361.穏やかに見える水面下の駆け引き

「このたびは夫がご迷惑をおかけしました」


 王宮へ迎え入れるなり、公爵夫人はそう口にした。静かに頭を下げる彼女の手を握り、やめるよう促す。


「出産後の女性の体は不調ばかりよ。腰を折っての挨拶は禁じます。会釈くらいにして頂戴。バッハシュタイン公爵への罰なのに、あなた方を巻き込んでごめんなさいね」


 敵意はないと示しつつ、公爵夫人が思い詰めないよう微笑みを向けた。王族に逆らったのは事実だけれど、半分はお役目よ。内容は忠告として受け入れる。ただ方法に問題があっただけなの。


 いろいろ含んでの言葉選びに、彼女はすぐに付いてきた。どうやら有能な方のようね。


「バッハシュタインは、王家と血が繋がらない公爵家です。忠義の心は他家に劣らないと自負しておりますが、夫はあの通りの性格でして。ローゼンミュラー王太女殿下にお気遣いいただき、有り難く存じます」


「家名は略して結構よ。お部屋へご案内しますわ」


 乳母に抱かれた次期公爵は、肝が据わっているのか。すやすやと寝息を立てている。ヴィンフリーゼと同じ年齢だから、仲良く遊んでくれるといいけれど。そんな雑談をしながら、王宮内を案内した。執事のように従うテオドールが、必要な部屋を確認していく。


「いかがかしら、バッハシュタイン公爵夫人。お屋敷の居室に近づけてみたのだけれど」


「さすがは王太女殿下ですわ。我が家同様に寛いで過ごせそうです」


 表面上は穏やかな会話だけれど、ここには駆け引きがひとつ。バッハシュタイン公爵夫人と公式に呼ぶことで、屋敷の内部まで把握しているのよ、と示す。彼女はそれに対して、さすが立派な諜報員をお持ちですのね、と返した。


「マルグリッドとお呼びください、王太女殿下。息子ローラントと共に、命をお預けいたします」


「分かりました。マルグリッド、公爵家の騎士や侍女は同行しなかったのですね」


「はい。夫に対しての人質であれば、このくらい覚悟が必要かと思いましたの」


 滅多に社交界へ顔を出さないけれど、この人なら簡単に貴族夫人達を掌握するでしょうね。頭の回転が早く、驚くほど場を読んだ言動が出来る。その上、気持ちいいほど潔い人だわ。


「暗殺される心配はしないのね」


「聡明な王太女殿下が、疑われる状況で手を下す必要がおありなら、それも流れです」


 国のためなら死んでも仕方ない。だけれど、今はそんな場面ではない。完全に読んだ上で、こちらを遠回しに牽制してきた。バッハシュタイン公爵より御しにくいわ。


「せっかく同じ年の子がいるんだもの。子ども達だけでなく母親同士も仲良くしたいわ」


 狐と狸の化かし合いのような会話を終わらせ、右手を差し出す。迷いながら彼女は手を重ねた。この世界で、握手の習慣は男性のみ。それも外交で結果が出た時くらいの所作よ。


 私にとってはそのくらいの価値がある会話であり、大切な人材なの。跡取りを生むという大役を果たしたことだし、今後は社交界で大活躍して欲しいわ。クリスティーネとも気が合いそう。


「明日はゆっくり休んで頂戴。数日中にお茶にお誘いするわ」


 踵を返した私の背中に「お待ちしております」と丁寧な返答が届いた。ふふっ、素敵な休みになりそうね。

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