第13話 私の最愛・アイザック視点

 「……今なんて言った?」

たった今報告された内容が、全く頭に入ってこなかった。否、理解する事を頭が拒否していた。

「……再度ご報告致します。アイザック様の婚約者、アリア様が亡くなられたそうです。先ほどクレイン侯爵家より手紙が届きました」

侍従の顔色は青ざめていたが、今は心配している余裕などなかった。


 差し出される手紙を受け取り、震える手で中身を確認すると、確かにアリアが亡くなった事が簡潔に記されていた。しかしいつ亡くなったのかまでは書かれていなかった。

そして、今後について話をしたいと明日の時刻が指定がされていた。


「なんで……先日会った時は顔色は悪かったが、突然亡くなるなんて……一体何が……」


 どうしても納得出来なかった。何かの間違いだと心が、体が、全身で受け入れる事を拒絶していた。

そのあまりに突然の訃報に、何かの間違いだと、本当はアリアは元気なのだと自分に言い聞かせ、一刻も早く彼女の姿を確認しなければと思った。

先触れも出さない訪問は失礼だと承知の上だったが、気が付けば私は屋敷を飛び出していた。

後ろから侍従の叫ぶ声が聞こえたが、構っている暇なんてなかった。



 半刻ほど馬を走らせ侯爵邸に着いた私を、執事がいつものように出迎えてくれた。

侯爵邸の中はいつも通りのはずなのに、使用人だってなのに、何故だか私は、ひや汗が止まらなかった。


 違う、あり得ないと心の中で言い聞かせ、案内された応接室でひたすらアリアを待ち続ける。

程なくして扉が開き、思わずアリア!と叫ぶと入ってきたのはアリアの父であるクレイン侯爵だった。


 「っ!突然押しかけて申し訳ありません。きちんと指定していただいていたのに……」

「いや、こちらこそ突然の事だったのに応じてくれて感謝している」

「あの、侯爵。アリアは今どこに?アリアに会わせてください!!」


 とにかくアリアに会いたかった。アリアに会っていつものように優しく笑いかけて欲しかった。

「亡くなったなんて冗談です。ビックリしましたか?」と笑って欲しかった。

しかしそんな私の願いは虚しく、侯爵から告げられたものは酷く残酷なものだった。

呆然とする私に追い討ちを掛けるように、侯爵から一通の手紙を渡された。

震える手でそれを受け取り中身を確認すると、そこには愛しいアリアの筆跡で、


 “邪魔をしてごめんなさい”

 “エミリーとお幸せに”


と、だけ綴られていた。


 違う。違う。違う。違う!!私はあの女を愛してなどいない。私が愛しているのはアリアただ一人だっ!!


 幼い頃、茶会でアリアを見かけた時からずっと好きだった。一目惚れだった。だから必死で父に頼み込み、クレイン侯爵家との事業提携と言う表向きの名目まで用意してもらい、私はアリアを婚約者にしてもらった。あの時の歓喜に満ちた気持ちは今でも忘れられない。

歳を取るごとに、ますます私のアリアへの愛は、大きく膨れ上がっていった。

真っ直ぐに伸びた輝く銀髪も、私を見つめる時に潤むアメジストの瞳も、アリアを構成する全てが愛おしく、触れたくて堪らなかった。

でも私みたいな人間が触れたら、愛おしいアリアを汚してしまうのではないかとずっと不安で、結局エスコート以外触れ合う事すら出来なかった。



もし邪な思いを抱く私が、アリアに触れ拒否されたら?

最愛のアリアに拒否などされたら、私は間違いなく生きていけない。アリアに拒否されて生きていける程、私は強い人間じゃない。

婚姻まであと少し……

そうだ、婚姻したら少しずつ触れ合っていけばいい。だって私達は夫婦になるのだから……

それに婚姻したら、永遠に閉じ込めてしまおう。二度と誰かの瞳にアリアが映る事がないように。アリアの瞳に私以外の他人が映る事がないように……

大切なものは誰にも取られないように隠してしまおう。

そう思い立ち、アリアといる時は常に嫌われないように必死で紳士的に努めた。

そんな時だろうか、アリアの従姉妹であるエミリー嬢がやたらと接触してくるようになったのは。



 アリアと私のところに、まるで寄生虫みたく付き纏い、正直迷惑以外の何者でもなかった。

それでも誠実に対応していたのは、アリアの従姉妹だったからだ。


 従姉妹に対して、『気持ち悪いから、私達の邪魔をしないでほしい』と私が思ってるなんて、万が一アリアに知られて嫌われたら……?

私達の邪魔をしてくる人間の事よりも、アリアに嫌われる事の方が何倍も恐ろしかった私は、常に仮面のような笑顔を貼り付けてエミリー嬢に接していった。


 それをどう捉えたのか、ある夜会でアリアがいないのを承知の上、エミリー嬢がやってきた。

そしてあろう事か、私を好きだと言ってきた。

自分の従姉妹の婚約者に好きだと言える神経が分からず、ただただ気持ちの悪いエミリー嬢から一秒でも早く離れたくて、引き攣る顔を抑える事すら出来ず、聞こえないフリをしてその場を後にした。



 しかしそれ以来、夜会やアリアと一緒にいる時に偶然遭遇する頻度が上がった。そして何故かその度に何度も目配せしてくるようになった。

何を伝えたいのかは分からなかったが、未知の生物に全身を犯されているような感覚に陥り、恐怖で何度も叫び出しそうになった。


 だけどアリアには言えなかった。

まさか私がエミリー嬢に対して、『未知の生物を見た時と同じ恐怖心』を抱いているから、彼女と仲良くしないでくれなんて言えるわけなかった。

エミリー嬢に酷い態度を取って、アリアとの仲が悪くなったらと想像し、とてもじゃないがそちらの方が私には耐えられなかった。

どうせ一時の気の迷いだ、すぐに落ち着くだろうと思っていたあの頃を悔やんでも悔やみきれない。



 あの日、以前から約束していたアリアとの茶会は、突然現れたエミリー嬢によって妨害された。

何故か先触れもなく、突然押しかけてきたエミリー嬢に、我が家の使用人も皆不思議そうにしていた。

こんな所を万が一アリアに見られて勘違いされたら困ると思い、すぐに人目につかない場所へ移動した。

そして、そのまま裏口から速やかに帰ってもらうつもりだった。


 移動中、どうして突然我が家に来たのか問いただせば、不安だったからだと言ってきた。

一体何が不安なのかよく分からず、まるで言葉も通じない別の生き物のように思え、早く帰ってほしい旨を伝えると、突然、『抱きしめて愛していると言ってほしい』と泣かれ、アリアとの約束の時間が迫っていた私は焦り、一秒でも早く帰ってほしくて乱暴な言い方と雑な抱擁で愛してると希望通りにした。


 

 こんな事をしている間も、アリアとの大切な時間が削られていくのかと思うと、邪魔ばかりするこの女が心底憎かった。

だから私は、その現場を予定時刻より早く到着した、何よりも大切なアリアに見られていた事も、その光景をアリアがどんな気持ちで見ていたかなんて、何一つ気づいていなかった。



あの時の行動の結果が、どんな結末をもたらすのか愚かな私は何一つ理解していなかった。

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