172.追い詰めて噛み付かれるのも一興
午後の日差し降り注ぐ客間で、私はゆったりと紅茶を飲む。向かいで大柄な男性が顔を顰めた。
渋い顔をして唸っても、結論の先延ばしにならないわ。ヴァルター騎士団長クリストフは、皇帝の座に就く打診を断りたいと示した。残念ね。どんな理由をつけても、あなたしかいないの。断れば国が滅びる、そう突きつけた。
誰かを代わりにしたい気持ちはわかるわ。男爵家の次男から伯爵家当主になっただけでも、環境の変化は激しかったはず。苦労して成り上がり、やっと馴染んだ地位……すべては妻子のためでしょう? 駆け落ちした獣人の妻と、獣人の特徴を備えたハーフの娘。彼女達を守るため、簡単に害されない立場を手に入れたかった。
すでに夫人は亡くなったけれど、忘れ形見の娘を皇女にしたら、人前に出さないわけにいかないもの。だから彼の懸念を払拭する必要があった。他に適当な代役がいない上、彼以上の適任がいないのだから仕方ない。
「宰相にエンゲルブレヒト侯爵を据えるから、政の心配はいらないわ。国の方向だけ決めればいい。瑣末ごとは彼に丸投げできるもの。でも……あなたの懸念はそこじゃない」
知ってるのよ、と匂わせる。案の定、彼は顔を強張らせて口をきゅっと結んだ。失言をしないよう気持ちを引き締めるのは大切よ。
「ご息女……アンジェラ嬢のことでしょう? 安心なさって。守ってくれる夫候補を見つけたわ」
朝早く手配した釣り書きを差し出す。渋い表情をさらに歪めて、釣り書きのファイルを開いた。立派な革の表紙を開けば、似顔絵と肩書きや性格、趣味が記されている。お見合い用の似顔絵は、当人より1割ほどいい男に描かれていた。
「リッター公爵家……」
「ええ。アンジェラ嬢との婚姻ならば、ぜひともと望まれて。きっと幸せになれます」
釣り書きに書かれていない情報を、そっと追加した。差し出された文章だけの紙を手に取り、目を通す騎士団長の顔色が赤くなり、青くなり、また赤くなった。極度の動物愛好家で、獣人フェチと知ったら、花嫁の父親として複雑でしょうね。
「いかがかしら。彼と婚姻したら、ご息女は外に出なくても済むのではなくて?」
「ですが」
「エトムント殿より条件のいい婿が見つかるなら、教えていただきたいわ。説得に協力しましてよ」
テオドールが、紅茶を注ぎ足す。騎士団長が熱い紅茶を一気に飲み干した。猫獣人の旦那様は猫舌じゃないのね。変な部分に感心しながら、分かりきった答えを待つ。己の進退より、娘の幸せを選ぶなら……決断するしかない。
「こちらの条件も確認してくださる?」
私は追加の駄目押し資料を、指で摘んで揺らした。受け取った騎士団長へ微笑みかける。綺麗に整えた指先で、扇を広げた。
「もし皇帝の地位を継いで、次代となるリッター公爵家へ繋いでくれたら、シュトルンツは全面的に支援します」
国内の様々な物を輸入に頼るルピナス帝国にとって、シュトルンツが支配する周辺諸国からの支援は喉から手が出るほど欲しい。そこに加えて、アンジェラ嬢を守る条項をいくつか足した。公式の場で禁じられたベール着用を許し、獣人差別撤廃の方法を教授する。もちろん、そちらの支援も完璧よ。
無言でもう一度目を通し、クリストフは考え込んだ。あまり追い詰め過ぎると、こちらに噛みつきそうね。
「ご息女と相談なさって。明日、エトムント殿と面会しますの。ご息女を連れて、お会いになってはいかが?」
睨み付けるクリストフの視線に殺気が混じる。追い詰めて噛み付かれるなら、早い方がいいわ。ここで引くのは、私らしくないもの。
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