第7話 食事のマナー
メルムのおかげで、ここでの生活にも慣れてきた。一番問題だった食事もきちんと取れるようになったし、今日もしっかりお勉強しなくちゃ!
「姫様、ただいま戻りました!」
「おかえり、メルム。何か良いことでもあったの?」
いつもにも増して、にこにこ笑顔で戻ってきたメルムに尋ねる。
「姫様、今日は御馳走を連れて参りました!」
「ごちそう?」
そんな私の疑問は、「アリシア、失礼するぞ」というフォルネウス様の声で、さらに深くなった。
「こんばんは、フォルネウス様。こんな時間にめずらしいですね、いかがなされました?」
「食事の時間だ、アリシア。さぁ、飲むといい」
「…………はい?」
こちらへ大きく手を広げてくるフォルネウス様の姿を前に、状況が理解できない。
「若様、姫様はまだ牙が生え揃っていません。出来ればコチラに頂けると、戸惑われなくてすみますかと」
メルムが横からスッとワイングラスを差し出した。
「なるほど……」
袖口をまくり、自身の左手首を右手の爪で切り裂いたフォルネウス様は、流れる血をワイングラスにためていく。
美味しそう……
ピチャン、ピチャンと一滴ずつ落ちていくフォルネウス様の血に釘付けになる。思わずゴクリと生つばを飲み込んだ。
「うむ、しかしこれだとためるのに時間がかかるな」
そこで初めて意味を理解した私は「そんなに頂けません!」と、それ以上血が滴り落ちないようフォルネウス様の左腕を高い位置へ持ち上げた。
しかしそれだけで血が止まるわけはなく、私の手にまでつーっとたれてきて、芳醇で甘美な匂いが漂ってくる。
「アリシア、やはり直接啜った方がはやそうだ。遠慮なく飲んでくれ」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「し、失礼します」
我慢の限界だった。滴り落ちるフォルネウス様の血を余すことなく舐めとった私は最後、傷口に沿って舌を這わせた。吸血鬼の唾液には傷の修復効果がある。そのおかげで傷口は綺麗に塞がり、フォルネウス様の手首は元通りに治った。
「もうよいのか?」
「はい、こちらに頂いておりますので。フォルネウス様、ありがとうございました」
「大したことじゃない。アリシア、腹が減ったらいつでも呼んでくれ」
この日以降、フォルネウス様は毎晩私の部屋を訪れては、自身の血を与えてくださるようになった。
◇
フォルネウス様に血をもらうようになって、二週間が経った。深夜遅く、執務の合間を縫ってフォルネウス様が部屋を訪れてくださる。
「お忙しい中いつもすみません」
「ここに来るのは息抜きにちょうどよいのだ。逆に俺も助かっているから気にしないでくれ」
「はい、ありがとうございます」
フォルネウス様はこうやっていつも、気を遣わせないよう優しくしてくれる。
「アリシア、こちらにおいで」
フォルネウス様に呼ばれ、ソファーの隣へと腰かける。
じっとこちらを見つめられ、「私の顔に何かついてますか?」と、思わず尋ねた。
「いや、綺麗に生え揃ったみたいだな」
その一言で、フォルネウス様の言いたいことを理解した。
「はい。フォルネウス様のおかげです」
美味しい食事をいつもありがとうございますと、感謝の気持ちでいっぱいだった。
栄養を取るためだけの血の錠剤は、何の味もしない。かといえ、不味い血を飲むのもこりごりだ。
私にとって、フォルネウス様に与えられる血だけが何よりも勝るお御馳走だった。
「アリシア、今日は君の牙で俺の首筋を噛んで啜ってごらん」
心臓に近いほど美味いらしいぞと、フォルネウス様は自身の首元を指差しながら優しく微笑んでいる。
「で、ですが……」
どうしても、相手の肌に牙を突き立てる事に抵抗があった。
「練習だ。これが本来の食事のマナーなのだよ」
しかしそう言われてしまっては、従わざるを得ない。皇太子である彼に、無礼な態度を取り続けるわけにはいかなかった。
それに例えるなら、今までの自分はきっと、本来ならフォークとナイフを使って食べる食事を、手掴みではしたなく食べていたのと同じ事だったのかもしれない。そう考えると、恥ずかしくて仕方なかった。
「分かりました。し、失礼します」
緊張しながら、フォルネウス様の肩に両手をつく。支えるように、フォルネウス様は私の腰にそっと手を回してくれた。ふわっと香る甘いホワイトムスクの香りに、頭がのぼせそうになる。
先程フォルネウス様に指差された部分へ口を近づけた後、優しく牙を突き立てる。
「もっと強く」
促されるも、中々力を入れる事が出来ない。
「終わるまで、この手は放してやらんぞ」
耳元でそう囁かれ、恥ずかしくてどうにかなりそうだった。今まで男の人とこのように密着して抱きあった経験などない。
しかも相手は皇太子様で、とても端正な顔立ちをした男性だ。普通なら言葉を交わす事さえ出来ない相手であり、そんな方がこんな至近距離に居る。緊張がピークに達した私は、そのまま頭が真っ白になり意識が遠退いてゆく。
「少し、やりすぎたか?」
フォルネウス様が、優しい手つきで私を抱えてベッドへと運んでくださった。
「君に俺の血を分け与えたのは、俺の身勝手なエゴだ。だから、遠慮することなどないのだぞ」
私の髪を撫でながら、フォルネウスが何か話しかけてくださったけれど、よく聞こえなかった。
「真実を話せば、君はどのような反応を見せるのだろうな……」
自嘲気味に発せられたその言葉を最後に、私は意識を完全に手放してしまった。
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