8-5
僕らは、馬で急いで星見の台座を目指していた。もうあまり時間がない。彗星があまりに大きくなっていたのだ。急がなければと焦る気持ちが手綱を振らせた。だが、その指示を無視して馬が急停止した。
「なんで止まる!? あとちょっとなんだから行ってくれよ」
僕が焦っているとモーゼスが声を上げて笑う。
「ハハハハハ。ラルフ、これ以上は神聖な場所だから近づきたくないとよ。そのくらい騎馬兵だったんだから察してやれよ」
「うるさい。時間がないんだ。一緒に藻屑になりたいのなら別だけどな」
「大丈夫だ。ほら、もうそこまで見えているだろ」
モーゼスが指をさした方を見ると確かに星見の台座と思しきものが見えた。
四角く切り出した岩が積まれ、その上に四本の柱が立っている。
夜なのにそれが見えたのは彗星の明かりのおかげだった。
「本当だ。随分と近くに……。仕方ない。馬を降りて向かおう」
みんなが馬を降りて、僕とリオラ、エミリーが星見の台座に向かおうとするが、モーゼスとルカは立ち止まったままだった。
僕は不思議になって問う。
「どうしたんだ? 二人はいかないのか?」
「何言ってんだよラルフ。みんながみんな行っちまったら誰が馬の面倒を見るっていうんだ。嫌だぜ、戻ってきたら馬がいなくなってて、野宿する羽目になるのはよ。他の連中は先に帰っちまったんだ。誰かが馬の面倒見なきゃいけねえだろ」
それもそうだなと思った。
「じゃあ、見張り頼むよ」
モーゼスは威勢よく返事をする。
「おう。任せておけ。リオラ元気でな。来世でよろしく」
「モーゼス。ありがとう。楽しかったよ」
「リオラ。其方がいたおかげで笑顔でいられた。だから感謝している」
「うん。ルカもありがとう」
二人ともバイバイ、と言ってリオラは手を振った。くるりと前を向くと僕とエミリーの手を握る。
「いこう、ラルフ、エミリー」
いよいよお別れの時間なんだと実感した。刻一刻と迫るその時間が僕の足を重たくする。仕方ないとわかっていた。僕らは生存を望んでいるし、何よりリオラが行きたがっている。けれど、一歩一歩地面を踏み締めるたびに近づく星見の台座が、僕には処刑台のように見えてしまった。
——怖い。
リオラを失うのが怖い。彼女なしでこれからどうやって生きていけば良いのだろうか。そんなことばかり考えてしまった。
本当はリオラを連れて逃げ出したい。この手を引いて、誰も来ないところで静かに最後を迎えたい。みんな滅んだっていい。彼女と最後を迎えられるならそれでもいい。
だけど、そんなことを思ったって、現実では僕の体はそんなふうに動こうとしない。リオラに手を引かれるがまま、僕の体は彼女の意思に全てを委ねている。
徐々に近づく星見の台座は段々と大きく見えるようになり、ついに目前まで辿り着いてしまった。近づくと星見の台座は意外に高く、人の背丈の倍以上の高さはある。後ろ側は断崖絶壁なのかそれ以上先に木は立っていなかった。
千年前に使われたきりのはずなのに、星見の台座には苔すら生えていない。きっと近隣に住んでいる人たちが言い伝えを信じて綺麗に保ってくれていたのだろう。
僕が正面の階段から台座に登ろうとすると、リオラが僕と繋いでいた手を引いた。
「ラルフ、待って……」
リオラは振り返り、エミリーの方を向いた。
「エミリー。ここでお別れ」
「え……!? 私も台座に乗っちゃいけないの?」
「ごめんね……。ここから先、私とこの台座に乗っていいのは見送り人であるラルフだけなの」
「そんな…………」
「エミリー。バイバイ」
「バイバイって…………、もう会えないじゃないのよー」
エミリーは泣き出してしまい、リオラをキツく抱きしめる。リオラもその想いに応えるようにエミリーの背に腕を回した。
「エミリー、言ったよね。笑顔でお別れしよって。寂しくない。リオラはみんなの心にいるから……。だから、バイバイ」
「リオラ……。大好きだよ。今までありがとね」
エミリーは一度リオラから離れると堪えきれない涙を拭い、今にも崩れそうな笑顔を作る。
「バイバイ、リオラ」
リオラはエミリーに笑顔を返すと僕に向き直った。
「行こう。ラルフ」
「……ああ」
階段を登る足が鉛のように重かった。疲れていたのかもしれない。ただ単に気が重いのかもしれない。刻一刻と迫る別れの瞬間と、逃れることを許さない彗星の脅威が僕の心をどこまでも痛ぶる。
台座から見る彗星は月を何個足しても足りないほど大きく、煌々と輝きを放つ。こんなものが今からこの地に落ちてこようというのだ。僕らはリオラを犠牲にして生き残るしか術がない。
今から自分が死ぬというのに、リオラは血相も変えず、その景色を楽しんでいるように見えた。頭上に迫る彗星が大地を破壊しない無害なものだったら、どれだけ美しかっただろうか。きっと僕も魅入っていただろう。
リオラは彗星を見ることをやめ顔を下ろした。ゆっくりと大きく深呼吸をすると僕に指示を出す。
「ラルフ、ここに立って」
僕はその指示に従い四本の柱の真ん中に立った。リオラも僕の隣に立つ。
「じゃあ、始めるよ」
「……ああ」
僕の返事を聞き、リオラは祈るように手を握りしめた。両手の指が交差するその手を額に当て、彼女は下を向く。やがて、四本の柱が光り始める。柱には彫刻が刻まれていて、光によって何かが浮き上がった。
鳥だ。薄天色に輝く小鳥が柱から飛び出したのだ。それぞれの柱から一羽ずつ。四羽の鳥が光を散らしながら飛び交う。
その光景はまるで妖精が踊っているかのようだった。長い尾羽を揺らめかせ、空中を舞うその姿は、今まで見た何よりも神秘的で幻想的で綺麗だった。
やがて四羽の鳥は僕らの頭上を一つの円を描くように飛び始める。その円は徐々に上がっていくなか、四羽のうちの一羽が勢いよく降りてきた。その小鳥は飛びながらリオラの前で停止する。
リオラが右手を差し出すとチョンと
「その子に願いを伝えて、祈るように願いを伝えるの」
「————」
僕は言われた通り祈るように願いを小鳥に込めた。この願いがちゃんと叶うのか確証はない。むしろ、神の怒りを買うかもしれない。でも、僕にはこれしか願えなかった。彼女と生きる未来。僕が望んでいるのはそれだけだ。
小鳥は願いを読み取ると勢いよく飛び去り、夜空の彼方へと消えていった。その姿を目で追っていると、リオラが喋り、僕の意識は彼女へ向く。
「これで儀式は終わり。あとは私が旅立つ準備をするだけ。……ねえ、ラルフ。私の最後のお願い聞いてくれる?」
「ああ、なんだって聞いてやる」
「指輪交換しよ」
リオラが服の中から指輪をひっぱり出す。
僕はこの指輪の存在を一度だって忘れたことはなかった。肌身離さずにずっと身につけている。あのとき買ったペアリングを。
僕は首に下げてある指輪をつまみあげる。リオラが魔法で紐を切り、自分のも同じようにして切った。お互いの手の中にお互いの指輪。
僕は先にリオラの左手をとり、薬指にその鉄の輪を通す。何も飾り気のない指輪だけど、僕にとっても、リオラにとっても互いの愛を表す大切な指輪だった。
リオラはピッタリとハマった指輪を見て目を輝かす。指を広げ、手の角度を変えて念入りに見ていた。
「おいおい、僕にもはめてくれよ」
「あっ。そっか。じゃあ、手を出して」
言われた通り僕は手を出す。
リオラは、ゆっくり慎重に指輪をはめるとそっと包み込むように僕の手を両手で握った。
「ラルフ。誓ってくれる? 私のことを愛するって」
「ああ、誓うよ。この生が続く限り君を愛し続ける」
僕は涙を堪え、彼女に一歩寄った。
僕の願いは叶わないだろう。そう思えば思うほど、胸の内が張り裂けそうなほどに痛み、苦しくなっていく。その苦痛を涙と一緒に堪えた。
身を寄せてくる彼女が愛しくて、僕はリオラを抱きしめた。
互いの顔が自然と近づき、唇がそっと触れ合い、重ね合わせた。何度も……、何度も。彼女からの愛を探るように、僕の愛を送るように——、何度も重ねる。
彼女の愛情を感じるたび、とろけるような快楽に包まれた。互いの優しさが入り混じり、お互いの存在を求め合う。彼女の全てを僕のものにしたい。そんな感情が芽生えた。彼女のことを思い、彼女のために生きる。そうやってお互いを思いやり、支え合って生きていきたかった。いつまで続いてほしい。永遠に——、僕の生がある限り。
リオラの方から顔を離し、彼女は僕の顔を覗き込む。その顔は微笑んでいたけれど、少し照れくさそうにも見えた。しかし、彼女はとつぜん噴き出すように笑う。
「なに……、その顔」
よくよく考えたら、僕の頬は涙でぐっちゃぐちゃだ。そんな状態で無理やり作った笑顔だから、相当変な顔だったのだろう。
「もう、ラルフ……。笑うっていうのはね。こうやって頬をにーって上げるんだよ」
リオラは僕の頬を指で押し上げながら自分でもにーっと笑って見せる。
「こ……、こうか?」
「そう。上手」
リオラは僕の体から離れると思い出したように口を開いた。
「ねえ、何か形見いる?」
手を後ろで組んで、少し首をかしげて訊いてくるリオラ。
僕はその愛らしい顔を見て微笑んだ。
「いらないよ」
「えっ……、でも……、何か思い出せるものがあった方が……」
「そんなものそこら中にあるだろ。城に戻れば君が書いた絵がいっぱいあるし、この指輪も……。君との思い出はいくらでもある。いつだって思い起こせるよ」
「そうだね。そんなにあったんだね。私との思い出……」
無理やり笑ってみると自然と涙が収まった。さっきの傭兵二人みたいに僕から別れを切り出した方がいいのだろう。僕がそのタイミングを決めてあげないと彼女はいつまで経っても不安で旅立てない。歯痒い思いで僕は口を動かす。
「……お別れだな……」
「そうだね。元気でね」
「ああ、元気でやってくよ。君と出会えてよかった」
「私も」
なんで、こんな言葉しか出てこないのだろう。こんなにも思い出に溢れているのに……。こんなにも共有したいのに……。動かしずらい口から出てきた言葉は僕の思いそのものだった。
「愛してる」
僕はもう一度彼女を抱きしめた。彼女は僕の背に腕をまわし、耳元で囁き始める。
——ああ……、最後が来てしまう。
「私ね。最後に見送ってくれる人がラルフでよかった。辛い運命を背負わされても、この人の為ならと思えた。だからね……、私と友達になってくれてありがとう。恋人になってくれてありがとう。
大好きだよ、ラルフ……。
——ばいばい——」
リオラの体が光に包まれ、砂のように風で舞い上がった。その光の一つ一つが星空に紛れ、僕の手の届かない遥か高く飛んでいく。
——行ってしまった…………。
天高く舞い上がる彼女の光を見上げていると、足の力が急に抜け、僕は膝から崩れ落ちてしまった。
途端に押し殺していたはずの思いが込み上げ、僕は項垂れる。止まらない涙をこぼした。
なんで彼女なんだ。なぜ彼女が行かないといけないんだ。優しくて誰にでも笑顔を振りまいて、みんなを幸せにしたというのに……、彼女が死ななくちゃいけない理由がどこにある。
僕は唇を噛み締め、その思いを押し殺す。何度も、何度も、彼女との思い出が頭に浮かび上がるたびに強く噛み締めた。
堪らず手を強く握った。そして、握りしめた手の中に何かあることに気がついて僕は手を開く。手の中にあったのは指輪だった。僕がリオラに渡した指輪、それが今、僕の手の中にある。
(馬鹿だな……。持っていけば良いのに)
もう立ち上がれないと思った。生きていくことも辛いと思った。そんな僕に彼女から最後の贈り物が届けられた。
涙で曇った視界が突然光に包まれた。思わず僕は天を見上げる。そして、その光景に目を奪われた。
彗星が砕け散ったのだ。さっきまで神々しく尾をひいていた礫の塊は粉々に砕け散り、夜空に無数の流れ星を散らした。
何度も光っては一瞬で消えていくその儚い光を、僕は一つ一つ目で追った。リオラが僕らに見せてくれた最後の贈り物をひとつも見逃さないように……。
不思議と涙が収さまって、僕は目に溜まった涙を拭い立ち上がる。
「ありがとう、リオラ。僕らに会いにきてくれて——。絶対に忘れないよ。君のことは……、絶対に、だから、——バイバイ」
最後の流星が儚く散るのを見て、僕は歩き出す。どこか寂しい虚無感を胸に、星見の台座を降りた。
僕が階段を降りるのを見て、エミリーが気にかけるように声をかける。
「リオラは……」
「行ったよ。ちゃんと責務をまっとうした。これで僕らの勤めも終わりさ」
階段を降り切ると、急に脚から力が抜けた。踏ん張れず倒れそうになる僕の体をエミリーが受け止め、ゆっくりと座らせてくれた。
「参ったな。もう終わったのに、体がいうこと聞かないや」
目の前が涙で歪んでいく。エミリーが僕の顔を包み込むように抱きしめてくれた。
「ラルフ。あんたよく頑張ったよ。無事に見送ったんだから」
目を閉じると、彼女との思い出が頭に浮かんでくる。出会った日から今日までの思い出が……。
リオラのことを最初は邪魔だと思った。苛立って怒りをぶつけた事もあった。でも、わかり合った。仲良くなって好きになって恋をした。そんな流れ星のように消えてしまった彼女は、きっといつまでも僕の心の中に残り続ける。きっと——、永遠に——。
迎えにきたモーゼスとルカに僕は肩を支えられ、歩いた。
役目を終えた僕らは、バーバスカムへの帰路についた。
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