第16話 祭りは楽しんでこそ祭りである

 ルイが静かに目を開けると、暗い水の中にいた。頭上には光が射しこんでいるが、体がぴくりとも動かないため、ぼうっと光を見つめながら沈んでいく。


 苦しい、冷たい、痛い、寂しい……。


 ルイは水の中が好きだ。自分の感情をその中に閉じ込められるから。

 ルイは水の中が嫌いだ。またあの日のように、大事なものをなくしてしまうから。


 これが少年の神様からもらった力の副作用であることはすぐに理解できた。何度もがいてもこの苦しみからは逃れられない。

 心的外傷トラウマ。何度も脳内で再生されるそれは苦痛以外の何でもない。喉が詰まって助けも呼べない。


『さすがに妖力の吸収は疲れたか?』


 脳内にヤコの声が響いてきた。かろうじて動く口をゆっくりと開ける。


「そう……だな」


 それでも妖力なしでは複合型ハイブリッド妖術師メイジには勝てなかっただろう。彼を倒すにはこれくらいのリスクは当然だ。

 ルイは何度かこの副作用を体験している。そしてそのたびに、神様から力をもらうというのがどれくらいのことなのか思い知らされる。何度も水の中に沈められ、ただぼうっと光を見つめる。その光の正体はルイにはわからない。光に近づこうともがくほど息苦しくなり、遂には近づくことさえやめてしまった。

 やがて視界がブラックアウトし、ルイの意識は静かに失われる。


『類、起きろ』


 誰かに起こされルイが目を覚ますと、救護室のベッドにいた。ゆっくりと起き上がり窓の外を見る。もう外は真っ暗で街灯が辺りを照らしていた。

 ルイの目覚めを待っていた医者が診察し異常がないことを確認すると、ルイは狐面をつけ木刀を持って救護室を出た。

 ポケットに入っていたスマホを確認すると、カエデから着信があった。もう夜九時を過ぎていたためかけ直すか悩むルイ。念のためかけ直してみると、たった数コールですぐにカエデが出た。


『あ、ルイ大丈夫?』

「え、ああ、まあ……」

『うちの試合が終わっても目が覚めないってお医者さんに言われたから、心配してたのよ。でもいつ目覚めるかもわかんないのにずっと救護室にいるわけにもいかないから、先にユウちゃんと二人で部屋に戻ってたの。まあ、元気そうで良かったわ』


 自分の家に向かいながら脳内を整理し、ルイはいつも通りの笑みを見せた。


「そう言うお前は勝ったのかよ」

『当たり前でしょ。うちを誰だと思ってんのよ』


 さすがの自信だ、とルイは苦笑い。


「そっか、じゃあ明日はいよいよお前とだな」

『まあ、誰が相手でもうちが勝つけどね』


 暖かい風が前髪を揺らし、奥に潜む茶色い瞳が顔を出した。


「それはこっちのセリフだよ」


 そう意気込み、ルイは通話を切った。


 ――戦闘祭バトルフェス決勝戦。舞台袖についたルイは呼吸を整え、緊張をほぐす。

 ルイはとりわけこの戦闘祭バトルフェスに思い入れがあるわけではない。複合型ハイブリッド妖術師メイジを打ち倒した今、これ以上勝つ意味はルイにはなかった。

 だがカエデは本気だった。色々な思いでここに立っていた。それを知っているルイは、手を抜くわけにはいかないのだ。

 本気の相手に本気で挑む。それが彼女に対する精一杯の誠意だった。

 一方カエデも舞台袖で準備運動をし、緊張をほぐす。だが一向に震えが治まらず、小さく微笑んだ。


「やっぱ駄目ね。あいつと戦うと、気持ちが入り過ぎちゃう」


 ここから見える舞台は日の光に照らされ、輝いて見えた。


『それでは、決勝戦を始めます。まずは東、大日向類』


 大きく胸が高鳴り、カエデは呼吸を整える。


『対するは西、新夜にいやかえで


 名前を呼ばれたカエデは舞台にあがる。目の前で対峙するルイは不敵な笑みを浮かべていた。

 大きな鐘の音が響き、決勝戦が始まった。ルイは木刀を二本構えると、少しずつ距離を縮めていく。一気に距離を詰めなかったのは近距離攻撃と遠距離攻撃、両方の対策のためだろう。

 残り二メートルに迫ったところでカエデが動く。


雷の大剣サンダーソード


 一瞬にして作り上げられた大きな雷剣にためらったルイは反射的に後ろに飛び、カエデから距離をとった。それでも剣先がルイの左手をかすめる。


「あっつ!」


 電気が熱として伝わり、ルイの左手が軽く火傷したようだ。さすが四年連続優勝者チャンピオン。妖力の大きさは計り知れない。

 仕切り直そうともう一度木刀を構えたルイは、カエデの手が震えていることに気づいた。剣が重いのだろうか? いや――

 カエデが飛び、雷剣を振り下ろした。それを木刀で受け止めながら、ルイは小声でカエデに呼びかける。


「お前、電撃が柄から手に伝わってきてんだろ。んな自傷行為、してんじゃ……」


 カエデは無言で木刀を弾くと、そのまま横に薙ぐ。それをぎりぎりかわしたルイは、カエデの心情が読めず横に飛んでまた距離をとった。だがカエデも雷剣を振り回しながら距離を詰める。

 自暴自棄のようにも思える行動に、ルイは怒りをあらわにした。


「おまっ、いい加減に……」


 雷剣を受け止めたルイはそのまま木刀で弾き返す。


「――しろ!!」


 雷剣が吹っ飛び、支えていた両の手のひらにできた痛々しい火傷が見えた。風が吹き、カエデの前髪を揺らす。


「……っ!」


 カエデの鋭い視線がルイを射抜いたかと思えば、弾かれた両手に力を込め始めた。


雷の槍サンダースピア


 雷を纏った槍を生成し、思い切り振り下ろす。避けたルイの頬をかすめ、ルイは鮮血をこぼした。

 雷鳴と共に雨雲が低く垂れ込み始める。カエデは金髪を揺らしながら息巻いた。


「なんのリスクもなしであんたに勝てるなんて思ってない……!」


 ルイは一瞬呆けた後、カハッと笑いをこぼした。見くびられてなどいない。本気で勝ちにきた結果であると理解したルイは、自分の太ももを木刀で強く叩き士気を高める。

 ぽつりぽつりと雨が降り始める中、二人は再度対峙する。濡れないように屋内に避難しようとする観客もいた。しかし大半の観客は雨に濡れるのも構わず、食い入るように舞台を見つめていた。

 舞台上の二人は構えたまま動いていない。ただ立っているだけである。それでも観客たちが釘付けになるほど、彼らは真剣だった。

 心の探り合い。相手が何を考え、どう動くのか。ずっと一緒にいる二人だからこそ容易に想像でき、難しい問題だった。

 自分がわかるということは相手もわかっているはず。自分の手札を見せ合いながらポーカーをしているようなものだ。

 舞台上で熱される空気を、冷たい雨粒が少しずつ冷やしていく。剣を構え睨みあっていた二人は、肩の力を抜くとふふっと笑みをこぼした。


「やーめた。腹の探り合いなんて馬鹿らしいわ」

「そうだな。せっかくの祭りなんだし、もっと楽しもうぜ」


 黒い髪の先に溜まった雫がぽつりと落ちる。湿った地面をぐっと踏みしめ、強く蹴りつけた。鞭のようにしなやかに振り下ろされた木刀をカエデは華麗に素手で流し、そのまま手のひらをルイの顔に近づける。


線香花火スパークラー!」


 カエデの手のひらから出た爆発をルイは避けようと体を捻る。だがぬかるんだ地面で滑り、ルイは地面を頭に打った。それをチャンスと思ったカエデがとどめを刺しにかかる。


閃光の槍フラッシュスピア!」


 先の尖った透明な筒をルイの腹部に刺そうとするが、ルイはカエデの腹を思い切り蹴って逃げた。カエデは苦しそうに腹部を押さえながらルイを睨む。だがその口元は笑っていた。


雷の大剣サンダーソード!」


 再び雷剣を出したカエデ。観客も思わず感嘆の声を漏らす。


「すげぇ、やるな!」

「パンダのくせして形成型三つ目だぞ!」

「妖力値が半端ねぇ!」


 ルイも木刀を握りしめ、カエデに立ち向かう。お互いの剣が交わるたびに散る火花は見る者全てを魅了した。屋内に避難しようとしていた妖怪も思わず足を止め、舞台を見つめる。

 二人の様子を観客席から見ていたユウは、目を輝かせながら静かに呟いた。


「いいですね、あの二人。楽しそう……」


 頬を薄ピンクに染めるユウの隣で見ていたケンシロウも喉を鳴らす。震える拳を隠そうとするが、四本の尻尾はその心情を隠せない。


 自分もあの場に立ちたい。彼らと戦いたい。


 そう思わせるほどに彼らのバトルは楽しげだった。次はどんな動きを見せてくれるのだろう。そんな高揚感がこの舞台ステージを一体化させる。

 お互いの剣を衝突させる。一歩下がり、また――

 カエデが地面を蹴った瞬間、ぬかるんだ地面に足をとられバランスを崩した。ルイはそれを見過ごさない。すぐさま木刀を振り下ろす。迫る地面と木刀がカエデの脳裏で何かを呼び覚ます。


 ――ばしゃり


 


 水の音が聞こえた。

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