66.(幕間)裏切った信頼は戻らない

 こんなはずじゃなかった。エルフや聖国の衰退など、望んだことはないのに。精霊魔法が使えなくなるにつれ、国も一族も誇りや力を失い始めた。


 運命を分けたのは、あの日。


 神聖な儀式は定期的に行われ、今回は隣国シュトルンツの王太女が参加すると聞く。強大な国を築いた女王制の国は、魔法や精霊に頼らずとも足元は揺るぎなかった。


 逆らうのは得策ではない。人族風情にへり下る必要はないが、親しく振る舞う理由も感じられなかった。だから王太女の一行が訪れても放置する。積極的に交流する価値を見出せなかった。


 儀式に人族がいるのは目障りだが、もうすぐ女王になる女に貸しを作る程度の感覚で受け入れた。所詮は短命種族だ。ハイエルフより下等と決めつけ、見せつけるくらいの気持ちで儀式に臨んだ。


 儀式の途中で王太女が体調不良を訴えて抜け出し、代わりの女が席についた。貴族令嬢らしいが、彼女は精霊を認識している。聖杯から離れた精霊を目で追い、近付く精霊に微笑みかけた。まさか? 人族風情が?


 眉を寄せたとき、候補の一人であるラスカが声を荒らげた。


「この聖杯は偽物だ!」


「リュシアンに違いない」


 誰かが誘導するように声を上げる。神殿内に彼の姿は見えず、重要な儀式から抜け出した現実が横たわっていた。これほど都合のいい状況はない。本物を持ち逃げしたに違いない。そう決め付けて俺も声を上げた。


「リュシアンを捕らえろ!」


 わっと盛り上がるのは、長の候補に名を連ねた者ばかり。一部のハイエルフは驚きに目を見開き、状況が理解できない様子だった。騒ぎが大きくなるのを、わくわくしながら見守る。


 リュシアンの圧倒的な力に、俺達は諦めてきた。優秀な彼の足を引っ張り、今の高みから下ろせるかも知れない。その背徳的な感覚は言葉にならなかった。


 まるで神を天から引き摺り下ろすような、なんとも言えない昂りが胸を満たす。だがすぐに状況は一転した。隣国の王太女が余計な口を開き、リュシアンを庇ったのだ。


 偽物であった聖杯はいつの間にか本物にすり替わり、冤罪をかけたとしてこちらが不利になった。謝る間も与えられず、リュシアンは国を出ると決断する。国外追放して捨てるはずが、こちらが捨てられた。出ていく彼を呼び止める手段もなく……。


 その後、聖杯に集まる精霊は減る一方だった。話しかけても精霊は応えてくれない。徐々に曇る聖杯は価値を失い、どんなに磨いても元に戻らなかった。一度壊れた信頼は戻らない。そう突きつけられた形だった。


 アルストロメリア聖国はいずれ滅び、人の記憶に残るだけの存在になるだろう。俺達がその引き金を引いてしまった。緩やかな衰退を、一気に招き寄せたのだ。国の一部のエルフは、ハイエルフによる支配を拒んで独立を示唆する。


 精霊と会話のできるエルフは我々と距離を置き、やがて俺は精霊の姿を見ることも許されなくなった。あれほど自在に操った精霊魔法も使えず、人族と大差ない無能に成り下がる。数十年をかけて気づいたのは、ハイエルフは人族より無能だという現実だった。


 魔法が使えなくても、精霊が見えなくとも、人族は地に根付いて生きている。その逞しさは、精霊頼りのエルフにない能力だった。


 文字通り、後から悔いることになった俺達だが、滅びに最後まで抵抗しよう。それがせめてもの償いになるだろうから。死ぬまでにもう一度でいい、精霊の姿が見えるよう。願いながら、俺は今日も畑の土に鍬を突き立てた。

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