350.急いだ自覚はありませんの
即位の時期とは別で、皆が急ぎ過ぎていると口にした。お父様やお母様まで一緒になって。まさかのテオドールも? 私を裏切らないわよね。
「急いでおられますが、そういう方ですから」
仕方ないのです。そんな口調でテオドールも彼らに同意した。スフレオムレツを一口、ゆっくりと咀嚼する。それから珈琲で口直しをした。ケチャップが少し甘すぎるわ。
「急いだ自覚はありませんの」
そう呟いて振り返ると、確かに私の人生は忙しかった。テオドールを拾って、物語の強制力は万能ではないと知る。そこから大急ぎで準備をしたわ。
周辺国の状況を調べ、どの物語が進行しているか判別する。悪役令嬢に該当する彼女達を特定し、魔王の存在からリュシアンに気づいた。全員を手に入れたら、世界を制覇できる。私はそう考えたの。
だから妥協しなかった。彼や彼女らの主君になるには、ハイスペックの悪役令嬢を凌ぐ実力と地位が必要だわ。
「私はあなた達に相応しい主君になりたかったのよ」
前世を知るエルフリーデとクリスティーネは、苦笑いを浮かべた。ただ自国の中での立ち位置や、隣国へ逃げればいいやと考えていた彼女らは、私の努力を理解してくれる。物語を知っているが故に、悪役令嬢に与えられる高い能力に納得した。
全員がそれぞれ違う特性を持ち、豊かな才能を誇る。その側近をまとめ上げる力を欲したなら、人一倍の努力が必要だった。
クリスティーネは柔らかな白パンを選び、たっぷりとラズベリーのジャムをのせる。令嬢らしくなく齧った。一般的には口に入る大きさに千切って食べるのがマナーだわ。でも前世の日本人なら普通かも。気が緩んだ。
「主君であるブリュンヒルト様に必要なのは、私達を凌ぐ力ではなく……纏める能力ですわ。きちんと話を聞いて、正しい方向を指し示して導く。それだけです」
「あら、クリスティーネ様。それだけが難しいのですよ」
くすくすと笑うエレオノールは、紅茶にジャムを沈めた。ロシアンティーと呼ばれた飲み方ね。
「私はバッハシュタインの懸念は、そこではないかと思うの。このまま走らせたら、ヒルトが潰れてしまう。その心配ではないかしら」
即位は問題ないが、時期が悪い。彼はそう口にしたという。ならば、ペースを落としてじっくり取り組め、と受け取ることができた。
「バッハシュタイン公爵夫人の出産から間もないことですし、奥様の大変さをご存知なのでは?」
エルフリーデは公爵夫人と面識がある。妻を溺愛する夫の話を彼女から聞いた。心配し過ぎて、王家主催の夜会を欠席する人なのだ。考えられる。
全員が憶測を口にする中、リュシアンは目玉焼きにぷすりとナイフを立てた。半熟の黄身が流れて、じわじわと白身を染め替えていく。それをナイフで塗るように広げ、カットして口へ放り込んだ。
「あのさ……いっそ本人に聞いたら? 何のつもりで邪魔するんだ、って。いつものお姫様ならそうするだろ」
「「「……それもそうね」」」
賛同が得られたことで、バッハシュタイン公爵との謁見が決まった。ただし……もう少し胎児が大きくなるまで。専属医師で夫であるテオドールの立ち会いが条件。数週間後に予定を入れ、朝食会はお開きとなった。
「楽しかったわ。また一緒に朝食を食べましょうね」
お母様の発言に、全員で顔を見合わせたのは言うまでもない。
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