3-7

 二日程、エミリーとリオラに看病された僕は、すっかり元気になった。頭痛はもうしない。全身の筋肉の痛みも治った。

 それは良かった。良かったのだが……。

 今、僕はエミリーに街に連れ出されている。

 病み上がりの体には、威勢の良い商人が集まるサンドリアの街は活気がありすぎて眩しく感じる。

 それなのになぜエミリーが僕を城の外へ連れ出したのか。その理由はなんとなくわかっている。

 森の恵パン工房のパン。そこでは普通のバケットに加え、チーズや木の実が入ったパン、午後のティータイムにぴったりの甘いパンも売られている。そこの卵蒸しパンがとにかく城で暮らす少年少女に人気なのだ。値段も銀貨一枚と手に取りやすく、素朴な甘みとしっとり柔らかな食感がくせになるパンである。 

 一緒に生活をしている領主候補生や騎士見習いからも人気でお昼過ぎのお茶の時間が近くなるとみんなこぞって集まるのだ。

 つまり、エミリーはそこで僕に奢らせようとしていることになる。通る道からも間違いない。 

 薄々勘付きながらも僕は一言お礼を言っておくことにした。

「いやー、看病してくれてありがとう。本当に助かったよ」

「まったく。ちゃんとこの借りは返して貰うからね」

「だから、休日でもないのに街に連れ出したんでしょ。はて、僕はこれから何をおごらされるのかな?」

「小生意気な奴。もうわかってるくせに」

 それを要求されることを見越していた僕は、さらにエミリーをからかう。

「森の恵みパン工房の何を奢って欲しいのかな?」

 わざと嫌味な感じにきくと、平手が頭のてっぺんに飛んできた。バチんと耳心地のいい音が響き僕の視界は一瞬揺らぐ。

「暴力反対……」

 頭を両手で抑え治癒魔法で痛みを飛ばしていると、エミリーは僕を睨みながら言う。

「うるさい! いい加減その憎たらしい喋り方やめなさい」

「はーい」

 そんなやりとりをしている間に目的のパン屋に着いた。

 店の中にはいくつかテーブルが置かれ、その上に売り物のパンが置かれている。欲しいパンを盆の上に乗せて、それを店主に渡すと梱包と代金の計算をしてくれるようになっている。

 ちょうど午後のティータイムに合わせて甘いパンが焼きあがったのか、店の中は砂糖や蜂蜜の甘い香りで溢れ返っていた。

「リオラの分もちゃんと買ってよね。あの子外出られないから、楽しみにしてるんだから」

「わかっているよ」

 そういえば、リオラはどれを食べたいんだろう。

 卵蒸しパンの隣に目を移せば、卵のクリームが入った蒸しパン、表面がアーモンドと蜜でコーティングされた平たいパンなど、棚には多種のパンが並んでいる。

「リオラはどういうのが好きなんだろう」

「訊いてくればよかったね」

 と、エミリーに言うとリオラの声が頭に響く。

『リオラ、甘いの全部食べたい』

(前言撤回しよう。全く訊く必要なかった)

 しかし、全部と言われてもそれは無理な話である。甘いパンは全部で五種はあり、これを持ち帰ったとしても到底食べきれないだろう。その上、時間が経てば虫にたかられるのがオチだ。それに単純な話、持って帰るのが大変である。

『リオラ、全部は無理だよ。袋に入り切らない。別の日に買ってあげるから一つにして』

 そう頭の中で言うと、やけにがっかりと窄(すぼ)んだ声が返ってきた。

『じゃあ、卵のクリームのやつ……』

「リオラ、クリーム蒸しパンがいいって、エミリーは?」

「私はいつも通り」

 僕は盆にクリーム蒸しパンと卵蒸しパンを二つ乗せ、カウンター前にいる店主に渡す。店主はパンを一個一個、丁寧に紙に包み、紙袋に入れて差し出した。僕は袋を受け取り、銀貨を三枚と銅貨五枚を手渡す。

 城に戻り、兵舎の中に入るとエミリーは、

「私、お茶入れてくるね」

 と言い調理場の方へ歩いていった。僕は先にリオラの部屋に向かう。扉を開けると、リオラは待ちきれんと言わんばかりに寄ってきた。

「ラルフー」

 パンが入った袋を渡すと、リオラは袋を開け中を覗き込む。その甘い香りに頬を吊り上げると目当てのパンを取り出して、袋を僕に返した。

 僕は自分の分の卵蒸しパンを袋から取り出し、一口分をちぎり、リオラに手渡す。

「あげるよ」

「いいの?」

「一口だけな」

 リオラは嬉しそうに「ありがとう」というとそのかけらを頬張った。

「美味しい?」

「うん。ほんのり甘くて美味しい」

 ちょうど、リオラがパンを飲み込んだところで扉が開く。エミリーがポットとカップを乗せたトレーを手に入ってくると、盛大に声を上げた。

「ああ、もう始めてる!? ラルフ、リオラはちゃんと待てるのにあなたは先に食べちゃうのね」

 どうやら一口分かけたパンを見て、僕が食べたと勘違いしているみたいだ。

「いや、これは……」

 僕は弁明しようと思ったけどやめた。僕が勝手に渡したのにリオラが注意を受けるのはかわいそうだ。

「なんで笑っているのよ」

 エミリーがさらに一歩僕に詰め寄ると、リオラがエミリーに催促する。

「ねえ、早く食べようよ」

 エミリーは僕から視線を外し、リオラを見つめる。

「そうね、早く食べようか。ラルフ、お茶を注いで」

 僕は、ハイハイと頷きながら三つのカップにお茶を注ぎ入れる。

 各々が自分のパンを食べ、しばらく談笑した。その後、僕は窓辺のテーブルに置きっぱなしになっている絵があることに気がついた。油性の絵具を使ったのか妙に綺麗な絵だった。

「リオラ、この絵は?」

 リオラの描いた絵は農耕地の風景画なのか小麦畑を写したような絵だった。だけど、小麦畑とは違い根を張る地に水を張っている。鮮やかな緑の葉に、茎の上には薄緑色の実をいくつも実らせ枝垂れている。畑の周りは山々が囲い、青空には白く分厚い雲が浮かんでいる。

「これはね。東洋の国の夏の風景。綺麗でしょ」

「本当、綺麗。リオラ絵上手だね」

 エミリーがリオラの頭を撫でるとリオラは照れくさそうに笑った。

「他にも色々あるよ」

 と、リオラは壁に立て掛けていた絵を持ってくる。

「これは塩がたくさん取れる湖」

 真っ白い鏡のような湖だ。空の色が湖面に反射し、水平線の区別が全くつかない。

「こっちはまだ誰も登っていない山」

 すごい特徴のある山だった。一部がまるで矢尻のように切り立ち、岩壁が驚くほど平らだ。日の光に照らされた面は雪と一緒に輝きを放って鏡のように見えて本当に美しい。

「なんでこんなに絵を描いているの?」

 そう聞くと、リオラは俯き寂しそうに答える。

「裏に名前を描いておけば、リオラのこと覚えておいてもらえるかなと思って」

 それを聞いた途端、僕とエミリーはお互いの顔を見合わせた。リオラになんて返したらいいのかわからず、探るように見合ったが僕は何も思い浮かばなかった。言葉を発しようと開いた口からは、空気だけが漏れ言葉が出てこない。

 そんな僕を見かねたエミリーが先に言葉を発した。

「そうだね。きっとみんな覚えてくれるよ」

「うん。でも、この山を最初に見つけた人は驚くだろうな——」

「そうだね。最初に自分が見つけたはずなのに先に絵になってたら驚いちゃうね」

 僕はこの会話を聞いていて辛かった。何かしてあげたい。僕は星の子に選ばれた見送り人なのだから……。でも、これ以上、リオラと仲良くなってしまったら——。そう考えると、途端に苦しくなる。まるで地獄だ。

 目尻が熱くなって、僕は涙を拭った。

「ごめん。部屋に帰るね」

 リオラに涙を見せないようにと、逃げるように部屋から出た。僕は廊下の窓枠に手をつき、声を押し殺して泣いた。リオラのことを思うほど胸が締め付けられて苦しい。

 しばらくすると、後ろで扉が開く音がした。後ろから腕を回されそっと抱き寄せられた。耳元で囁(ささや)くエミリーの声がすごく暖かく感じる。

「ラルフは優しいね。大丈夫。辛いのはあなただけじゃない。一緒にリオラを見送ろうね」

 残り五年という時間でこんな無力な僕が彼女に何をしてあげられるだろうか。見送り人として僕は、あまりにも非力で権力もなければ知力も足りない。僕にとって五年という残りの時間があまりにも少なく感じた。



「はああぁぁ!? リオラを外に連れ出したいだと!?」

 モーゼスはまるで天地のひっくり返るところを見たかのように驚く。目も口も大きく開いたままの男に僕は訴えた。

「このまま城の中に閉じ込めて置くのはかわいそうだよ」

「駄目だ。駄目だ。そんなの許可できるわけないだろ」

「どうして駄目なんだ? 街だって城壁に囲われてるんだから安全だろ」

「いいか。星の子ってのはな、死んじまったら隕石が落っこちて文明が滅んじまうんだ。街の中だってどんな危険な奴がいるかわからないし、城の外に絶対に安全な場所なんてないんだよ」

「でも、リオラは危険を察知できるし、僕もエミリーもそれなりに戦える」

「駄目だ。そもそも俺が勝手に許可を出すことなんて出来ねえんだよ」

「どういうこと? 星の子の面倒を一任されてるんじゃないの?」

 その問いには、ルカが答える。ルカは落ち着いた口調で話し始めた。

「ラルフ、私達はゼルフィーに雇われてここにいる。ここにとどまる限りゼルフィーの指示には従わないといけないんだ」

「そういうことだ。わかったらさっさと出っていっておくれ」

 僕は半ば追い出されるような形で二人の部屋を後にした。

(なんでだよ。なんでリオラが自由に過ごしちゃいけないんだよ)

 リオラは後五年もしないで死んでしまう。たったの五年だ。僕らは六十歳までは簡単に生きられる。けれども、リオラは十五歳までしか生きられない。なのに、なんで僕らよりも自由を奪われなくちゃいけないんだ。

 ——いつか絶対に外へ連れ出してやる。

 僕は心の中でそう誓った。


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