353.お兄様の頼みでなければ断ったわ
仕事の時間が減ると、一日が長く感じられる。以前はどれだけ処理しても終わらなくて、一日は短いと思っていたわ。あれは充実を通り越して、過密だったみたい。
「ヒルト、仕事がないなら散歩しないか?」
ふらりと現れたお兄様に誘われる。仕事が終わったので、そのまま執務室で読書を始めたのだけれど。お散歩も悪くないわ。妊娠中も動けるなら運動した方がいいと聞くもの。
「ご一緒します」
テオドールが一礼して申し出た。不思議なことにカールお兄様は難色を示す。何か相談でもあるのかしらね。テオドールに待機するよう命じ、私はカールお兄様の手を取って歩き出した。
嫉妬するでしょうから、後で宥めないといけないわ。昇降魔法陣を使用するので、庭に出るため階段を使用しない。そう考えると、昇降魔法陣は妊婦に優しかった。一時期はイタズラを仕掛けられたわね。懐かしく思いながら庭へ出た。
一番下の階まで降りれば、王宮見学の子どもや民にも会えるけれど……妊娠中は危険なので立ち寄らない。代わりに、侯爵家以上でなければ立ち入れない階で、薔薇やガゼボのある庭へ足を踏み入れた。
心地よい風が髪を揺らす。
「済まない、実は……その。本当に悪い」
薔薇の垣根に近づいたところで、お兄様がひたすらに頭を下げる。どうやら理由がありそう。カールお兄様が私を害するわけがないので、誰かに会わせたいのかしら?
「お兄様、落ち着いて話してくださ……」
「失礼します。お呼び出ししたのは私です」
優雅に一礼して進み出たのは、バッハシュタイン公爵だった。愛称のエドと呼ぶほど仲のいいお兄様は、私を誘い出してくれと頼まれたのね。
隣にテオドールはいない。護衛の影は、数人いるでしょうね。危害を加える人でないことは確信できた。私は穏やかに微笑みを浮かべ、挨拶のために手を差し出した。臣下ならば受けて膝を突く。
バッハシュタイン公爵は、芝に膝をつき、私の手の甲へ唇を寄せた。ここで本当に唇を当ててキスしていいのは、婚約者か家族だけ。近づけるだけで離した公爵の所作は、洗練されていた。
一緒にいて心地よい人だわ。肩書きに伴う仕事っぷりや愛妻家具合は耳にするが、私は彼の人となりを知らない。どんなことに怒り、笑い、悲しむのか。ちょうどいい機会だから、接点を作っておきましょう。
「こちらにクッションや毛布をご用意しました。お茶にお誘いする栄誉をいただけますか」
「ええ、是非ともお兄様を使って呼び出した理由を教えていただきたいわ」
先日のお母様との朝食会を思い出す。直球で尋ねてしまうのもひとつよね。リュシアンの提案に乗るのも一興よ。ガゼボに用意されたふかふかのクッションに座り、腹部に巻く形で毛布をかける。お茶は公爵自身がポットから注いだ。
「どうぞ」
「ごめんなさいね、今はハーブティーを控えているのよ」
出されたカップに首を横に振った。
「私の即位を遅らせるように進言したことと、このお茶の因果関係が知りたいわ」
公爵はハーブティーを一口含み、ゆっくり転がしてから飲み込んだ。
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