22.紅の覚醒 —メッセージ—-1
ユーネのヴァイオリンの、烈しい音が響く。
その曲は演奏する予定がない曲だった。ユーネがこの曲を弾ける、というのも今知った。
曲は知っていたはいたので、ウィステリアはピアノで慌てて合わせる。不自然さはないだろう。
しかし。
(これ、今まで、ユーさんの弾いていた音とは違う)
このところ、突然、ヴァイオリンで遊び出してユーネは、もう少しつたないイメージの弾き方をしていた。使い慣れない義肢になれるリハビリにも良いかと思って見守っていたが、下手ではないが機械的なところがあった。
しかし、今の彼の音色には感情が乗りすぎている。
感情? いや、この感じをなんと言えばいいのだろう。
感情などではなく、殺気?
夏の嵐を表した曲は、激しさを増す。
それは対象を斬りつけるような音なのだ。
ユーネは、明らかにYM-012と思しき白騎士を標的にしてこの曲を弾いている。
ウィステリアへの彼の視線を途切れさせ、ウィステリアの歌やピアノの音すら拾わせないように。
そんな敵意を乗せている。
彼らの間で、見えない刃がかわされているようですらあって、ウィステリアはついていくのに必死だ。
曲は終盤の盛り上がりにさしかかる。なんとか、その激しさについていく。
ざくざく刻むような音が、少し乱れだすが、ユーネの攻撃的な演奏は変わらない。
ちらとYM-012を見やる。寡黙そうなその男は、ウィステリアの方ではなく今は、ユーネを見ていた。その男の両手の拳が握られている。
曲はいよいよ終わりを迎えていた。高まる緊張の中、締めの部分に差し掛かり、YM-012の視線が一層強く感じられた。
その瞬間、バチーンと音がして、弦が弾け飛んだ。
切れた弦は、ユーネの顔をかすめるが、彼はまったく動じない。かえって、YM-012を冷たくみやるだけだ。
そして、平然と曲を終えると、ふわっと体を開く。
と、拍手が巻き起こる。
しかし、彼はそれも聴いていない様子で、まだ静かにYM-012と対峙していた。
そして、ふ、と、ユーネは薄く笑うと、弦の切れたヴァイオリンをもってゆらっと後ろに下がった。
それでウィステリアは我にかえり、慌てて元の予定通り、次の歌の段取りに戻った。
いつのまにか、他の白騎士達は、遠くでおしゃべりを始めている。さざめきのように声が聞こえる。
YM-012と思われる白騎士は、目を閉じて歌を聴いているのかいないのか。先ほどような強い殺気は消えていた。
一方のユーネもまた。後ろに下がってウィステリアを見守っているだけだ。まだ違和感はあるが、先ほどのような強い気配はなくなっていた。
(さっきのは、なんだったんだろう)
歌い終えると、急に汗がふきだした。これは、歌ったためでも、照明の熱のためでもない。
ユーネはそんなウィステリアをそっと見守るだけ。
*
「ユーさん、さっきの、びっくりしたわ」
出番が終わったのでロビーに出て、ウィステリアはユーネに話しかける。
もう今日は終わりで、後で主催に挨拶するくらいはあるかもしれないが、このホテルに宿泊して休むだけだ。
もう深夜に差し掛かる時間帯だろう。
ホテルのロビーには、噴水があった。豪奢で優雅な雰囲気がある。この催しは、予算が潤沢にあるわけではなかったが、使われている会場のホテルはこの地区では一番上等だった。
「ウィス、コレ、壊れた」
ユーネは困惑気味に、ヴァイオリンを差し出す。ジャケットの裏に隠れていたひよこになったノワルが、ひょこっと顔を出し、ヴァイオリンの切れた弦をつついた。
「ああ。弦、切れてたものね。顔、痛くなかった?」
「大丈夫。でも、おれ、やりすぎちゃっタかな」
「ううん。迫力あって良かったわよ。でも、あんな曲いつ覚えたの?」
「あ、アレはズルのやつ」
ユーネは苦笑する。
「アレ、ズルのやつだから。咄嗟にやってみたダケ。だから、手入れの仕方わかンないから、切れたら困った」
「ズル?」
「ズルなのわかるト、ウィスに嫌われそーだから。これ以上、言わない」
ユーネは気まずそうだが、きりりとして、
「でも、アイツ、ウィスのコト、モノとして見てた。ムカつくからぼーがいしてやった。ズルしてて良かっタ」
「え? 妨害って。さっきの白騎士の人」
「そー」
ユーネは、むむっと眉根を寄せ不機嫌になる。
「アイツ、ウィスのこと、モノとして見てる。それがわかったし、そもそも、おレ、アイツすーごく嫌い。ウィスの歌もぴあのも聞かせるノもったいない。だかラ!」
ユーネは憤然と言う。
「あたしのこと、モノって、どういうこと?」
「んー。そーだな」
ユーネは飛び出してきたひよこのノワルを、軽く撫でつつ、
「あいつの近くの他のやつモ、ウィスに何かしようトしてた。海ニ沈めた方がイイやつラ。でも、その方がマシ。ヒトとして見てる」
とろくでもないことを言う。そういえば、ユーネは前もフォーゼスの部下の無礼な態度に、過激なことを言っていたものだ。が、そのまま、ユーネは続ける。
「でも、あいつは違う、鉄とか見るのト同じみたイなもん。だかラ、いちばんヤバイ」
「鉄って……」
「そう。鉄トカと同じ」
「そうかあ」
いまいち、ユーネの言っている意味がわからない。ウィステリアは、そこを考えるのはやめた。
「でも、ユーさん。あのひとが、ヤミィ・トウェルフって名前だって、どこで知ったの?」
「やみ?」
急にきょとんとユーネが、目を瞬かせる。
「やみ? なに?」
「え、だってさっき……」
「やみー、おれ知らない」
『大人しくしていろ。ヤミィ・トウェルフ』
ユーネは、確かにそう言った。あれはきき間違いだったのか。
「ウィス」
ふと、彼が警戒した気配があった。小声で注意を喚起される。
いつのまにか、紳士風の男が一人佇んでいた。
「やあ」
上等なジャケットにロマンスグレーの髪。年齢は若くも老けても見えるが、落ち着いた年頃といった風。背はかなり高く、スーツ映えのする男性だ。
「卯月の魔女だね。主催から話を聞いている。さっきの歌とても良かったよ」
「それはありがとうございます」
にこりと上品に微笑む。親しみがわく紳士だ。しかし、なぜか、既視感のある顔だった。
一体、どこで見たのだろう?
ウィステリアが考えている間に、紳士は歩み寄ってきていた。ユーネがむっとして間にはいる。彼はそんなユーネに目を向けた。
「君はさっきのヴァイオリンを弾いていた? 迫力があって素敵だったよ」
ユーネは、声が出ないということになっているので、会釈するだけ。
そんなユーネをなぜか男はじっと見る。
そして、ふと、ああと嘆息をついた。
「そうか、君か。無事だったのか。……よかった」
「?」
言われてユーネが目を見張る。紳士は何も言わず、彼を静かに優しい目で見る。
「エリック、何をしているんだ!」
野太い声がして、エリックと呼ばれた紳士が振り返る。
「ああ、エイブ。ちよっとお嬢さん達に挨拶をね」
ところが、その男は少し怒っていた。
「予定を勝手に変更して、こんなところに! 出し抜かれた護衛のやつが慌てていたぞ」
「ああ、そうか。それはかわいそうなことをしたな。かれは真面目だから、気に病んじゃいそうだねえ」
あくまで優雅に答える紳士と対する男。このホテルに入る時、ドレスコードで止められそうな、ドレッドヘアのポニーテールに髭のがっしりした男だ。スカジャンにジーンズ。本当によくホテルに入れたものだと、ウィステリアはあきれてしまう。
「ちよっと気晴らしにと思って、知り合いのパーティーに顔を出していたのさ。主催の男はよく知っているから」
「気晴らしで相談なしに動くな」
ドレッドヘアの男は苦言を呈しつつ、頭をかきやる。ごめんごめん、と軽く謝り、エリックと呼ばれていた紳士は、再びユーネとウィステリアに目を向けた。
「それではね。ウヅキ・ウィステリアくん。帰り道、気をつけるんだよ。あと、懐かしいおともだち。君もね」
きょとんとユーネが目を瞬かせる。
ドレッドヘアの男に、紳士は連れ出されていく。それを見てウィステリアが囁いた。
「あのひと、知っているの? ユーさん」
「んーん。あんなキザで変なヤツ知らなイ。デモ、みたことある」
「そうよね。あたしも見たことある」
なんだろう。雰囲気が違うからわからないだけなのか。しかし、確実に見た顔だ。
ウィステリアは、噴水を見やりながらその既視感がなんなのかぐるぐると考えていた。
「あ」
とユーネが声を上げた。
「どうしたの?」
「ノワル、今の間にいなくなった! 探してくル」
そういえば、今の騒ぎでユーネの懐から飛び出て遊んでいたひよこが、足元から忽然と姿を消していた。金魚の頃と違って、ノワルは何かと活発だ。
「え、大丈夫? あたしも、探そうか?」
「大丈夫。大体、わかる。でも、誰かに見つかったらタイヘン。ウィス、まってて!」
ひよこに見えるが、ノワルは
ユーネが慌てて、控室のほうに走っていく。
その後ろを見やりながら、ぽつんと取り残されて、ウィステリアは気が抜けたようにぼんやりしてしまった。
さっきのユーネの変貌。ヤミィの名前をきいても覚えていないユーネ。
そして、そんなユーネのいう自分を"ヒトとして見ていない"白騎士、ZES-YM-012。
いろんなことがありすぎる。
「それにしても、どうしちゃったんだろうな。ユーさん」
深くため息をついたところで、不意にウィステリアはあることを思い出して声を上げた。
「あ!」
ユーネのことを考えていて、思い出した。
さっきの不思議な紳士のことだ。
「あのひと、ドクター・オオヤギに似てるんだわ。顔立ちが」
ぽつんとウィステリアはつぶやいた。
(ドクターともネザアスさんとも、全然違う雰囲気だからわからなかったけど。確かにそうだわ。あの顔や体型)
ということは、ネザアスやユーネ、フォーゼスとも共通する容姿のはずだが、彼等とはあまり似ているように見えない。
穏やかで大人なオオヤギが、ようやく彼に近く思える程度。知的で温厚で紳士風。雰囲気はかなり違う。
(オオヤギ先生が外見データを提供したのは、ネザアスさんだけじゃないって言ってたけど)
ネザアス由来の
(それに)
と、ウィステリアは、ふとあることを思い出していた。
あの紳士の瞳は、深い青色をしていた。
(あの人の目、ウルトラマリンの色をしてた)
ウルトラマリンの瞳は、創造主アマツノ・マヒトが黒騎士達に設定した瞳の色だ。
(まさか、あの人も黒騎士? いや、黒騎士は、ネザアスさんで最後。生きているのは、ドレイクだけのはず)
しかし、ウルトラマリンの瞳だけは、フォーゼスやYM-012などのゼス計画の被験者は、基本的に受け継いでいないように見えた。
ユーネはわからないけれど、基本は黒騎士だけが持つ色なのだ。
彼はでは一体何者?
「やあ、一人かい? 魔女のお嬢さん」
と、いきなり、肩に手がかかる。
ぎくっとその手を振り払う。振り返ると、数名の男がいつのまにか彼女を取り囲んでいた。
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