第1話 孤独な王子

 海原裕星かいばらゆうせいは一人ギターで弾き語りをしていた。

 客同士の肩が触れ合うほどぎっしりと埋まっている渋谷の一角にある老舗のライブハウスで、女性客が圧倒的に多いが、男性客も3分の1ほど入っていただろうか、皆、裕星の歌声に聞き惚れながら体を揺らしている。


 裕星は作詞作曲も手がけていたが、今夜は往年の名ギタリスト『天乃帝翔あまのていと』の永遠の名曲「スター」を選んで最後の曲にした。

 この日、裕星にとってこのライブハウスでの最後の演奏の日だった。

 JPスター芸能事務所の社長、浅加勝あさかまさるが裕星に事務所の専属契約を打診してきて正式に受けることにしたのだ。


 裕星は歌いながらゆっくりと顔を上げ会場を見回した。人々のうっとり聴き入る顔、顔、顔……しかし、そこにあの人はいなかった――






 ――3年前から、裕星は渋谷のこの伝統あるライブハウスで毎週ギターの弾き語りをしていた。

 裕星が小学校を卒業する頃には父親は異国の地で亡くなった。

世界的に有名なバイオリニストであり作曲家だった海原唯月かいばらいつきは、裕星に偉大な遺産を残してくれた。

 都内の一等地にある豪邸も、軽井沢にある別荘も、海外にある数か所の別邸もだ。

 生きていた頃は一緒に生活こそしてなかったものの、有り余るほどのお金を裕星に振り込んでくれた。

 そして死んで尚、莫大な遺産も裕星に残したのだった……しかし、たった一つだけ一番欲しかったものは全く無かった――親子の思い出だ。


 母親は伝説のトップモデル真島洋子まじまようこ。まだ若かった彼女は、父親と知り合って妊娠し、裕星が生まれるとすぐに別れてしまったため、裕星は初め父親の顔すら知らなかった。物心ついた頃に、母親に極秘で会いに来てくれるまでは。

 売れっ子モデルだった母親は家庭よりも仕事を選んだのだった。



 今でも母親とは疎遠だ。幼い頃一緒に生活していたこともあったが、その頃の裕星はほぼ家政婦と共に過ごすことの方が多かった。母に愛されているという実感がまるで無かった。


 しかし、それも名門の芸術大学を一年で中退して独立した裕星にとって、親元を離れることは今までと全く変わらない生活が待っていただけだった。

 それよりも、この仕事を見つけたことで、得意だった音楽への道が開け、父から受け継いだ才能が徐々に開花していったのだった。


 このライブハウスは若者だけのものではない。年代人種問わず、インディーズバンドやメジャーデビューを控えた才能あるアーティストなど選ばれた者だけが演奏できる伝統のある場所でもある。


 裕星は音楽に関しては、バイオリンとギターの違いこそはあったが、父の遺伝のおかげか、人一倍才能に溢れていた。その上、甘い声をギターに乗せると大勢の女性ファンが一気に増えた。


 ここでの活動はもうすぐ3年になる。金銭的には父親の残した金で何不自由なく遊んで暮らせる生活が出来るが、そんな自堕落な生活は裕星自身望まなかった。

 自分の実力が認められ、そして自分で稼いで生きていくこと、それは父親譲りの男気でもあった。





 3年前、裕星はこのライブハウスで演奏するためのテストを受けた。

 オーナーが裕星の曲と歌を聴いて一発でOKを出してくれた。まだ駆け出しのアーティストだった裕星は、自分の実力がどれほど通用するか、父や母の影響を受けないここで試したかったのだ。

 その日から裕星は作詞作曲に明け暮れ夢中でギターをかき鳴らした。

 裕星は自分の曲を公の前で演奏できる喜びで胸がいっぱいだった。

 今日から親の生活費に頼ることなく実質の独り立ちができる──。



 ここのステージは高品質なサウンドシステムで、音の芸術を楽しむために訪れる客層は正にプロ顔負けの知識と音楽耳を持っていた。ここで通用するかどうかでこれからメジャーデビューできるかどうかが決まるのだ。

 裕星はここに来たばかりの頃、極度に緊張していたことを思い出していた。あの頃は無我夢中でギターをかき鳴らして声を張り上げるだけでおよそ客席を見る余裕すらなかった。


 初ステージを終えてやっと顔を上げると、大勢の客が惜しみない拍手と歓声を上げているのが見えた。裕星は認められたのだ。ホッとして、初めて客の顔を見回した。

 年代も性別も人種すら様々の客たちが皆、裕星を見て手を振りあげ歓喜している。

 ステージで演奏するものは、若者だろうが年季の入った者だろうが関係ない。人々を魅了する才能があるかどうかだ。

 裕星はふっと会場の一番奥、出口の扉の傍らに立つほっそりとした女性に目が行った。

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