てるのか? きもっ。ストーカーかよ。


『す、ストーカー……俺がストーカー……?』


 悪魔の唸り声が脳内に響く。思考の中まで覗くとかストーカーよりもたちが悪いので、そのままずっと落ち込んでいてほしい。


「おい、ずっとアホ顔のまま固まってるけどどうかしたのか?」


 悪魔とのテレパシーを楽しんでいると、訝しんだ俊樹から声がかかった。


「ていうかアホ顔ってなにさ! あ、ちょうどいい。悪魔が覗き見してるから、お前もなんかメッセージを伝えてみろよ」

「は?」


 呆れ顔の彼は、ボクの言うことなんてこれっぽっちも信じていないようだった。


「いいから! 心の中でなんかメッセージを思い浮かべてみろって」

「はぁ……」 


 諦めたようにため息を吐いた彼は、目を瞑り眉間にしわを寄せた。少し経つと、彼は驚いたように目を見開いた。


「……本当に声がしたぞ」

「だろ?」

「お前、コッソリ俺の耳元で喋っただろ」

「そんなことしてねえわ! ていうか悪魔とボクじゃ声違うだろ!」

「それもそうか……いや、悪い。俺も混乱してた」


 まあ、急に脳内に声が響いたら混乱もするか。


「それで、何を聞いたんだ?」

「ああ。『今俺が何考えてるか当ててみろ』って思ったら、『クックック! 貴様は今、初めて入る異性の部屋に緊張しているな!』って返ってきた」

「え? 緊張してるのか?」


 思わぬ言葉にボクが問い返すと、俊樹は気まずそうに眼を逸らした。

 え、なんだよ。そんなこと思われてたって考えたら、俺まで緊張してくるじゃないか。不意に訪れる体の熱。ボクらの間に、気まずい沈黙が下りた。


『おい悪魔、お前のせいで気まずくなったぞ! どうしてくれるんだ!』


 悪魔は言葉を返さなかった。もしかしたら、さっきストーカーとか言ったのを怒っていたのかもしれない。

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