21.夜宴を切り裂く —短夜—-1
悪魔はヴァイオリンを弾くらしい。
古めかしいようで、激しく妖しいその楽器と、悪魔はやたらと似合う取り合わせだ。
ということで、天使か悪魔かと言われれば、圧倒的に悪魔的な雰囲気のある、不良黒騎士の奈落のネザアスには、ヴァイオリンがよく似合う。
もっといえば、エレキギターなどのが似合いそうなパンクな風貌なのだが、意外にもヴァイオリンも似合う。
まああと、クラシックの素養のあるフジコとしては、そっちの方が好みなのだ。
ほんのりレトロで、ほんのり背徳的で、ほんのり知的。
そういうネザアスが、フジコは好きだ。
目の前でネザアスがヴァイオリンを奏でる。
ネザアスは滅多に義肢をつけないが、今日は流石に右腕を使いたいので義手を装着している。
彼がつけるのは、簡易なものでも戦闘用に使えるもので、直接神経と接続するような機構のものだが、どうもそれゆえに神経痛が起こりやすいらしく、あまり好んでつけないらしい。
叛乱した黒騎士の鎮圧の際に、強制的に修復され、右半身に大怪我を負った時に彼は神経回路を損傷したらしく、それが完全に治らなく、不具合がでたという話。
そういうことと、戦闘時に微妙なバランスの修正を行う必要などもあるせいか、あまり義肢を使うのを好まない。どうしても右手を使いたい時だけ、携帯用で日常生活用のものを使うが、握力はかなり弱く設定しているらしい。しかし、なにかの操縦やこうした演奏にはちょうどいい。
そんな右腕を使って奏でるのは、少し憂鬱で激しい音色。
奈落のネザアスは、急しのぎでパフォーマンスができるようになる経口式インストーラーとかいうやつで、一時的にヴァイオリンを弾く力をもっただけなのだが、その割にはネザアスらしい少し物悲しいようで、攻撃的で破壊的な力強さを感じる演奏ぶりだった。
「凄い。とても上手く弾けてるよ」
一曲、ソロ部分をお試しにネザアスが弾き終えたところで、フジコは、素直に賞賛した。フジコの肩でスワロもぴーぴーと鳴く。珍しく主人を素直に誉めているのだ。
「いやー、まー、ズルしてっからなー。それと、設定されてる曲以外はダメだぜ」
「ふふー、でも、良かったよ。夏の曲だよね。これ」
「四季の夏だな。その辺なら大丈夫」
にっとネザアスが笑う。
「激しめの曲だけど、ネザアスさんには、似合うよ。あたしも、弾きたくなったな。もう一つヴァイオリンあったから、二人で一緒に弾こう」
昼にもう一つ見つけたので、調弦しておいたのだ。伴奏に合わせて歌うのも良いけれど、どうせ人に聞かせるわけでもないし、二人で一緒に弾けたらきっと楽しい。
「ふふ、そうだな。ここの夜は短いから」
とネザアスが笑う。
「お前の歌を聴くと、おれのほうが眠っちまう。そうなると夜がもったいねえよ」
二人でヴァイオリンを弾いた夜。
攻撃的で鋭いくせに、ほんの少し寂しそうな奈落のネザアスのヴァイオリンの音は、やはりどこか悪魔的だ。
そんな燃え上がるような音色が、この夏の夜によく似合う。
*
「ウィス。外、楽しいな」
「え、ええ」
灯台の孤島から出発して半日。
ウィステリアとユーネの二人は、島に最も近い街に出てきていた。
ヴァイオリンケースを背負い、まだほんのり黒い色の残る顔の右部分を、右目ごと包帯で覆った白騎士用の礼服姿のユーネと、ドレス姿のウィステリアはともすれば目立ってしまう。街といえども、僻地ではあるので人気が少ないのが幸いだ。
ヴァイオリンケースには、作り物のフリをした、ら最近ひよこになったノワルがちょこんと乗っている。
「ウィスと外いくノ楽しいなー。店、見るのも面白い。乗り物も窓から色々見える」
「そうね。ちょっとしたデートみたいよね」
「でーと、良いな」
笑いかけると、ユーネが小首を傾げるようにして笑いかえす。
「これ、ふーどないけど、顔隠さなくても、きょう、あんまり怖くない。ウィスとノワルと一緒だからかナ。島の外、たのしー」
ユーネは満足そうだ。
(とはいえ、ここまでくるのちょっと緊張したけどね)
島の外がはじめてのユーネは、なにかときょろきょろしがち。何を見ても楽しい子供のような状態だ。
今日のユーネは、ルーテナント・フォーゼスの代理で、彼の身分証明書を借りてここにきていた。
ユーネは、地下にある奈落のネザアスの部屋から発掘した義手をつけて、白騎士の軍服をきているのだが、そうしていると、一層、ルーテナント・フォーゼスと見分けがつかない。とはいえだ。
(グリシネのせいなんだからね。こんなことになったの)
ふうとウィステリアは、ため息をつく。
ことの発端は、例の白騎士のためのパーティーで歌ってほしいとの依頼だ。
『ウィステリア、それ、危なくないですか?』
「イノアちゃんのいうとおりです。一人で行くのはお勧めしません」
リモート会議参加中の文月の魔女、フヅキ・イグノーアと、話を聞いてやってきた白騎士の隊長フォーゼスの双方から、開口一番、早速、ガッツリ釘を刺される。
「とはいえ、グリシネからの依頼は、命令に近いものだし……。断ろうにもじかんがなくて」
『仮病でも使っちゃえばいいですよ。ドタキャンあるのみです』
イノアはちょっと過激だ。
『大体、護衛にフォーゼス隊長を頼むと言っておきながら、肝心の本人のスケジュール押さえてないとか、護らせる気がないじゃないですか』
イノアは、どうもグリシネに怒っているらしい。
負傷し感染した白騎士の治療のため、パーティーで歌ってほしい。
対象の白騎士には、ゼス計画出身者の複製体が含まれている。その一人は叛乱した黒騎士の首謀者、ヤミィ・トウェルフのナノマシン、
「ヤミィ・トウェルフのような危険な黒騎士が、ゼス計画に使われているとは、私も噂で知るのみでしたが。それに影響されている、とは穏やかではありません。私もグリシネとは面識がありますが、そんなことを貴女に頼むとは。抗議したいくらいです」
フォーゼスも素直に怒っているようだ。本当にクレームを入れそうなフォーゼスを、なんとか止めたところだった。
パーティーで歌うのは、正式に魔女として依頼されたとおり、白騎士の治療名目の余興。だが、グリシネとしては、その白騎士ZES-YM-WK-012を探ってほしいという意図もあるらしかった。
危険を伴うとは予想されており、それゆえにグリシネはフォーゼスの同伴を推奨したのだが、フォーゼスは、その日、どうしても外せない護衛の業務があるらしい。
「絶対に外せない仕事があるのです。困ったものですね」
その日は、どうしても、フォーゼスにはウィステリアの護衛は無理なのだ。ウィステリアは、それなら一人で参加すると言ったが、二人に全力で止められていた。
「でも、その、感染から回復したという白騎士のことは気になりますし。ユーさんと同じかもしれませんからね」
フォーゼスには、外見や嗜好の一部以外、奈落のネザアスに影響された形跡はないが、ユーネにはネザアスの影響が多分にあるように見える。特にこの頃は顕著だ。
ネザアスの黒騎士を取り込んだユーネと、黒騎士のデータを組み込まれた彼等とは、そう状況は変わらないし、ユーネだって元からゼス計画の白騎士の可能性も疑われていた。
ユーネが元々白騎士なのだとしたら、ヤミィに、外見、つまり肉体的なものだけでなく、精神的にも侵食されている可能性があるYM-012との類似性は無視できない。
「ヤミィ・トウェルフがどれほど危険かは、あたしも詳しくは。黒騎士の彼は、イノアの資料館にもネザアスさん以上に情報が少ないし。でも、それほど危険な人なら、影響されているという状態がどうなのか、ちゃんと確認しておきたい気持ちもありますし」
「確かに。ヤミィについては、白騎士の中には知らないものもいる。私もほとんど情報はありません。叛乱した黒騎士の名前としか」
グリシネですら、ヤミィ・トウェルフの詳しいことは知らされていなさそうだった、ただ、彼が旧黒騎士の中で、最も強力な人物で、それゆえに叛乱時に最も危険だったことだけは、うっすらと彼女たちにも伝わっている。
『そうと言って、一人では……。あれ、そういえば、ユーネの姿が見えませんね』
「一人で出かけるって話をしたら、拗ねちゃったの。地下室で遊んでると思う」
ウィステリアは困った様子になる。ユーネにもガッツリ反対された。
「危ない。一人だと心配。ウィスは一人歩きしちゃダメ、って」
『正論ですよ。ウィステリアは、そういうところ、お嬢さんだから、危なっかしく見えるんです!』
「そ、そうかしら。ちゃんと戦闘訓練は受けているんだけどな、あたしも」
イノアに力説されるのも不本意だが。
と、ふと、どこからかヴァイオリンの音が聞こえた。多少、たどたどしさもあり、機械的だが、初心者というには熟練されている。
「あれは?」
フォーゼスが尋ねる。
「ああ。この前からユーさん、ヴァイオリンにハマってるんです。地下室からネザアスさんの義手をみつけたんですが、合うみたいで。一人でたまに弾いているみたい」
『あら、彼には意外な趣味ですね。元の記憶が関わっているんでしょうか?』
イノアはちょっと耳を澄ませて、
『なかなか色気があって素敵な音ですね。彼には似合いそうです』
イノアは少しユーネに甘い。
「そうだ!」
と、ふと、フォーゼスが手を打った。
「ここは、私の代参として、ユーネ君について行ってもらうのが一番では?」
「え?」
きょとんとするウィステリアに、フォーゼスが名案だといわんばかりだ。
「ユーネ君なら私の代参が務まりますよ。見かけも似ていますし、そのパーティーの参加メンバーと私は全く面識がありません。所属も大きな括りでは同じですが、私は最近赴任したばかりですし、入れ替わりのメンバーとは顔を合わせていませんから、バレないでしょう。楽器が弾けるなら、ウィステリアさんについてパーティーに参加してもおかしくないですし、ステージでも守れる。ユーネ君は強いから、一人で行くより断然いいです」
『良い考えですね。さすがフォーゼス隊長です』
「え、ええっ? でも、ユーさん、少しまだ顔や末端に変化し切れない黒い部分もあるし、声も。それに礼儀作法とか」
慌ててそう言うが、
「大丈夫です。一度、感染した白騎士には汚泥の
最後のは、なにかフォーゼスの怒りが入っていたが。真面目な反面、強情なところもあるフォーゼスである。
『となると、右目や傷の残る顔は包帯で隠し、右手は義肢をつけてもらって、手袋をはめておけば大丈夫では。ユーネははじめての外なのではしゃぐかもしれませんが、聞き分けの良い子なので、ちゃんと言い聞かせれば大丈夫ですよ』
イノアもそう援護する。
「ええ、でも……」
『でもじゃありません! 行くならそれしかないです!』
結局、なんのかんの二人に押し倒され、当のユーネも乗り気だったので。
ウィステリアはフォーゼスの身分証明書を持ったユーネと、こうして出かけることになったのだ。
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