第18話
早朝、屋敷内で警護している保安局員の交代があり、それに合わせてバルバストルも一旦屋敷を後にした。
一方、フンツェルマンはメイドたちに襲撃のあった部屋の掃除をするように言う。メイドたちはまた襲撃があったと聞いて、かなり動揺しているようだったが、ともかく床に血痕と割れた皿が散乱して残っているので、フンツェルマンは血痕を拭き取り皿を片付けるように言った。
この部屋は窓が無いため、昼間でも薄暗い。フンツェルマンは血痕を拭き取る前にランプを床に近づけて改めて確認したが、犯人の出血はかなり多いようだった。
また、隣の部屋で眠っていたニコルは深夜の騒動には気が付かなかったらしい。連日、エレーヌの対応で疲れがたまっていたのであろう、ぐっすり眠っていて夜に目を覚ますことなく朝を迎えた。彼女もまた襲撃の事を聞き、驚きと衝撃を受けていた。ニコルは一階に移動したエレーヌの居る部屋まで行こうとするが、フンツェルマンはバルバストルに誰も入れるなと言われていたので、何とかニコルを説得してそれを諦めさせた。
以降、エレーヌの部屋に食事を運んだり、何か用があるときは全てフンツェルマンが対応することになっている。幸いなことに、エレーヌ自身は部屋に閉じ込められている状態に不満を言うことなく、大人しくしていた。
午前中、屋敷の皆の朝食が終わってしばらくした頃、屋敷に思いがけない訪問者があった。
豪華な馬車から修道僧を二人引き連れて降り立ったのは、大司教サレイユだった。サレイユがこんなところまでやって来たので、屋敷の前で警備をしている警官も流石に驚きを隠せなかった。警官と保安局員たちは相談し、サレイユなら屋敷に通してもよいだろうということになった。
サレイユは修道僧の一人と馭者を馬車のところに待たせ、もう一人の僧と一緒に屋敷の敷地に入った。屋敷の敷地内では、保安局員がサレイユと修道僧を屋敷まで案内する。屋敷内ではフンツェルマンが対応する。彼もまたサレイユの訪問にとても驚いたようだった。
「大司教様、こんなところまでお越しいただくとは大変恐縮です。お呼びいただければ出向きましたのに」
「いやいや、たまには遠出も良いもんですよ」そう言って、サレイユは笑いながら自分の長いあごひげを撫でて見せた。そして、屋敷の中にも保安局員が居るのを見て言った。「警備が物々しいですな」
「ええ、警官と保安局員が昼夜、警護しております。しかし、昨夜、また襲撃がありました」
「ええっ?!」 サレイユは驚く。「それで、エレーヌ様はご無事なのですか?」
「はい、無事です。襲撃してきた男は撃退されました」
「エレーヌ様がご無事で何よりです。その男は捕らえられたのですか?」
「いえ、残念ながら逃げられてしまいました」
「そうですか……。ともかく、エレーヌ様がご無事でよかった」
サレイユは安堵のため息をついた。フンツェルマンは会話をしながら、サレイユと修道僧を屋敷奥の応接室に案内する。部屋に入るとサレイユはソファに座り、修道僧はその傍らに立ったままで姿勢を正している。フンツェルマンも直立不動の姿勢でサレイユと話を続ける。
メイドのジータが紅茶を出し、部屋を出て行くのを確認するとフンツェルマンは会話を切り出した。
「それで、今日はどんなご用件でお越しになられたのでしょうか?」
サレイユは紅茶の入ったカップをつまんで一口飲んでから答えた。
「あれから、エレーヌ様はどのようなご様子ですか?」
「はい。大司教様に蘇生魔術を施して頂いた後からの状態が続いています。別人のようになったままです。話をすると、どうも遠い異国の人物の魂が宿っているようで、私たちはもちろん、本人もかなり困惑しているようです」
「そうですか」。そう答えて、サレイユはカップを置くと本題に入った。「さて、今日、ここに来た理由ですが、先日、エレーヌ様を元に戻す方法についてお調べすると言いました」
「はい」
「その方法自体はわかりませんでしたが、その手掛かりらしい物を見つけました」
「本当ですか?」
フンツェルマンはエレーヌを元に戻せるかもしれないという期待から少々大声を上げてしまった。それをたしなめるようにサレイユは静かに言う。
「しかし、あまり期待しないでください。ぬか喜びになってしまってはいけませんから」
サレイユは修道僧に目配せすると、彼は肩から掛けていたカバンの中から古びた茶色い表紙の分厚い本を一冊取り出した。サレイユはそれを受け取ると、本を開きペラペラとページをめくっていく。そして、目的のページに来ると手を止めた。
「この本は大聖堂の書庫を修道僧たちに調べさせて見つけた物です。これは二百年ほど前に居たという、ある魔術師の伝記です。これによると、魂を入れ替えるという魔術が存在するという風に書いてあります。対象者二人に対しその魔術を掛けると、その魂が入れ替ったと。そして、再びその魔術を使い、元に戻したとあります」
「なるほど、興味深いですね」
「ただ、魂を入れ替えることは可能ですが、その対象者がいなければなりません。エレーヌ様の場合、宿っている魂の元の身体が無いので難しいのかもしれません」
「ということは、今、エレーヌ様の身体に入っている魂の元の人物に、エレーヌ様の魂が宿っているのでしょうか? その人物を探さなければならないということですね」
「いや、エレーヌ様はお亡くなりになっておりましたから、必ずしもそうとは言えないと思います」
「そうですか……。よく考えると、その人物がどこに居るのかもわかりませんし、先ほど言いましたように、もし遠い異国ということになると、探しに行くことも容易ではないですね」
フンツェルマンは肩を落とした。サレイユは彼を慰めるように話をする。
「ただし、この本は二百年ほど前の話です。それ以降、新しい魔術が開発されて、離れていても魂を交換することができる様になっているかもしれません」
「なるほど、それは調べてみる価値はありますね」
「私は、そういう魔術があるとは聞いたことはありませんが、軍の魔術研究所が色々開発しているかもしれません。場合によっては、あの蘇生魔術を使うように言ってきた保安局員……。ええと、何と言いましたっけ?」
「バルバストル氏ですね」
「そうそう、彼に尋ねてみても良いかもしれませんな」
「なるほど、ありがとうございます。彼は、今は不在ですが、午後にまた、ここに来ると言っていたので尋ねてみます」
「あと、もう一つ。この本の魔術師のことですが、ザーバーランド王国にある魔術塔の創設者ということです」
「魔術塔? それはなんでしょうか?」
「私もさほど詳しくは無いのですが、ザーバーランドの魔術師達はほとんどが“組合に”入っているのです」
「“組合”ですか? それは、どういったものでしょうか」
「我が国のギルドみたいなものと考えていただければ、わかり易いでしょう。その魔術塔と言う建物に組合が入っており、ザーバーランド国内の魔術師のほとんどを統括しているそうです。ひょっとしたら、彼らが魂を交換する魔術について詳しく知っているかもしれません」
「なるほど、そうですか……。しかし、今、ザーバーランドに入国するのは難しいでしょう。つい最近まで我が国とは戦争状態でしたし、停戦後の現在は国境線をどこにするかの交渉中と聞きます。そんな中、あちらに入国するのは難しかと思います」
「そうですね。ただ、交渉が落ち着いたら、入国が可能にになるかもしれません」
「なるほど……」
フンツェルマンは少し考える様にうつむいて、しばらく黙り込んだ。サレイユはもう一度、紅茶のカップに口をつけて飲む。
フンツェルマンは何かに切りを付けたように顔を上げて言った。
「大司教様。とても参考になりました。まずはバルバストル氏に魔術について尋ねてみます」
その答えを聞いてサレイユは満足そうに笑って、自分の髭を撫でた。
「いい話が聞けると良いですな。では、話は済んだので、今日のところはこれで失礼しますよ」
サレイユは立ち上がって応接室を後にした。そして、サレイユが玄関ホールに来たところで、ニコルが通りかかった。ニコルもサレイユの訪問に驚いたが、礼儀正しく挨拶をした。挨拶が終わると、サレイユは屋敷を後にした。
フンツェルマンは、ニコルにサレイユと話した内容を伝えると、彼女は喜んで久しぶりに笑って見せた。フンツェルマンも久しぶりに見るニコルの笑顔だった。
フンツェルマンもエレーヌが元に戻る可能性がわずかでもあるのであれば、何としてあげたいと考えていた。
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