第25話 えんがちょ
僕たちを追うアレの数は、通りを駆けるほど、曲がり角を曲がるほどその数が多くなっていった。洞照寺まであと百メートルほどと言ったところで通り過ぎた電柱の影から現れたそれは、僕たちの走るスピードを明らかに凌駕する速さで僕たちに迫ってきた。
何より驚いたのは、自分自身の粘り強い逃げ足だった。既に走っていられるような息の吸い方も出来ていないというのに、及坂の腕をしっかり掴んで洞照寺までの一路を足先が噛みついて進んでいくのだ。
及坂の足は覚束なく、苦しそうに俯いて必死に僕の引っ張る方向へ足を蹴っているような有様だ。
前方に寺の門が見える。
(あそこがゴールラインだ)
どうしたことか、僕の脚は寺の門が目に入った途端に一層蹴り出す力と太ももを持ち上げるスピードを同時に上げた。スパートだ。追い縋っているアレの気配はもう間近に感じている。あの門を通れば、通りさえすれば――なんとかなる筈だ。その後のことなんか一ミリも考えちゃいない。どうにもならなければ誰か僕を笑いやがれ。大笑いすればいい。あと数歩先には、この数区画を全力で駆け抜けた僕自身が待っているはずだ。
僕らが門をくぐる最後の数秒間はそんな思考に支配されて、一歩先の自分が一歩前の苦しい自分を鼓舞している感覚に陥っていた。
そして、僕たちは門をくぐった。
と思ったら、誰かの腕が僕の胸ぐらを掴んでいた。
「よし。いいガッツだ」
道地君だった。こなれたいつものスーツ姿ではなく、真っ黒な僧服を来て錫杖を持っている。そのまま僕の胸ぐらと目を白黒させている及坂ごと向拝の開かれた障子の向こうへ放り投げられた。
「義堂!」
「おう」
道地君が声を挙げると、本堂の中央に立派な袈裟を着て座っている義堂君が応えた。僕たちの背後で障子が閉じる音が弾る。続いて、障子が閉じた背後と前方から二人が呟くお経と道地君の鳴らす錫杖の音が唸り始めた。
何が何だか分からない、が、一つだけ確かなことがある。それは義堂君の袈裟と背後の仏壇に煌びやかな色彩が戻っていたことだ。障子から、太陽の黄色い光が漉された落ちている。
「な、ナントさん! なんか、……帰ってこられた、みたい、です」
なんとかなった、ということだろう。
*
僕たちは荒げた息を吐き出しながら、じっと寺生まれの二人が編み出すお経を聞いていた。
「ナントさん、あの人誰ですか? 後ろの人は?」
及坂は僕より回復が早いようで、座り込んで汗を拭いながら僕に質問してくる。こっちはそんなことに応える余裕は無い。息切れが止まらない。汗も止まらないい。頭が痛い。
「ねえ、ナントさん。さっきの赤い空は一体何なんですか? あの、追ってきた人たちは?」
「……不安なのは、分かるけどっ……ちょっと、黙っててくれないかっ」
「は、はい」
その内、義堂君が立ち上がり、後ろの道地君だけがお経を呟くパートに入った。何かを呟きながらじっくり脚を滑らせて近づいてくる。
「進さん、厄除け持ってますよね?」
「ヤクヨケ?」及坂も僕を見る。
僕は何とか首を動かして頷いた。
這いつくばったまま上着のポケットを弄る。たまたまだが、以前義堂君から貰った手製の厄除けは鞄ではなく上着に入れたままだったのだ。左ポケットに入っていたそれを、義堂君の足下に放り投げた。
すると彼はそれを拾い上げ、はさみで口を切って中身を取り出す。
「うむ……」
中に入っていたものを、障子から入る光に照らしてまじまじと観察する。小さく、干した果物のようなものだ。
「それ……蛹、ですか?」
「蛹?」
じっくり義堂君の指に収まっているそれを見ると、確かにそれは「蛹」だった。種類は分からないが、虫の腹らしき蛇腹がうっすらと太陽光に照らされている。
義堂君はそれを床に放ると、躊躇無く足袋を履いた足で踏みにじった。蛹は無残にも潰れ、中から黒い液体が流れ出す。
「ひっ――」
及坂がしゃっくりみたいな悲鳴を挙げた。気持ちは分かる。僕も吐き気を催したくらい気味の悪い光景だ。
「大丈夫。これは生き物じゃないんです。……兄貴! もういいぞ!」
義堂君が声を挙げると、お経を唱えていた道地君が襖を開いて入ってきた。
「やれやれ。親父にたたっこまれた九條錫杖経を唱える日が来るとは思わなかったな」
「そう言う割には兄貴、結構サマになってたぜ。今からでもこの寺継げるんじゃないの」
「バアカ。今更頭丸められっかよ」
そう軽快に無駄口を叩きながら、僧服を着た道地君は義堂君の横にどっかりと腰を降ろした。横に置いた錫杖がジャンと鳴る。
「さてと。……おい、どうもエラいことになってるみたいだぜ。そっちが例の女子高生か? 俺は田原道地。道に地面で道地。今はこんなナリだが、一応刑事だ。こっちは弟でこの寺の住職の義堂。義理にお堂、な」
「よろしくね」
二人の寺生まれの男はにかっと歯を見せて笑った。
僕は思いっきりゲロを吐いた。
寺生まれはスゴイ。酸欠の頭痛に苛まれながらも僕は感動を覚えずにはいられなかった。
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