第5話 優しい婚約者

 次の日、急な先触れを我が家に寄越し、アイザック様がお見舞いにやってきた。


 本音はまだ会いたくなかった。自分の気持ちに折り合いもついていない中、アイザック様の顔を見て、以前のように接する自信がなかったからだ。

けれど、婚約者として無視するわけにもいかず、せめてもの抵抗でいつもより時間をかけて身支度を済ませた。

 正直時間稼ぎをして、諦めて帰って欲しかったのだけど、結局私は応接室の前に到着してしまった。

 深呼吸をしてから侍女に合図をし、扉を開けてもらうと私に気付いたアイザック様が席を立ち、こちらに向かってきた。

「アリア!もう歩いても平気なのかい?」

そう言いながら私に手を差し出し、ソファーにエスコートをするアイザック様は、やっぱりいつもと同じ誠実な婚約者だった。

間隔を開けて一緒のソファーに座り、事実だが連絡をしなかった言い訳である言葉をアイザック様に伝えた。


「アイザック様、連絡もせず申し訳ありません。体調がなかなか回復せず、手紙の返事が書けなかったのです」

「いいんだよ。私も突然押しかけてしまってすまなかった。アリアから連絡がないなんて初めてで、動揺してしまったんだ」

「本当にごめんなさい。あの日アイザック様と会えるのをとても楽しみにしていたので、前日夜ふかしをしたのが祟ったみたいで……」

「ははっ、アリアは本当に昔から可愛いね。でも私もとても楽しみにしていたんだ。だから体調が良くなったら一緒にどこかに出掛けないか?」

そう言ってアイザック様は優しい笑顔で私の顔を覗き込む。


 『彼ってこんなにも演技が上手だったのね……これじゃ本気で私を愛してるみたいだわ』

 『この演技に騙される私は、側から見て相当滑稽だったでしょうね』


 長年婚約者として、共に歩んできたのにそんな事実にも気が付かず、ずっと愛されていると思っていた。

 愛してもいない女に、優しい態度を取り続けるアイザック様が、まるで知らない人のように思えた。


 そんな風に考えていたからか、ずっと黙っていた私を見て何故か彼はオロオロし始めた。

「アリア、顔色が悪い。やっぱりまだ本調子じゃないんだろう?突然押しかけてしまって本当にすまなかった」

「気にしないでくださいアイザック様……でもやっぱり、今日はもう部屋に戻りたいと思います。来てくださりありがとうございました」

「アリア、会えて良かったよ。体調が良くなったら必ず連絡して。待ってるから」

「はい、約束します」

そしてアイザック様は侍女に、私を部屋まで戻すように指示を出していた。

応接室の入り口へ向かう途中ふと思い立ち、私はアイザック様の方を振り返った。


「……ねぇ、アイザック様」

「どうしたの、アリア」

「私、初めて会った時からずっとアイザック様を愛しています」

これは紛れもない私の本心だった。

「私も初めて会った時からアリアを愛してるよ。でも、突然どうしたの?」

「……いえ、何も。ただ、アイザック様に伝えたくなっただけなのです」

そう言って微笑むと、アイザック様は安心したような、でも少しだけ悲しそうな表情で微笑んだ。

「早く良くなってアリア。君が元気でないと私は不安なんだ」

「……そうですね……早く元気になれるようにしますね」

そう言った私は、綺麗に笑えていただろうか……

最後に貴方の瞳に映る私は、いつも通りの私でだったかしら。




 アイザック様、本当にありがとうございました。

愛してもいない私に、愛してると返してくれて。

ただ婚約者という座に居座っているだけの私に、優しくしてくれて。

8歳で婚約してから10年間、本当に幸せでした。

貴方を愛しているからこそ、本当に愛する人と幸せになってほしい。

これは紛れもない私の本心。



 だから、私はアイザック様を解放してあげようと思う。

邪魔な私さえいなければ、アイザック様は愛するエミリーと幸せになれるのだから。



 今日アイザック様と話して、私がこれから取るべき行動を頭の中で速やかに組み立てていく。


誰も幸せじゃないこの状態から、みんなが幸せになれる道を……

アイザック様達の為だけじゃない。私自身の幸せの為に……


        


私は禁忌に手を出す事にした。

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