第4話 開闢
〈それで、何の話をしていたんだっけ?〉
「分からない。覚えていない」
〈言い訳〉
「現に言い訳だよ。思い出すのが面倒という宣言なんだ」
〈コーヒーに砂糖を入れるのって、どう思う? コーヒーの苦さと砂糖の甘さがマッチする適切な量って、あるのかな?〉
「あると信じている人にとっては、あるだろうね。ただ、もともと苦いものに、甘いものを加えようとするのは、あまり良い考え方ではない」
〈矛盾しているから?〉
「まあ、そんな感じかな」
〈人間の傲慢さを感じるとか?〉
「いや……。苦いものに甘いものを加えるのは、それはそれで面白いと思うんだ。可愛らしいというかね……。ただ、苦いものは苦いままでいいんじゃないかな。同様に、甘いものは甘いままでいい。苦いものと甘いものを混ぜ合わせた結果、それを形容する言葉はどんなふうになると思う?」
〈甘苦いか、苦甘い〉
「そう。結局そうなって、新しい言葉が生まれない」
〈新しい言葉が生まれないと駄目なの?〉
「僕にとってはね。単純に二つを足し合わせて、それで終わりなら、初めから足さなくていいと思う。むしろ足すことで品質が低下する。できるだけシンプルな方がいいんだ。混ぜたとしても、それで出来上がるのがシンプルなものでなければ、面白くない」
〈なんだか、よく分からない理屈〉
「それはそうさ。これは理屈じゃなくて、感覚なんだから。それを無理矢理理屈にしようとしている」
〈よく分からないけど……。でも、君のその考え方は、好きだよ〉
「考えじゃなくて、感覚」
〈じゃあ、その感覚が好き〉
「好きというのは感覚だね。理屈をどうこうしてものを好きになることはできない」
〈でも、本当にそうかって最近思う。好きになろうとすれば、案外好きになれるものじゃない?〉
「たとえば、どういう場合に?」
〈別に興味もない授業だけど、必修科目だから受けなくちゃならないときとか〉
「まあ、そうかもしれない。その場合は、もう、どうしようもないわけだから、好きにならないとやっていけないわけだね」
〈出ました、やっていけない〉
「人間が持って生まれた容姿と同じかな。それをどうこうしようとしても、どうにもならない」
〈コーヒーに砂糖を入れるんじゃなくて、コーヒーに紅茶を入れるのはどう?〉
「急に話を戻すね」
〈それとも、紅茶に牛乳を入れるとか〉
「悪くはないかな。しかし、その場合、液体に液体を混ぜているわけだからね。初めからそれなりに相性がいい気がするよ」
〈何が問題だったんだっけ?〉
「つまり、人はどのようにして、ものとものを分けているか、ということ」
〈そんな話題だったっけ?〉
「コーヒーと紅茶と牛乳は、すべて液体としてまとめられる。砂糖と塩は、どちらも固体としてまとめられる。なぜそのようなことができるのか?」
〈急に話を変える〉
「どうしてだと思う?」
〈先に結論を言うと、それは、言葉が先か、現実が先かという問題に帰着して、有意義な答えを導き出せないと思う〉
「それはそうだよ。そんなこと、分かったうえで訊いているんだから」
〈意味ないよ、それ〉
「意味はある。話すことに意味がある。君とコミュニケーションをとることに意味があるんだ。お喋りってそういうものじゃないのかな。明日になれば内容なんて忘れている」
〈つまり、音に意味があるってことだね。ああ、それが最初の話に繋がるの?〉
「別に繋げるつもりはない」
〈液体と固体の違いは、自分と同じか否かという判断から生じると思った〉
「いつ?」
〈今〉
「その心は?」
〈つまり、私たちって固体なんだよね。生まれたときから固体なんだ。人間は自分を基準にするから、まず、固体というのが一つの大きな基準となる。それをもとに、自分と同じか否かを判断する。それが液体と固体の違いになる〉
「面白い考えだけど、では、その同じか違うかという判断は、どのようにするの?」
〈それを訊かれると……。うーん、分かんない〉
「同じとは何か、違うとは何か」
〈そのためには、やっぱり何らかの基準が必要だね?〉
「まあ、そう考えるのが普通」
〈うーん……〉
唐突に訪れる静寂。
二人が黙ったせい。
そして、唐突にずれる静寂。
僕が言葉を放ったせい。
「僕と君は同じかな?」
そのとき、Maiの表面に付いたディスプレイが激しく点灯した。赤い光が部屋を覆い尽くす。僕は反射的に目を塞いだ。
光が溢れ出すのと同時に、奇妙な音が鳴り響いた。それは何かを告げている。
音も、文字も、何もない。何もないそれを用いて、僕とMaiは交信している。
僕はどこにいるのか?
彼女はどこにいるのか?
僕が彼女と相対しているとき、彼女は僕を見つめている。その瞳を通じて、僕は僕を見ているのだ。
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