第10話 優しさにはやっぱり裏があって
初戦で敗退した私たちは他のクラスメイト達の競技への応援にも行かずトボトボと教室へ歩みを進めていた。
どうせ私が応援に行ったところで誰も張り切らいないと思うんだ。暑苦しいって言われるかも知れないし。
きっとひとみちゃんも他に応援する人もいなかったのだろう。私と共に教室へ向かっている。
「つ、強かったね。4組のペア」
ひとみちゃんの問いかけに大きく頷く。
「あ、あの、かすみちゃん!」
ん? と、私はひとみちゃんの方を向く。
「いつも、お弁当ありがとう。凄く嬉しい……」
しみじみとそう言われ、ぎゅうっと心臓が音を立てる。
「わ、私の家貧乏で、お母さんも障害あってそんなに働けないし、お父さんいなくて、お母さんの世話もしなくちゃいけなくて……」
私はひとみちゃんを抱きしめる。
ひとみちゃんのお母さんは私たちが中学に入学する頃までは元気で仕事もしていたのだけれど、ある日突然倒れて手足に痺れが残った。脳梗塞だったらしい。それからは簡単な軽作業しか出来なくなり収入も一気に減った。
それを思うと私なんて恵まれている。家事も殆ど手伝わず、バイトもせずにお小遣いを貰っている身分で。
「ずっと、料理なんてしてこなかったから、仕方が分からなくて……いつも、麺つゆで何かを煮るだけになっちゃって……」
その言葉で彼女のお弁当に煮物が多かった事が腑に落ちる。
そんな事を話ながら教室の入り口が見えてきたところで私達は思わず足を止める。何故なら誰もいないと思っていた教室の中から話声が聞こえて来たから。
少し音質の高い男の子の声が聞こえる。
「宮田、お前最近ドラミちゃんに構いすぎじゃね?」
ドラミちゃんと言う単語を聞いて息が止まる。それはまさに私を示す隠語で。
背中に冷たい物が伝い皮膚がヒリつく感覚がする。
「ドラミちゃん? ああ、館山さんの事か」
おそらく宮田君と思われる男の子が先程の問いに返す。
隣のひとみちゃんも歩みを止めゴクリと息を飲む音が聞こえた。
「そうそう、最近やたら優しくしてると思ってさ。なに企んでんだよ?」
「それはクラス委員として当然の事で」
「はいはい、そう言うのいいから。本当の所は?」
ここから宮田君の姿なんて見えない筈なのに。そんな音が聞こえる筈ないのに。何故だか宮田君の口角が歪に上がる音が聞こえた気がした。
「ああいう子ほど、優しくするとすぐ股を開くんだよ」
あけすけに放たれた言葉の刃は、何故か私の心を深く抉る事は無く、ただ空っぽの毎日がこれからも続くという実感だけを心に映す。
「ひでぇ。ヤリ目かよ。ってか、お前アレに勃つのか?」
「僕は、質より量だから」
「うわ、マジかよ」
「やらない善より、やる偽善って言うだろ?」
多くの優しさにはタネも仕掛けもある。
何を期待していたんだろう。タネも仕掛けも無い優しさに騙され続けたいと願っても、目と耳は飾りじゃなくて、しっかりと現実を付きつける。何も期待していなかったなんてウソで。騙されるなら騙されたって構わなかった。ただ、騙すのなら最後まで騙し通して欲しかった。簡単にバレてしまうような迂闊さは宮田君らしくないなと思ってしまう。
気味の悪い汗が額に滲む。
普通なら、宮田君に詰め寄るってなじるところなんだろうか。そんな目的で優しくしていたなんてヒドイと言って泣くところなんだろうか。
だけど、私は何故か、宮田君の立場になって気持ちを移してしまう。今、この場面を、宮田君が私に目撃されたと知ったならば宮田君は気まずい思いをするだろう。これまでの優しさが全てウソになってしまうだろう。今後、ウソでの優しささえも受け取ることは出来ないだろう。それならば何も聞かなかった事にしてこのまま立ち去れば良い。そうすれば明日からも今まで通りの優しさを私に向けてくれると思うんだ。優しさの本当の目的なんて目をつぶれば良い。
――やらない善より、やる偽善って言うだろ?――
彼の優しさにはタネも仕掛けもあったけれど、その優しさはウソでも幻でもなく、いつかのネコの様に私の掌を温めてくれた事は事実なのだから。だって私の掌にはまだ彼の温もりが残っているのだから。
ひとみちゃんの視線を感じ、そちらを見る。
何故かひとみちゃんが目を見開いて私を見ていた。その顔が滲む。
あれ? なんでだろう。ひとみちゃんの顔がぼやける。涙が出てるの?
なんでひとみちゃんがそんな傷付いた顔してるの?
私は大丈夫だよ?
あの時みたいに笑ってよ。ねえ、ひとみちゃん。
私は無理やり笑顔を拵えて踵を返す。
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